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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第8章「冬の門」

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第二節

 南西門は、二重だった。

 外側の門扉が開いて、十人が出ていった。出ていったあと、内側の門が閉められた。閂が二本、上と下に。


 私は、その内側にいた。


 門と門のあいだは、思ったより狭かった。石の壁に挟まれた通路で、幅が荷車二台分くらい。上が空いている。見上げると、細長い空が見えた。

 門番が四人。それから、担架が二台と、桶が三つ。

 出る前に、ハウゼンさんが十人を並べた。


「名乗れ」


 それだけ言った。一人ずつ、私に向かって名前を言った。私は繰り返した。二回間違えて、二回やり直した。


「覚えたか」


「はい」


「では、行く」


 理由は言われなかった。聞かなくても分かった。この人は、南の遠征のことをどこかで聞いている。


「ナナセ殿」


 残っていた一人が言った。若い。私と同じくらいに見えた。


「ここから先へは出られません」


「はい」


「何があってもです。隊長からそう言われております」


「はい」


「──声は、届きます」


 その人は、門扉を指した。


「厚さ半尺の樫ですが、隙間があります。上と、下。それから、閂の穴」


「聞こえますか」


「向こうからは、聞こえます」


 私は、門の前に立った。

 立って、木に手を当てた。冷たい。表面がざらざらしていて、爪で押すと少しへこむ。

 外から、音がした。

 金属。走る足。それから、あの声。高くて、途中で割れる。


 膝が震えた。


 震えるのは、もう驚かなかった。震えたまま歌えることは、前に確かめてある。

 私は、木の板を外した。


 カン、カン、カン。


 三回。

 自分の声が、これから聞こえるという合図だった。

 息を吸った。


 歌った。


 つみきさん、おやすみ。くるまさん、おやすみ。


 狭い通路の中で、声がよく響いた。壁が近いからだと思う。反響が戻ってきて、自分の声が二重に聞こえた。


 外の音が、続いていた。


 私は、歌い続けた。


 名前を呼ぶところで、十人の名前を呼んだ。

 ハウゼンさん、おやすみ。ベルさん、おやすみ。トールさん、おやすみ。


 寝かせる歌で、戦っている人の名前を呼んでいた。

 変だった。変なのは分かっていた。


 それでも、私が持っているのはこれだけだった。


 どのくらい歌ったのかは、分からない。


 三番まで歌って、また最初から歌った。喉が熱くなって、熱いまま、しばらく続いた。途中で水を飲まされた。門番の人が椀を持ってきて、口元まで持ってきた。飲んで、また歌った。


 空の色が、少し変わった。


 外から、金属を叩く音がした。二回。

 門番が動いた。


「開ける!」


 閂が外された。


 内側の門が少し開いて、そこから人が入ってきた。二人が一人を担いでいる。


 私は歌をやめた。


 やめて、そちらを見た。


 担がれているのは、若い人だった。左の腿から下が赤い。布が巻いてあるけれど、巻いた上から染みてきている。


 担架に乗せられた。


「ベル、聞こえるか」


 ハウゼンさんの声だった。この人も戻ってきていた。肩で息をしている。


「隊長」


「返事ができるなら上等だ」


「これ、まずいですか」


「まずくはない」


 嘘だと分かった。


 私は、そばに行った。行って、膝をついた。


 血が石に溜まりはじめている。溜まる速さを、私は見た。園で、頭を切った子を見たことがある。あのときより、ずっと速かった。


「ナナセ殿。下がって」


「あの、押さえます」


「そうじゃない。血が」


「押さえます」


 布の上から、両手で押さえた。

 温かいものが、手のひらの下でどくどくしていた。押さえた瞬間に、その人が叫んだ。


「ごめんなさい」


「い、や、いいです、押さえて、ください」


 その人が、そう言った。

 言って、それから、目の焦点が動いた。


 動いて、止まった。


 止まったのが分かった。


 園でも、こういう瞬間を見たことがある。熱を出した子が、急に静かになる瞬間。あれと同じ形だった。


「ベル」


 ハウゼンさんが名前を呼んだ。


「ベル。返事をしろ」


 返事はなかった。


 肩が上下していた。上下しているのに、間隔が伸びていた。

 私は、手を押さえたまま、歌った。

 考えて歌ったのではなかった。歌うしかなかった。


 ベルさん、おやすみ。


 言ってしまってから、口が止まった。


 止まったのが、自分でも分からなかった。歌詞は決まっている。三年間、一度も変えたことがない。変える理由も、変え方も、私は知らない。


 知らないのに、次に出たのは違う音だった。


 ベルさん、おきて。


 喉が、焼けた。


 熱いのではなかった。焼けた。中から炙られているみたいに、痛みが上がってきた。

 声が、割れた。

 割れたまま続けた。


 ベルさん、おきて。おきて。おきて。


 旋律になっていなかった。区切りも音の高さも、めちゃくちゃだった。ただ、名前を呼んで、起きて、と言っていた。


 手のひらの下の、どくどくが、変わった。


 速くなった。

 速くなったのが分かって、私は続けた。喉が痛い。息が入らない。それでも、口が動いていた。


 ベルさんの肩が、大きく動いた。


 息が入った。


 入った音がした。汚い、掠れた音だった。

 それから、咳をした。何度も咳をして、それから、呻いた。呻き声が出た。


「ベル!」


「──痛ェ」


「上等だ」


 ハウゼンさんが、その人の額を叩いた。

 叩いてから、こちらを見た。

 私は、まだ押さえていた。押さえたまま、口を開けていた。開けているのに、声が出なかった。


 出そうとして、息だけが出た。


「ナナセ殿」


 誰かが言った。


「ナナセ殿、手を」


 誰かが私の手をどけて、代わりに押さえた。私は座り込んだ。座り込んで、自分の喉に手を当てた。


 痛い。


 触ると、痛かった。

 外で、また金属の音がした。今度は三回だった。


「片づいた」


 ハウゼンさんが言った。


「門を開けろ。残りを入れる」


 入ってきたのは、八人だった。

 私は数えた。数えて、担架のベルさんを入れて、九人。

 ハウゼンさんを入れて、十人。


 全員だった。

 誰も、欠けていなかった。


 人が動きはじめて、私はその真ん中に座っていた。立とうとして、立てなかった。膝が言うことを聞かない。


 誰かが外套をかけてくれた。

 私は、喉に手を当てたままだった。

 当てた指が、何か変だった。


 いつもと、感じが違う。触っている場所は同じなのに、皮膚の張り方が違う気がした。

 水を持ってきた門番の人が、私の顔を見て、それから、動きを止めた。


「ナナセ殿」


「はい」


 声が出なかった。息だけが出た。

 その人は、椀を置いて、腰から何かを外した。

 磨いた金属の板だった。手のひらより少し小さい。裏に紐がついている。


「壁の上から合図を出すのに使います」


 その人は言った。


「日が出ていれば、これで光を返せますので。──今は、こちらに」


 裏返して、磨いたほうをこちらへ向けられた。

 映った。

 白い顔。乱れた髪。それから、喉。


 線が、なかった。


 目を近づけた。近づけて、角度を変えた。

 鎖骨のところに、ごく薄い影のようなものが残っている。輪郭ではない。色がついているだけ。その先は、何もなかった。

 私は、金属の板を持ったまま、しばらく動かなかった。


 外で、日が落ちかけていた。


 二重の門のあいだの、細長い空が、橙になっている。

 誰かが「日没まで四半刻」と言った。誰かが「間に合ったな」と言った。

 担架が運ばれていく。桶が動く。血を流すために水が撒かれる。


 音は、全部聞こえていた。


 聞こえていたけれど、私は板から目を離せなかった。


ここまで澪里たちを見守ってくださってありがとうございます。

続きも一緒に見届けていただけたら、ブックマークしてもらえると嬉しいです。

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