↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第9章「星合の夜」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/57

第四節

 星合の夜は、朝から曇っていた。


 シリルさんが何度も空を見た。見るたびに顔が険しくなった。


「雲は、関係ありますか」


「あります。月が見えないと、重なりが確認できません」


「見えないと」


「起こせません。──ただ、重なりそのものは起きます。見えるかどうかの問題です」


 昼を過ぎて、風が出た。

 風が出て、雲が動いた。夕方には、西のほうが明るくなっていた。


 準備は、半日かかった。


 私は儀式の間にいた。することはなかった。線を引き直す人、灯りを配る人、何かを唱えて確かめる人。全部で二十人以上いた。


 神殿から来た人が半分だった。灰色の衣。その中に、ニクラスさんがいた。

 大神官様も来ていた。何も言わずに壁際に立って、作業を見ていた。


 夕方に、ティアが来た。

 イルゼさんに連れられて、扉のところまで。中には入らなかった。決まりだと言われたらしい。

 私は、扉のところまで行った。

 膝をついて、目の高さを合わせた。


「ティア様」


「みおり」


「うん」


 その子は、手に何か持っていた。

 板だった。手習いの、蝋を張ったやつ。


 差し出された。

 書いてあった。


 「みおり」


 それだけだった。私の名前が、一つ。字が大きすぎて、板いっぱいに書いてある。「り」が少し逆を向いていた。


「読める?」


「読める」


「わたしが、かいた」


「うん。上手」


「もっとかけるけど、はいらなかった」


「うん」


 私は、その板を受け取った。

 受け取って、両手で持った。


「ティア様」


「なに」


「あのね」


 言おうとして、言葉が出てこなかった。

 この子には嘘が通じない。分からない、とも言いたくなかった。前に一度、それで泣かせている。


「──ありがとう」


 それだけ言った。

 ティアは、しばらく私を見ていた。

 見て、それから、イルゼさんの手を掴んだ。


「かえる」


「殿下」


「ねる。もうねるじかん」


 まだ日が落ちていなかった。

 イルゼさんは何も言わずに、その子の手を握り直した。

 行きかけて、ティアが振り返った。


「みおり」


「はい」


「くさ、みずやる。あしたも」


「うん」


「あさっても」


「うん」


「わたしが、やるから」


 それだけ言って、その子は行ってしまった。

 私は、板を持ったまま、しばらく扉のところにいた。


 日が落ちた。

 鐘が鳴った。長く二回。


 この鐘を、私は一年聞いてきた。最初は意味が分からなくて、今は、聞くと体が終わりの形になる。

 鐘が鳴りやんで、しばらくして、シリルさんが言った。


「見えます」


 私は、空を見上げた。

 儀式の間は、天井の梁のあいだが開いている。そこから、細長い空が見えた。


 月が二つ。


 重なりかけていた。大きいほうの縁に、小さいほうが半分かかっている。ゆっくり動いていた。動いているのが分かるくらいの速さだった。


「あと四半刻ほどです」


「はい」


「ナナセ殿。円の中へ」


 私は、円の中へ入った。

 一年前と同じ場所だった。あの朝、私はここで膝をついていた。


 今日は、立っていた。

 外に、人が並んでいた。


 シリルさんが図面を持って、いちばん近くにいる。ニクラスさんが向かい側。大神官様が壁際。それから、団長さんとエルナさんが、扉のそばに立っていた。


 ユーリ様は、円の正面にいた。

 誰も、何も言わなかった。


 唱和がはじまった。


 灰色の衣の人たちが、同時に何かを唱えていた。意味は結ばない。詠唱だった。低い音が重なって、部屋の中で膨らんでいく。


 床の線が、光った。


 白かった。塗られた線そのものが光っている。内側の円から外側の輪へ、順番に。


 風がないのに、髪が動いた。


 喉のところが、熱くなった。


 私は、手を当てた。

 当てて、驚いた。ここ数か月、一度も熱くならなかった場所だった。


 円の中の空気が、揺れた。


 水面みたいだった。床の上に、薄い膜が張ったみたいに見えて、その膜の向こうに、何かが映りはじめた。


 最初は、色だった。


 白と、薄い黄色。それから、四角い形。


 窓だ、と分かった。

 保育室の窓だった。


 私は、動けなかった。


 床の上に、あの部屋があった。上から見下ろす角度で、全部が見えた。

 カーテンが引いてある。午睡の時間だった。布団が並んでいる。数えた。二十一。


 子どもが寝ている。


 顔は見えなかった。上からなので、頭しか見えない。それでも、寝相で誰か分かる子が何人かいた。いつも斜めになる子。壁にくっつく子。


 りっちゃんは、いちばん端だった。

 仰向けで、両手を上げて寝ている。あの子は昔からそうだった。


 オルガンの前に、人が座っていた。

 大野先生だった。


 その人が、弾きはじめた。

 音は、聞こえなかった。膜の向こうは、音を運ばない。それでも、指の動きが見えた。


 右手が、同じところで少し跳ねた。

 あのペダル。右のが軋むので、そこだけ強く踏む癖がつく。私も同じことをしていた。


 口が動いていた。

 歌っていた。


 何を歌っているのかは、聞こえない。聞こえないのに、口の形で分かった。


 つみきさん、おやすみ。


 私は、膝から力が抜けそうになった。

 あの人が、歌っていた。


 「七瀬さん、それ何の歌?」と聞いて、「作りました」と答えたら、へえ、と言った人が。


 覚えていた。覚えて、使っていた。


 子どもが、寝ていた。


 像が、少し動いた。


 角度が変わって、廊下が見えた。それから、園庭。園庭の向こうに門がある。


 門のところに、人がいた。

 女の人だった。走っていた。


 パンプスで走って、門の手前で止まって、髪を直して、それから普通の速さで入ってくる。

 りっちゃんのお母さんだった。


 時間が、たぶん、夕方に飛んだのだと思う。像は続いていなかった。切れて、別のところが映る。

 その人は、走っていた。


 一年前と、同じ走り方をしていた。

 私は、それを見ていた。


 見ながら、自分の体が冷たくなっていくのが分かった。

 変わっていなかった。


 一年経ったのかどうかも分からない。十年かもしれない。それでも、あの人は走っていた。


 像が、また切れた。

 次に映ったのは、職員室だった。


 白い光。少しちらつく。机が並んでいて、その上に書類が積んである。

 誰かが座っていた。誰かは分からない。背中しか見えない。


 その隣の机が、空いていた。

 書類が置いてある。積んである。誰も座っていない机の上に、仕事だけが置かれている。

 私の机だった。

 配置で分かった。窓から二番目。あの位置に、私は三年座っていた。


 誰も座っていない。


 でも、部屋は明るかった。

 午睡の子どもたちは寝ていて、歌は歌われていて、りっちゃんは口を開けて寝ていた。


 私がいなくても、あの部屋は回っていた。

 回っている。


 私は、それを見ていた。


 悲しくはなかった。


 悲しくないことに、驚いていた。


 むしろ、と思った。


 よかった、と思った。


 あの子たちは寝ている。歌が届いている。誰かが弾いている。私がいなくても、あの部屋には歌があって、子どもが寝ている。


 それでいい。


 そう思った。

 思ったところで、像を写している膜が少し波打った。


「ナナセ殿」


 シリルさんの声がした。


「重なりました」


 私は、空を見た。


 月が、一つになっていた。


「開いています。──いつでも、どうぞ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。