第二節
三日、何も言わなかった。
当番へ行って、石を並べて、子どもを見て、帰った。絵を描いた。半刻で止めた。全部いつも通りだった。
いつも通りにやりながら、頭の中で数を数えていた。
四十一人。
その数が、消えなかった。
二日目に、ハンナさんに聞いた。
「ハンナさん、辺境って行ったことありますか」
「ないよ」
「あの、村の預かり場って、こっちと同じですか」
「同じなわけないだろ」
その人は、あっさり言った。
「向こうは、当番なんか組めないよ。人が足りない」
「じゃあ、誰が」
「手が空いてるやつ。ってのは、誰も空いてないってことだ」
その人は、井戸のほうを見た。
「うちは十四、五だ。向こうが四十いるなら、大人はもっと減る。畑と、壁と、水汲みと、全部やって、それで子どもを見る」
「はい」
「見られないよ、それは」
あっさり言われた。
「見られないから、上の子が下の子を見る。八つの子が三つの子を背負ってる。──そういうもんだ」
私は、その絵を思い浮かべた。
八つの子が、三つの子を背負う。
園で、そういう子を一人だけ知っていた。上に兄弟がいる子は、下の子の面倒を見るのが上手い。上手いことが、いいことなのかどうか、私はずっと分からなかった。
「ハンナさんは、それでいいと思いますか」
「思わないよ」
即答された。
「思わないけど、こっちが決めることじゃない」
三日目の夜、机の引き出しを開けた。
絵が七枚あった。
子どもの数え方。転んだときの見方。泣いたときの待ち方。喧嘩の離し方。手の洗い方。それから、寝かしつけの三つの順番。
全部、二十人くらいを想定して描いていた。大人が二人いる場所を想定していた。
四十一人を、何人で見るのか。
私は、絵を並べ替えた。
数え方の絵を、いちばん上に置いた。四十一人なら、数えるのがまず難しい。石を並べるとして、四十一個の石をどこに置くのか。
考えて、途中で手が止まった。
私は、行かない。
行かないのに、行った場合のことを考えていた。
絵を戻して、引き出しを閉めた。
閉めてから、しばらく座っていた。
次の日、ティアの部屋で手習いをしていて、その子が言った。
「みおり」
「はい」
「にいさま、いってた」
「え」
「だんちょうが、とおくいくって」
私は、板から顔を上げた。
「うん。行くみたい」
「みおりは」
「行かないよ」
「なんで」
私は、答えを持っていた。
歌えないから。体力がないから。連れていく理由がないから。全部、三日前に言われた。
言われたことを、そのまま言えばよかった。
「……歌えないから」
「うたえないと、いけないの」
「うん」
「なんで」
「なんでって」
「うたわなくても、みおりはみおりだよ」
その子は、板に何か書きながら言った。
顔も上げなかった。
私は、そこで止まった。
止まって、しばらく何も言えなかった。
「ティア様」
「なに」
「それ、誰かに」
「うさぎさんが──」
「うさぎさんじゃないやつ」
その子は、板から顔を上げた。
上げて、少し困った顔をした。
「かあさま」
「そうだと思った」
「おこる?」
「怒らないよ」
私は、笑った。
笑って、それから、板に目を戻した。
その子の書いた字が並んでいた。今日の分の練習だった。同じ字を十回。十回目が、いちばん上手い。
この子は、毎日書いている。毎日書いているから、上手くなった。
私は、去年の一年で字を覚えた。ティアの隣で、同じ板に書いて、間違えて、直された。
あのとき、私は歌えていた。
歌えていたのに、字を覚えるほうに時間を使った。
なんで、と自分に聞いてみた。
答えは出た。すぐに出た。歌えるかどうかと関係なく、覚えたかったからだ。
その夜、眠れなかった。
寝台の中で、天井を見ていた。
考えていたのは、行くか行かないかではなかった。
行きたいかどうかでもなかった。
私が考えていたのは、行かなかった場合の自分だった。
城にいて、当番に行って、絵を描いて、半刻で止めて、寝る。十二日か、二十日か、その間ずっと。
そのあいだ、私は数える。
十八人が出ていって、何人戻ってくるかを、城の中で数える。
去年もそれをやった。やって、耐えられなかった。だから南西へ行った。
あのときは、歌えた。
今は歌えない。
歌えないから、行けない。
──本当にそうか。
起き上がった。
灯りをつけて、机に座った。紙を出して、書きはじめた。
書いたのは、絵ではなかった。
できることを、順番に書いた。
子どもを数えられる。四十一人でも数えられる。二十一人を、一日四回数えていた。
名前を覚えられる。三日で二十一人分。
大人が全員別のことをしているあいだ、子どもだけを見ていられる。順番を決めれば、四十一人でも並ぶ。
応急手当ができる。詰まったものを出せる。血を押さえられる。
四つ書いて、手が止まった。
どれも、歌ではなかった。
どれも、去年より前から持っていたものだった。
私は、その紙を見ていた。
見ていて、少し怖くなった。
怖くなった理由は、たぶん、こうだった。
この四つは、去年もあった。去年もあったのに、私は歌のことしか考えていなかった。歌が効くから連れていかれて、歌が効かなくなったから外された。
外されて、初めて、他のものを数えた。
私は、自分が何を持っているのかを、ずっと知らなかった。
紙を折って、懐に入れた。
入れてから、灯りを消した。
消してから、もう一度つけた。
つけて、その紙をもう一度出して、七つ目を書き足した。
歌えなくても、行きたい。
書いてから、これは違うと思った。
消せないので、線を引いて消した。線の下に、書き直した。
歌えないから、行きたい。
書いて、しばらく見ていた。
これが本当だと思った。本当だけれど、たぶん、人には言えない。
言えば、止められる。
止められるのが分かっていて、私は明日、言いに行くつもりだった。




