第五節
次の当番の日、私はハンナさんに聞いた。
昼過ぎだった。子どもが減って、石が七つになっていた。
「ハンナさん」
「なんだい」
「あの、変なこと聞いてもいいですか」
「変なのはいつもだろ」
その人は、石段に座ったまま言った。
「この国だと、借りって、どうやって返しますか」
「借り」
「はい。物とか、してもらったこととか」
ハンナさんは、椀を持ったまま、こちらを見た。
「返さないよ」
私は、口を開けた。
「返さない、んですか」
「返す相手が違うんだよ」
その人は、そう言った。
「うちの子が小さいとき、隣に世話になった。隣の子が小さくなったとき、うちは何もしてない。もう手が離れてたから」
「はい」
「その代わり、今この広場にいる」
その人は、井戸のほうを見た。
「二十年やってる。誰に返してるのか、聞かれても分からないよ。──借りたのは隣で、返してるのはよその子だ」
私は、そこで少し黙った。
「じゃあ、直接は返さないんですか」
「返せるなら返すよ。返せないほうが多いってだけ」
「返せなかったら」
「別のところに置いてくる」
置いてくる、と言われた。
返す、ではなかった。
「ハンナさん」
「なんだい」
「それ、気持ち悪くないですか」
言ってから、失礼だったと思った。
その人は怒らなかった。
「気持ち悪いかい」
「あの、私は、少し」
「そうかい」
その人は、椀を置いた。
「じゃあ、あんた、二十一人だっけ」
「え」
「向こうで、二十一人見てたって言ったろ」
「はい」
「あの子らに、返してもらったかい」
私は、答えられなかった。
返してもらっていない。もらう発想がなかった。
子どもは、何も返さない。返さないのが当たり前だった。私は毎日名前を呼んで、着替えさせて、寝かせて、それで一日が終わった。
何ももらっていない。
「もらってないです」
「そうだろ」
「はい」
「じゃあ、あんたも置いてきた側じゃないか」
私は、そこで手が止まった。
止まったまま、しばらく何も言えなかった。
「──ああ」
声が出た。
「なんだい」
「いえ、あの」
言葉にならなかった。
言葉にならないまま、頭の中で何かが動いた。
私は、返さない相手にずっと渡してきた。渡すことに、何の抵抗もなかった。当たり前だった。
なのに、逆になった途端に、受け取れない。
同じことのはずだった。
「ハンナさん」
「なんだい」
「私、たぶん、渡すのは平気なんです」
「そりゃそうだろ」
「もらうのが、駄目です」
「そりゃ、あんた」
その人は、石段に手をついた。
「渡すほうが、楽だからね」
私は、その人を見た。
「楽ですか」
「楽だよ。渡してるあいだは、上にいられる」
あっさり言われた。
「もらうと、下になる。下になるのが嫌なんだろ」
「あの、そういうつもりは」
「つもりの話はしてない」
その人は、こちらを見なかった。
「あんた、下になるのが怖いんだよ。それだけだ」
私は、返事ができなかった。
できないまま、石を見た。
七つ並んでいる。子どもが帰るたびに、一つずつ落ちる。
帰り道で、ずっと考えていた。
下になるのが怖い。
言われて、そうかもしれないと思った。思ったけれど、少し違う気もした。
私は、下になるのが怖いのではない。たぶん、要らない人になるのが怖い。
渡している人は、要る人だ。要らなくなったら、どうなるのか分からない。
城へ来た日のことを、少し思い出した。
剣も魔法も使えないと言った日。あの日、私は何も渡せなかった。何も渡せない人間として、あの円の真ん中に立っていた。
その前に、五人が何かを失っていた。
私が来る前に、もう借りていた。
そこから始まっているのに、その上でまた何かをもらったら、どうなるのか。
私は、そこで足を止めた。
止めて、しばらく道の端に立っていた。
通りの人が二人、こちらを見て、通り過ぎた。
城へ戻ると、廊下でイルゼさんに会った。
「みおり様」
「あ、はい」
「お戻りが早うございますね」
「はい」
その人は、私の顔を見た。
見て、それから、少し目を細めた。
「何かございましたか」
「いえ」
「そうですか」
その人は、それ以上聞かなかった。
聞かずに、別のことを言った。
「陛下がお呼びでございます」
私は、顔を上げた。
「今からですか」
「はい。今すぐに、と」
今すぐ、というのは初めてだった。
これまでは、明朝、か、明日の午後だった。時間を決めて呼ばれた。
「あの」
「はい」
「何かあったんですか」
イルゼさんは、手を前で組んだ。
組んで、少し間を置いた。
「詰所の地図が、一枚になっておりました」
「一枚」
「三枚あったものが、一枚に」
その人は、そう言った。
「絞られたのだと思います」




