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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第8章「冬の門」

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第四節

 声は、少しずつ戻った。


 十日目に、短い言葉なら出るようになった。長く喋ると、途中で掠れて、そこから出なくなる。歌えるかどうかは、試していない。


 試すのが怖かった。

 出なかったら、それで確定してしまう。


 塔から使いが来たのは、その翌日だった。

 行くと、シリルさんはいつもの部屋にいた。机の上に紙が広げてある。蝋板ではなかった。紙のほうが大きい。


「ナナセ殿。声は」


「少し、出ます」


「では、短く答えてください。私が長く話します」


 その人は椅子を勧めた。私は座った。

 いつもの、半歩ぶん近い距離だった。


「本日お呼びしたのは、検証ではありません。数の報告です」


「はい」


「今年の騎士団の死者数が確定しました」


 私は、顔を上げた。


「七名です」


 その人は紙を回して、こちらへ向けた。

 数字が並んでいる。読めた。左に月の名前、右に数。並び方が規則的で、下のほうに合計があった。


「昨年は二十六名。その前が二十二名」


「はい」


「今年、七名」


 私は、その数を見ていた。


「十九名、減っています」


 その人は、紙のもう一枚を出した。


「これは、あなたが同行した遠征と巡回の一覧です。二十回。そのうち、あなたが同行した回の死者はゼロ」


「はい」


「同行しなかった回の死者が、七名です」


 言葉が、そこで止まった。

 止まったのは、その人ではなかった。私の側だった。


「ナナセ殿」


「……はい」


「顔色が変わりましたが」


「あの、大丈夫です」


「大丈夫ではないと思いますが、続けます」


 その人は続けた。


「七名のうち、二名は先日の北の門です。三名は秋の東の遠征。残る二名は、夏の巡回です」


「はい」


「いずれも、あなたは別の場所にいました」


「はい」


「あなたが行けなかった場所で、人が死んでいます」


 私は、机の紙を見ていた。

 数字が並んでいる。並んでいるだけだった。名前は書かれていない。


「これは、あなたを責める資料ではありません」


 その人が言った。


「事実の並びです。──ただ、あなたはこれを見て、自分を責めると思います」


「はい」


「責めるべきではありません。あなたは一人しかいない。一人が同時に三つの門に立てないことは、算術の問題であって、あなたの落ち度ではない」


「はい」


「ですが、責めるなと言われて責めるのをやめられる人であれば、あなたはそもそも倒れていない」


 私は、少し笑いそうになった。

 笑うところではなかった。笑いそうになったのは、たぶん、この人がまったく気を遣っていないからだった。


「あの、シリルさん」


「はい」


「怒ってますか」


「なぜですか」


「言い方が」


「私はいつもこの言い方です」


 その通りだった。


「この数は、明後日の評定に出します」


 その人は、紙を指で押さえた。


「あなたには、先に申し上げました。──人前で初めて聞くのは、よくありませんので」


「はい」


 その人は紙を戻して、それから、別の紙を出した。


「もう一つ、報告があります」


「はい」


「あなたの印は、消えました」


 私は、頷いた。

 知っている。毎朝、鏡を見なくなった。見ても何もないので、見る理由がなくなった。


「ヴィムに測らせました。あなたが門から戻った翌日と、その五日後です。──いずれも、通っていません」


「通ってない」


「補助魔法が発動していません。ゼロです」


 言われても、意外ではなかった。

 声が出ないのだから、歌えない。歌えないのだから、効かない。それは分かる。


「ただし、これは平らな詠唱での結果です」


 その人は言った。


「歌については、測れていません。あなたが歌えないので」


「はい」


「ですので、力が失われたのか、声が出ないだけなのかを、私は区別できません」


「はい」


「分からないことを、分かるとは言いません」


 その人は、そこで紙を置いた。

 置いてから、初めて姿勢を変えた。椅子の背に少し体を預けて、指を組んだ。


「ナナセ殿。一つ、伺います」


「はい」


「これは記録のためです。答えたくなければ、答えなくて構いません」


「はい」


「あなたの力は、あってもなくても、世界を救いません」


 私は、その人を見た。


「今年七名死にました。来年も死にます。あなたが万全であっても、あなたは一人で、門は三つあり、村はもっと多い。──あなたの力は、死者の数を減らします。ゼロにはしません」


 その人の顔は、動いていなかった。


「これは、私が二百日ほど測って出した結論です」


「はい」


「あなたは、それを知っていましたか」


 私は、答えられなかった。

 知っていた。知っていたけれど、その形では考えていなかった。


 私は、いつも目の前の人しか見ていなかった。ティア。詰所の人たち。ベルさん。セシリアさん。ロレンツさん。一人ずつ数えて、一人ずつ見て、それで一日が終わっていた。


 全部を足したものを、私は見たことがなかった。


「知りませんでした」


「そうですか」


 その人は、頷いた。


「では、伺います」


 姿勢が変わらなかった。組んだ指も動かなかった。


「それでも、歌いますか」


 部屋が、静かになった。

 窓の外で、雪が降りはじめていた。細かい。積もらないやつだ。


 私は、口を開けた。


 開けて、閉じた。


 答えは、すぐに出そうな気がした。歌います、と言えばいい。それは本当だ。たぶん本当だ。

 でも、それを言うと、この人が書く。

 書かれたものは残る。残ったものを、私はあとで読むことになる。読んで、そのときの自分が同じことを思っているかどうか、私には保証できない。


「あの」


「はい」


「今は、答えられないです」


 その人は、少しのあいだ動かなかった。

 それから、机の紙を揃えて、束にした。


「よろしい」


 筆を取らなかった。


「答えなかったことを、記録しますか」


 私は聞いた。


「しません」


「なんでですか」


「答えていないものは、数値ではありませんので」


 その人は立ち上がって、棚のほうへ歩いた。

 歩いて、途中で止まった。止まって、こちらを向かずに言った。


「ナナセ殿」


「はい」


「私は、あなたが歌わなくなった場合の数値も、算出しています」


「はい」


「来年の死者は、二十四名から二十八名。おおよそ、元に戻ります」


 私は、その数を聞いた。


「それを、あなたに見せるべきかどうか、七日考えました」


「はい」


「見せれば、あなたは歌います。責任を感じて歌う。──それは、私が望む形ではない」


 その人は、棚に紙を戻した。


「ですので、今のは口頭です。書きません」


「あの」


「はい」


「言っちゃってますけど」


 その人が、止まった。

 止まって、こちらを向いた。眼鏡の奥の目が、少しだけ大きくなっていた。


「……そうですね」


「はい」


「失敗しました」


 その人は、そう言った。

 言って、それから、少しのあいだ、本当に困った顔をしていた。


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