表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第9章「星合の夜」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
46/48

第一節

 屋敷まで、走った。

 馬車を待つと言われたけれど、待てなかった。団長さんも走った。雪が残っていて、二回滑った。二回目は転んで、腕を掴まれて起こされた。


 部屋には、人がいた。

 あの年配の女の人と、それから医者。二人とも寝台の横に立っている。


「どこですか」


 私は聞いた。声が掠れた。


「右手でございます」


 女の人が言った。


「わたくしが手を拭いておりました。指のあいだを拭いていたときに」


「動いた」


「握るように、ほんの少し」


 私は、寝台の横に膝をついた。

 セシリアさんの右手が、掛布の上に出ていた。細い。爪が短く切ってある。誰かが切っている。

 その手を、見た。


 動かなかった。


 医者が、私の後ろで言った。


「動くことは、あります」


「え」


「長く寝ておられる方は、時々こういうことが起きます。目が開くこともある。──眠っておられるからといって、体が止まっているわけではないので」


 私は、振り返った。


「じゃあ、これは」


「分かりません」


 医者は、正直な人だった。


「意味のある動きか、そうでないかを、私は区別できません。──ただ、この三年、この手が動いたのは初めてです」


 団長さんが、寝台の向こう側に立っていた。

 立ったまま、妹さんの手を見ていた。何も言わなかった。息が上がっているのが、こちらまで聞こえた。


「あの」


「なんだ」


「歌ってもいいですか」


 その人が、こちらを見た。


「声は」


「少しなら」


「無理はするな」


「はい」


 私は、手を取った。

 温かかった。前と同じだった。


 息を吸って、歌った。

 声はすぐに掠れた。掠れたところで止まって、また続けた。旋律にならない。音が飛ぶ。三年歌ってきた歌が、こんなに壊れた形で出るのは初めてだった。


 それでも、名前を呼んだ。

 セシリアさん、おやすみ。


 喉が、熱くならなかった。

 何も来なかった。ただ痛いだけだった。

 私は、最後まで歌った。


 指は、動かなかった。


 歌い終わって、手を離した。離してから、団長さんのほうを見た。

 その人は、まだ立っていた。


「済まん」


「え」


「走らせた。あなたの喉に、悪いことをした」


「いえ」


「動くかもしれんと、思ったのだ」


 その人は、そこで少しだけ笑った。

 笑ったというより、口の端が動いた。前にも見た顔だった。


「三年、期待するのをやめていた。──やめていたつもりだった」


 私は、何も言えなかった。

 言えないまま、セシリアさんの手を見ていた。

 動かない手だった。爪が短く切ってある。誰かが切っている。

 この手は、三年前に扉を押さえた。

 私は、それを思い出していた。


 年が明けた。

 この国の正月は、日が延びはじめる日だと聞いた。決まった日付があるわけではなく、神殿が決める。決まると鐘が鳴って、その日は誰も働かない。

 城下で火を焚くのだと、エルナさんが言った。


「明日、来なよ。あんた書あるんでしょ」


「あります」


「じゃあ一人でも通れるじゃん」


 その通りだった。

 でも、一人で門を通ったことはまだない。通れると言われても、通り方が分からない。


「一緒に行きます」


「そう言うと思った」


 火は、広場で焚かれていた。


 あの広場だった。井戸があって、預かり場があって、下手な子守唄を歌うおばあさんがいたところ。

 人が集まっていた。百人以上いる。子どもが走り回っていて、大人が酒を飲んで、誰かが弦を鳴らしていた。

 私は、その端に立っていた。

 エルナさんが、途中で誰かに捕まって、そのまま酒を飲まされていた。強い人だった。三杯飲んでも顔色が変わらない。


「ミオリ、飲む?」


「あの、私、弱いので」


「一口」


 一口飲んだ。喉が焼けた。別の意味で。

 咳き込んだら、周りの人が笑った。


 火のそばに、詰所の人たちがいた。

 半分くらいは知っている顔だった。ベルさんもいた。杖をついている。歩けるようになったらしい。

 その人が、私を見つけて、手を上げた。

 私も上げた。


 しばらくして、エルナさんが戻ってきた。手に椀を二つ持って、片方を押しつけてきた。今度は水だった。


「ミオリ」


「はい」


「今年、七人だって」


「はい。聞きました」


「私は昨日。団長が隊に読み上げた」


 その人は、火を見ていた。


「去年、二十六」


「はい」


「私さ、去年の正月、ここにいなかったの」


「え」


「東の詰所で、遺族に渡す荷物の仕分けやってた。正月に呼ばれて。──六人ぶん」


 火が、爆ぜた。

 誰かが薪を足したらしい。子どもが歓声を上げた。


「今年は、こうしてる」


 エルナさんは言った。


「今年も誰か死んでるけど。七人死んでる。でも、こうしてる」


「はい」


「これ、あんたのおかげだって、誰も言わないの」


 その人の声が、少し変わった。


「言わないんだよ。誰も。──だって、死ななかった人は、死ななかっただけだから。何も起きてないから」


「はい」


「腹立つ」


 言って、その人は椀の水を飲んだ。

 飲んで、それから、乱暴に袖で口を拭った。


「腹立つんだよ、私は」


 声が、途中で崩れた。

 私は、その人の顔を見た。

 泣いていた。泣きながら、怒っていた。


「あんた、来年もいるでしょ」


 私は、答えられなかった。

 答えられないことに、自分で驚いた。


「いるよね」


「エルナさん」


「いるって言って」


 火が大きくなって、そこにいた人たちの顔が明るくなった。


 子どもが誰かの膝に乗っている。おばあさんが座っている。ベルさんが杖を椅子に立てかけて、両手で椀を持っている。


 私は、その全部を見ていた。

 見ながら、まだ、答えられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ