第二節
三日後、当番に入った。
入る、と言っても、決まった手続きはなかった。広場へ行って、おばあさんに、今日から入りますと言った。それだけだった。
「そうかい」
その人はそう言って、井戸のほうを指した。
「じゃあ、水」
「水」
「桶に汲んで、あそこの日陰に置いといて。子どもが勝手に飲むから」
汲んだ。
釣瓶の紐が重い。城の井戸より深いらしくて、二回引き上げ直した。桶に移して、日陰まで運んだ。運んでいる途中で半分こぼした。
置いて、戻った。
「終わりました」
「柄杓は」
「あ」
取りに戻った。
柄杓を桶に入れて、また戻った。
おばあさんは、石段に座ったまま、こちらを見なかった。
「次」
「はい」
「あんた、何ができる」
私は、口を開けて、止まった。
できること。歌は歌えない。魔法は効いているか分からない。抱っこはできる。
「あの、子どもは見られます」
「見るのは全員やる」
その通りだった。
「それ以外で」
「……工作、とか」
「こうさく」
「紙を切ったり、貼ったりして、何か作るやつです」
「紙は高い」
一言で終わった。
私は、少し考えた。
「布の端切れとか、木の枝でも」
「それならある」
おばあさんは、そう言って、はじめてこちらを見た。
「じゃあ、それ。あそこの三人、飽きてる」
示されたほうを見た。
井戸の縁に三人、座っていた。五つか六つ。石を並べている。並べては崩して、また並べている。顔が退屈そうだった。
私は、そっちへ行った。
行って、しゃがんだ。
いつもの高さだった。この動作だけは、去年から変わらない。
夕方までに、私が覚えたことは三つあった。
一つ目。この広場には、決まった時間割がない。
城の中では、朝の鐘が三回鳴って、日没の鐘が二回鳴る。ティアの一日は、その間で区切られている。ここは違った。子どもが集まるのも、帰るのも、ばらばらだった。母親の仕事によって違う。織物の人は昼過ぎに来る。鍛冶場の人は日が落ちる直前に来る。
「何時に迎え」という考え方が、そもそもなかった。
二つ目。当番は、子どもを教えない。
これは驚いた。
おばあさんは、子どもに何も教えなかった。座って、見ている。転んだら起こす。喧嘩したら離す。それだけだった。
字も、数も、歌も、教えない。
「教えないんですか」
聞いたら、変な顔をされた。
「教えるって、何を」
「あの、いろいろ」
「そんなの、家でやるだろ」
「はい」
「ここは預かるところだよ。育てるのは親だ」
その言い方に、迷いがなかった。
私は、園のことを考えた。
園では、教えていた。挨拶、片付け、順番、着替え、手洗い。全部教えていた。教えるのが仕事だと思っていた。
ここは違う。ここは預かるだけの場所だった。
どちらが正しいのかを、私は考えようとした。
考えて、やめた。比べる形にすると、たぶん、何かを間違える。
三つ目。専門の人がいないのに、回っている。
当番は毎日替わる。今日はおばあさんと、マレンさん。明日は別の二人。誰も、それを仕事にしていない。
だから、誰も上手くならない。
子どもの見方に、癖がある人とない人がいる。おばあさんは慣れている。二十年やっていると言っていた。マレンさんは、まだ手が出るのが早い。転びそうな子に、転ぶ前に手を出す。
園なら、それは直させることだった。ここでは、誰も直さない。
直さないのに、この場所は回っていた。
子どもは怪我をしない。しても小さい。泣いても、しばらくすると誰かの膝に乗っている。膝の持ち主は毎回違う。
子どもが、大人を選んでいた。
園では、担任が決まっていた。この子の担任は私で、私が見る。ここでは決まっていない。決まっていないので、子どもが自分で選ぶ。
選ばれない大人がいる。おばあさんは、いつも選ばれていた。
日が傾いて、迎えが来はじめた。
誰も走っていない。それは去年から知っている。
子どもが減っていく。最後の一人が行ってしまうと、広場が急に広くなった。
「みおりさん」
マレンさんが、桶を片付けながら言った。
「疲れました?」
「あ、いえ」
「初日は疲れますよ。私も疲れました」
「マレンさんは、いつから」
「三年前です。上の子が生まれてから」
その人は、桶を伏せた。
「最初、全然できなくて。子ども、怖かったんです」
「怖い」
「泣かれると、どうしていいか分からなくて。──今も分からないですけど」
その人は笑った。
「でも、当番は回ってくるので」
回ってくるので、やる。
その言い方が、私の中でしばらく残った。
城へ戻る道で、私は考えていた。
考えながら歩いて、途中で立ち止まった。
立ち止まったのは、思いついたからだった。
絵だ。
三つの順番の絵を、シリルさんが版にすると言っていた。五十枚。あれを配るとして、渡す相手は親だと思っていた。
でも、当番の人にも要るのではないか。
当番は毎日替わる。誰も上手くならない。上手くならないなら、上手くなくてもできる形にすればいい。
子どもの数え方。転んだときの見方。泣いたときの待ち方。喧嘩の離し方。
全部、絵にできる。
私は、そこから足が速くなった。
部屋に戻って、紙を出した。
夕食を運んできた人に、いま食べますと言って、机の端に置いてもらった。置いてもらってから、手をつけなかった。
一枚目を描いた。
子どもを数えている絵。指を折っているところ。
二枚目。転んだ子を、大人が見ている絵。手を出していない。
三枚目でつまずいた。
泣いたときの待ち方を、どう描けばいいのか分からない。待つというのは、何もしないことだった。何もしていない絵は、伝わらない。
考えて、砂時計のようなものを描き足した。
この国に砂時計があるかどうかは知らない。あとで聞こう、と思った。
四枚目に入ったところで、外が暗くなっていた。
灯りをつけた。




