第四節
ハンナさんは、よく歌った。
当番に入って気づいたことだった。外から見ていたときは、赤ん坊を寝かせるときだけだと思っていた。実際は、一日に何度も歌っていた。
子どもを集めるとき。順番を待たせるとき。喧嘩を止めたあと。
全部、違う歌だった。
私は、それを聞いていた。
言葉は、分からない。歌になると意味が落ちる。この一年、それは変わらない。
分からないのに、聞いていると分かることがあった。
集めるときの歌は、短い。四つか五つの音が上がって、最後に下がる。同じ形を三回繰り返す。三回目で子どもが動く。
待たせるときの歌は、長い。ずっと同じ高さで、途中に区切りがある。区切りのたびに、指を折る子がいた。
数えている。
数え歌だった。
喧嘩のあとの歌は、二人でやる。ハンナさんが歌って、子どもが返す。返さないと次に進まない。
掛け合いだった。
三つとも、形が違う。
形が違うということは、やらせたいことが違うということだった。
五日目に、私はそれを口に出した。
昼過ぎで、子どもが減っていた。ハンナさんが石段に座って、水を飲んでいた。
「ハンナさん」
「なんだい」
「さっきの歌、数えるやつですか」
その人が、椀を口から離した。
「聞こえてたのかい」
「はい」
「数えるやつだよ。順番待つときの」
「やっぱり」
「やっぱりって、あんた」
その人は、こちらを見た。
「言葉、分かるのかい」
「分からないです」
「じゃあ、なんで」
「あの、形で」
言ってから、うまく説明できないと思った。
思ったけれど、聞かれているので続けた。
「歌ってるあいだ、音の高さが変わらないんです。それで、途中で区切りがあって。──区切りのところで、子どもが指を折ってました」
「見てたのかい」
「はい」
ハンナさんは、椀を膝に置いた。
「じゃあ、寝かせるやつは」
「あれは、下がります」
「下がる」
「最後のほうに向かって、ゆっくり音が下がっていきます。それと、繰り返しが多いです。──寝かせる歌は、たぶん、どこでもその形だと思います」
「どこでも」
「私の国のも、同じ形でした」
その人は、しばらく黙った。
黙って、それから、また水を飲んだ。
「妙な人だね、あんた」
「すみません」
「褒めてないよ」
「はい」
「けなしてもいないよ」
その人は、そう言った。
それから、少し座り直した。
「じゃあ、喧嘩のあとのは」
「あれは、返させるやつですよね」
「そうだよ」
「ハンナさんが歌って、子どもが返して、それでまた続く。返さないと止まる」
「よく分かるね」
「あの、形が」
私は、そこで一度、言葉を探した。
「形が、待ってるんです」
「待ってる」
「はい」
ハンナさんは、それ以上聞かなかった。
聞かれなかったので、私は自分の中で続きを考えた。
この国の歌は、三つに分かれる。
動かす歌。数える歌。返させる歌。
私が知っているのも、同じだった。片付けの歌は動かす歌で、順番を待つときのは数える歌で、手遊び歌は返させる歌だった。
言葉は違う。形は同じだった。
「ハンナさん」
「なんだい」
「その三つ、名前がありますか」
「名前?」
「あの、区別する言い方が」
「ないよ」
あっさり言われた。
「歌は歌だろ」
「はい」
「あんたのところにはあるのかい」
私は、少し考えた。
あった。園では、手遊び歌、生活の歌、季節の歌、と分けていた。分けて、月案に書いていた。
でも、それは私が習ったものだった。誰かが分けたものを、私が受け取っただけだ。
「あります。でも、たぶん、あとから誰かが分けたやつです」
「そうかい」
「はい」
その人は、それきり何も言わなかった。
言わずに、立ち上がって、子どものほうへ歩いていった。
夕方、帰る前に、マレンさんが寄ってきた。
「みおりさん」
「はい」
「さっきの話、聞いてました」
「あ」
「歌の形の話」
その人は、少し言いにくそうにした。
「あの、変なこと聞いてもいいですか」
「はい」
「みおりさんの歌って、どれですか」
私は、口を開けた。
開けて、止まった。
止まったのは、答えが二つあったからだった。
「……寝かせるやつです」
「はい」
「ずっと、それしか歌ってなかったです」
言ってから、それが本当だと気づいた。
園でも、この城でも、私が歌ってきたのは寝かせる歌だった。つみきさん、おやすみ。名前を呼んで、順番に眠らせる。
団長さんにも、それを歌った。詰所の机で、背中に手を置いて。
あの人は眠った。
セシリアさんにも、それを歌った。三度。
あの人は、眠ったままだった。
私は、そこで手が止まった。
止まった理由が、自分でも分からなかった。何かが引っかかった。引っかかったのに、それが何なのか出てこない。
「みおりさん?」
「あ、すみません」
「大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です」
大丈夫ではなかったけれど、説明できなかった。
帰り道で、ずっと考えていた。
考えて、答えは出なかった。
出なかったので、代わりに別のことを考えた。
三つの形のこと。動かす歌、数える歌、返させる歌。
私は、寝かせる歌しか歌ってこなかった。
城で最初に歌ったのも、詰所で歌ったのも、遠征で歌ったのも、全部それだった。門の内側で震えながら歌ったのも、ベルさんに歌ったのも。
ベルさんのときだけ、違った。
あのとき、私は「おきて」と歌った。三年で一度も歌ったことのない言葉だった。
あれは、どの形だったのか。
考えて、分からなかった。
分からないまま、門をくぐった。
城に戻ってから、机に紙を広げた。
絵の続きを描くつもりだった。当番用の絵。子どもの数え方と、転んだときの見方と、泣いたときの待ち方。三枚まで描いて、四枚目でつまずいていた。
紙を出して、筆を持って、それから、手が止まった。
絵ではなく、線を引いていた。
上下に波打つ線。去年、シリルさんが見せてくれたやつだ。音の高さを縦に、時間を横に取る。
見たのは一度きりだった。一度きりなのに、手が覚えていた。
私は、寝かせる歌の形を引いた。
次に、数える歌の形。ハンナさんが歌っていたやつを、思い出しながら。
三つ目に、返させる歌。
三つ並べて、見た。
全部、形が違った。
違うのに、私はその全部を、聞けば分かる。歌えないのに、分かる。
その日、絵は一枚も進まなかった。




