第一節
春になった。
二度目の春だった。
去年と同じように、日が延びはじめている。冬のあいだ早かった日没の鐘が、少しずつ遅くなる。城の人たちは何も言わない。当たり前らしい。私は今年も、夕方に驚いている。
中庭の石の隙間に、また草が出た。
窓辺の鉢のほうは、葉が十二枚になった。冬に一度、全部落ちた。駄目かと思ったら、春になって戻ってきた。イルゼさんが去年言った通りだった。根が生きていれば戻ります、と。
ティアが毎朝数えている。
「みおり、じゅうにまい」
「うん、十二枚」
「きのう、じゅういちまい」
「増えたね」
「ふえた」
毎朝、同じやりとりをしている。
水は三日に一度。この子が自分でやる。私は横で見ているだけだ。こぼしそうになるのを、去年は手を出して止めていた。今は止めない。こぼしても、拭けばいい。
そのあと、手遊び歌をやる。
これも毎朝だった。
「みおり」
「はい」
「ゆびの」
「はい」
私は指を立てた。
その子が向かいに座って、同じように立てる。とんとん、と合わせる。私は声を出さない。出すと途中で切れるので、出さないことにしている。
ティアは口を動かしている。声は出ていない。口の形だけ。
去年、私が教えた歌だった。この子は音を覚えていて、私が出せないぶんを、口の形で埋める。
三回やった。
三回目のあと、ティアが言った。
「もっとはやいの」
「速いの?」
「はやくやる」
その子は指を速く動かしはじめた。
私も合わせた。合わせて、途中で追いつかなくなった。指がもつれて、止まった。
「みおり、おそい」
「うん。遅い」
「もっかい」
もう一回やった。今度は最後までいった。
ティアが手を叩いた。自分で速くしておいて、自分で喜んでいる。
朝の支度が終わって、この子が着替えのあいだ、私は窓のところに立っていた。
鉢を見ていた。
十二枚の葉が、朝の光に当たっている。
私は、息を吸った。
吸って、口を開けた。
「つみき──」
掠れた。
二音目で、もう掠れた。
止まって、もう一度吸った。喉のところに手を当てて、力を抜いて、それからやり直した。
「つみきさん、おやすみ」
出た。
出たけれど、音が痩せている。細くて、途中で震える。
二節目に入った。
「くるまさん、おやすみ」
三音目で、切れた。
息だけが出た。
私は口を閉じて、そのまま少し待った。喉の奥が、砂を噛んだみたいになっている。痛くはない。ただ、通っていない。
もう一度、吸った。
吸って、やめた。
やめたのは、続けても同じだと知っているからだった。ここから先は、何回やっても同じところで切れる。二節目の途中。毎朝そこだった。
喉が、熱くならなかった。
これも、毎朝同じだった。
振り返ったら、扉のところにイルゼさんが立っていた。
いつからいたのかは分からない。
「みおり様」
「あ、はい」
「殿下のお召し替えが済みました」
「はい」
その人は、それだけ言って、行きかけた。
行きかけて、止まった。
止まって、何か言おうとして、やめた。やめて、扉を閉めた。
私は、しばらくそこに立っていた。
声が出なくなったのは、冬だった。あれから、四か月になる。
最初の一月は、何も出なかった。次の一月で、短い言葉が出るようになった。それから、少しずつ。今は、喋るぶんには困らない。長く話すと掠れるけれど、日常はそれで足りる。
歌だけが、戻らない。
医者は「戻る」と言い、癒し手は「傷ではない」と言い、シリルさんは「分からない」と言った。三人とも本当のことを言っている。三人とも、私の役には立たない。
効いているかどうかも、分からない。
歌えていないので、確かめようがない。
城の中では、誰も歌の話をしなくなった。
最初のころは聞かれた。どうですか、と。何度か「まだです」と答えたら、そのうち、誰も聞かなくなった。気を遣われているのだと思う。
私は、それに助けられている。
助けられていることが、ときどき、居心地悪い。
昼を過ぎて、ティアと外へ出た。
中庭を横切って、城門のほうへ歩いた。門を通るわけではない。門のところに、この子が見たいものがある。
馬だった。
荷を積んだ馬車が、朝と夕に出入りする。ティアはそれを見るのが好きで、最近は毎日ねだられる。
柵の外から見ていた。
馬が四頭いた。荷を下ろしている人が三人。石畳に木箱が並んでいく。
「みおり」
「はい」
「あれ、なに」
「箱」
「なかは」
「分からない」
「きく?」
「聞かないよ」
「なんで」
「あの人たち、忙しいから」
ティアは納得しなかった。納得しないまま、しばらく見ていた。
見ていて、それから、私の袖を引いた。
「みおり」
「はい」
「うた、いつなおる」
私は、返事に詰まった。
この子は、こういうことを直接聞く。去年から変わらない。
「分からない」
「わからないの」
「うん」
「ふうん」
その子は、それ以上聞かなかった。
聞かずに、また馬を見た。
私は、その横に立っていた。
馬が一頭、首を振った。首につけた鈴が鳴った。小さい音だった。
その音を、私は聞いていた。




