第二節
一日目は、川へ行った。
城壁の内側を、細い川が通っている。幅は荷車一台ぶんくらい。水は浅くて、底の石が見えた。
子どもが何人か遊んでいた。裸足で入って、水を掛け合っている。
エルナさんは、石の上に座って、靴を脱いだ。
「入りなよ」
「あの、私」
「入りなって」
脱いだ。
足を入れたら、冷たかった。冷たすぎて、一度上げた。もう一度入れて、そのまま我慢した。
「冷たいでしょ」
「冷たいです」
「山から来てるから」
その人は、自分の足を水に入れたまま、後ろへ体を倒した。両手を石について、空を見た。
私も、少し倒した。
空が広かった。壁の上に人が歩いているのが、遠くに見える。
しばらく、何も喋らなかった。
喋らないでいるのが、途中から落ち着かなくなった。
落ち着かなくなって、私は口を開いた。
「あの、この川って、洗濯にも使いますか」
「使うよ」
「どのへんで」
「もっと下。ここは飲み水に近いから、洗わない」
「じゃあ、子どもが遊んでいいんですか」
「遊んでるでしょ、目の前で」
「はい」
「なんでそんなこと聞くの」
私は、答えに詰まった。
詰まってから、分かった。
聞かないと落ち着かないからだった。座っているだけの時間を、何かで埋めようとしていた。
「……すみません」
「謝らないでいいけど」
エルナさんは、体を起こした。
「あんた、休むのが下手っていうか」
「はい」
「休みを、仕事にしようとするよね」
言われて、私は黙った。
その通りだった。市場でも、そうだった。ここへ来る前に寄って、私は布の切れ端を見ていた。当番のときに使えると思ったからだ。
エルナさんに取り上げられた。
休みの日に買うなと言われた。
「あんたさ」
「はい」
「川、きれいだと思う?」
私は、水を見た。
石が見える。日が当たって、底のほうで光が揺れている。小さい魚がいた。
「きれいです」
「それでいいの」
その人は、そう言った。
「それだけでいいの。使い道とか、考えなくていいの」
私は、頷いた。
頷いて、それから、また水を見た。
しばらく見ていた。魚が二匹、石の陰から出てきた。
二匹だな、と思った。
思ってから、数えていることに気づいて、少しおかしくなった。
二日目は、エルナさんが非番ではなかった。
朝、詰所へ行くと言われた。休みは私だけだった。
部屋に一人でいた。
机の上に紙がない。昨日のうちに、イルゼさんが片付けていた。片付けたというより、しまわれていた。引き出しを開けたら、入っていた。
入っているのを見て、閉じた。
閉じてから、しばらく座っていた。
することがなかった。
窓のところへ行って、外を見た。中庭に人がいる。荷車。犬。壁の上の人。去年と同じだった。
見ているうちに、荷車の中身が気になった。
気になって、それから、やめた。
昼前に、ティアの部屋へ行った。
その子は床に座って、指人形を並べていた。並べて、順番に立たせて、また倒す。
「みおり」
「うん」
「きょう、おやすみ?」
「うん、お休み」
「しってる。かあさまがいってた」
その子は、人形を一つ、こちらへ寄越した。
うさぎだった。私が最初に作ったやつだ。糊のあとが黒くなっている。
「あの、ティア様」
「なに」
「お休みの日って、何をしますか」
その子は、私を見た。
見て、変な顔をした。
「なにもしない」
「一日中ですか」
「うん」
「ずっと?」
「ずっと」
その子は、そう言って、また人形を並べた。
並べながら、続けた。
「でも、たいくつなの」
「退屈」
「うん。たいくつだから、なんかする」
「何かって」
「なんでも」
私は、そこで手が止まった。
退屈だから、何かする。
それは、仕事ではない。何かをしなければいけないのでもない。退屈が先にあって、それを埋めるために動く。
順番が、逆だった。
私は、いつも先に何かを見つけていた。見つけて、それをやって、次を探していた。退屈になる前に埋めていた。
「みおり」
「うん」
「たいくつ、きらい?」
「……分からない」
「わたし、すき」
「好きなの」
「うん。たいくつのとき、いいこと、おもいつく」
私は、その子を見た。
六歳が言うことではない気がした。誰かの受け売りかもしれない。でも、誰の受け売りだとしても、この子はそれを自分の言葉として使っていた。
その日、私はティアの隣に座って、何もしなかった。
正確には、人形を並べては倒すのを、一緒にやっていた。
三日目の朝、机に紙があった。
昨日はなかった。誰かが出したのだと思う。
筆も置いてあった。硯も、水も。
私は、それを見た。
見て、少し嬉しくなって、それから、その嬉しさに引っかかった。
三日休めと言われた。今日は三日目だった。
扉が叩かれた。
「みおり様」
イルゼさんだった。
「あ、はい」
「紙をお出ししました」
「はい」
「本日で三日目でございます。──明日から、また当番でございましょう」
「はい」
「ですので、今日のうちに、描かれるかと思いまして」
私は、口を開けて、閉じた。
「あの」
「はい」
「今日、まだ休みですよね」
「はい」
「じゃあ、なんで」
イルゼさんは、少しだけ間を置いた。
「みおり様が、どうなさるか見たかったのです」
私は、机の上を見た。
紙。筆。硯。全部、使える状態で置かれている。
「試されてました?」
「はい」
あっさり言われた。
「隠しておけば、みおり様は探されます。探して、見つからなければ、代わりのものを探されます」
「あの」
「昨日、引き出しを開けられましたね」
「……開けました」
「開けて、閉じられた」
「はい」
「わたくしは、それを聞いております」
誰から聞いたのかは、聞かなかった。
この人は、たぶん、城じゅうから聞いている。
「みおり様。お聞きしてよろしいですか」
「はい」
「今日、描かれますか」
私は、紙を見た。
描きたかった。三日離れているあいだに、考えたことがいくつかあった。喧嘩の離し方の絵は、今のままだと伝わらない気がする。二人の子を描いて、間に大人を入れて、でも大人が何もしていない絵にしたい。
考えていた。休んでいるあいだ、ずっと考えていた。
「……描きたいです」
「はい」
「でも、今日は休みです」
言った。
言ってから、自分の声を聞いた。
少し震えていた。
「明日にします」
イルゼさんは、頷いた。
頷いて、それから、机の上の紙を集めた。集めて、引き出しに戻した。筆も、硯も。
戻し終えて、その人は言った。
「みおり様」
「はい」
「よくできました」
子どもに言う言い方だった。
言われて、私は笑ってしまった。笑ってから、少し目のあたりが熱くなった。
イルゼさんは、それを見なかったことにして、部屋を出ていった。




