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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第2章「受け取れない」

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第三節

 当番に戻って、五日が過ぎた。


 朝に数える。石を並べる。子どもが帰るたびに一つ落とす。それだけを続けている。


 絵は、明日にします、と言った日から、少しずつ描いていた。日が落ちる前に、当番から戻ってすぐ。一日に半刻だけと決めた。決めたのは私で、決めたことをイルゼさんに言った。


 言ったら、その人は頷いて、砂の入った小さい器を持ってきた。


「半刻でございます」


「これ」


「厨房で使うものを、借りて参りました」


 落ちきると半刻になるらしい。

 器は、丸い椀のような形をしていた。上に一つ、下に一つ。あいだが管でつながっていて、その管が太い。


 私が描いたものとは、形が違った。


 私が描いたのは、真ん中がくびれているやつだ。上から下へ、細いところを通って落ちる。あの形を、私は当たり前だと思っていた。


 砂で測るものは、あった。

 あったけれど、同じではなかった。


 その日の午後、ティアの部屋にいた。

 昼寝から起きたところで、その子は寝台の上で座っていた。目がまだ半分しか開いていない。

 私は水を持っていった。


「ティア様、飲む?」


「のむ」


 飲ませて、口の端を拭いた。

 それから、その子が私の顔を見た。

 じっと見た。起きたばかりの、焦点の合っていない目で。


「みおり」


「はい」


「つかれてる」


 私は、手を止めた。


「え」


「かお」


 その子は、自分の頬を指した。


「ここが、おちてる」


「落ちてる」


「うん」


 私は、自分の頬に手を当てた。

 分からなかった。触っても、いつもと同じだった。


「疲れてないよ」


「うそ」


 即答された。


「ティア様」


「うそ。みおり、うそつく」


 その子は、寝台から降りた。

 降りて、私の前に立った。私が座っていたので、目の高さが近かった。


「かあさまも、いってた」


「え」


「みおり、つかれてるって」


 私は、返事に詰まった。


 王妃陛下は、そんなことを言っていない。少なくとも、私の前では言っていない。三日休めと言われて、休んだ。それで終わったと思っていた。


「いつ、言ってた?」


「きのう」


「昨日」


「うん。イルゼと、はなしてた」


 その子は、そう言った。

 言ってから、少し困った顔をした。


「きいちゃった」


「聞いちゃったの」


「うん。だめだった?」


「駄目じゃないけど」


 私は、少し考えた。

 考えて、聞いた。


「他に、何か言ってた?」


「わすれた」


 その子は、あっさり言った。

 たぶん、本当に忘れている。六歳は、都合よく忘れる。


「みおり」


「はい」


「やすんで」


「休みました。三日」


「またやすんで」


 私は、少し笑った。


「そんなに休んだら、ティア様と遊べないよ」


「あそばなくていい」


 言われて、私は止まった。

 止まったのが、顔に出たと思う。

 その子は、すぐに言い直した。


「あそばなくていい、じゃなくて」


「うん」


「あそぶけど、みおりがげんきなときに、あそぶ」


 私は、その子を見た。


 六歳が言うことではなかった。誰かの言い方を写している。写しているけれど、意味は分かって使っている。


「ティア様」


「なに」


「それ、誰かに教わった?」


「おしえてない」


「自分で考えたの」


「うん」


 その子は、そう言って、うさぎの人形を取った。

 取って、指に嵌めた。


「うさぎさんが、いってた」


「うさぎさん」


「うん」


 私は、笑ってしまった。

 笑ったら、その子も笑った。うさぎを振りながら笑った。


 夕方、部屋に戻った。

 砂の器を出して、机に置いて、絵を描きはじめた。

 喧嘩の離し方の絵だった。二人の子と、間に立つ大人。大人は手を出していない。ただ、二人のあいだにいるだけ。


 これを描くのに、四日かかっている。

 何もしていない大人を描くのは、難しかった。何もしていないと、絵の中で存在しないのと同じになる。


 筆を止めて、砂を見た。

 まだ半分も落ちていない。

 その時間で、少し考えた。


 ティアが、私の顔を見て、疲れていると言った。私は分からなかった。触っても分からなかった。


 この一年、何度か同じことがあった。


 シリルさんが「三日目の午後から高いほうの音が出ていない」と言った。私は気づいていなかった。


 エルナさんが「あんた汗かいてるけど」と言った。私は寒いと嘘をついた。


 みんな、私より先に気づく。

 私だけが、自分のことを最後に知る。


 筆を持ち直した。

 持ち直して、絵に戻ろうとした。


 戻れなかった。


 線を引こうとするたびに、ティアの指が浮かんだ。頬のここが落ちている、と示した指だった。

 砂が落ちきった。

 半刻で、線を三本引いただけだった。


 次の日、当番へ行く前に、鏡の前に立った。

 いつもは襟を引いて、線を見て、それで終わりだった。今日は、顔を見た。


 頬。目の下。口の端。


 分からなかった。

 いつもと同じに見える。疲れているのかどうか、自分の顔からは読めない。


 私は、他人の顔なら読める。


 園でも、そうだった。子どもの顔色は分かる。熱が出る半日前に分かる。母親の疲れも分かった。目の下の濃さで分かる。分かって、でも何もしなかった。大丈夫ですよ、と言っていた。


 鏡の中の自分を見た。

 この顔を、私はうまく読めない。

 髪を束ねた。両手で後ろへ集めて、一度ねじって、革の紐で留める。いつも通りだった。


 留めてから、少しだけ長く鏡を見た。


 変わったところは、なかった。

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