第五節
次の評定の日取りは、決まらなかった。
冬が近いからだと、エルナさんが言った。この時期は遠征の割り振りと備蓄の勘定で、城じゅうが忙しい。人を集めて何かを決めるのは、雪が降る前か、明けてからになる。
つまり、私は宙に浮いたままだった。
職務は解かれていない。解く決定が出ていないだけで、外へ出す予定も組まれていない。ティアの部屋にいて、それ以外は何もない。
最初の何日かは、落ち着かなかった。
落ち着かないまま、七日目に、私は神殿へ行った。
誰にも頼まれていなかった。
イルゼさんに、行きたいと言った。イルゼさんは「どなたかのご用ですか」と聞いた。違います、と答えた。それだけで、使いが出た。
畑は、神殿の裏にあった。
思っていたより広い。畝が十いくつあって、半分は刈り取られたあとだった。残りに、丸くて硬そうな葉のものが植わっている。
ロレンツさんは、その端にいた。
しゃがんで、土に手を入れていた。近づいていくと、顔がこちらへ向いた。足音で分かったらしい。
「あの、ナナセです」
その人は頷いた。
それから、自分の横の地面を、手で二回叩いた。
座れということらしかった。
座った。土が冷たい。膝から冷えが上がってくる。
ロレンツさんは、また土に手を入れた。指を広げて、深く入れて、そのまま少し動かす。
私は、それを見ていた。
しばらくして、その人が手を出した。
こちらへ向かって、掌を上に。
私は自分の手を乗せた。乗せたら、その手を掴まれて、土のほうへ持っていかれた。
「あ」
入れさせられた。
冷たい。それから、湿っている。指を広げると、粒の大きさがばらばらなのが分かる。硬いところと、崩れるところがある。
ロレンツさんが、私の手を少し動かした。
畝の内側へ寄せる。そこは、さっきより柔らかかった。
それから、外側へ。硬い。
二回やられて、私はやっと分かった。
教わっていた。
「こっちが、柔らかいですね」
その人が頷いた。
私は、自分でもう一度やった。内側、外側。内側、外側。何度かやっているうちに、差がはっきりしてきた。
「あの、これ、水ですか」
頷いた。
「水が、内側に溜まってる」
また頷いた。
私は、そのまま手を入れていた。入れたまま、しばらく何も喋らなかった。
その人も、喋らない。喋れない。
喋らないまま、二人で土に手を入れていた。
その日から、五日に一度くらい通った。
鏡は、朝に一度だけ見る。
神殿へ通いはじめて、しばらく経ったころだった。襟を引いて、見て、それから、少し長く見た。
濃くなった気がした。
気のせいだと思った。前にも一度、そう思ったことがある。あのときは、思うことにしただけだった。
三日続けて見た。
三日目に、気のせいではないと思った。
鎖骨のあたり、いちばん先に薄くなったところ。そこに、線の端が戻っていた。細い。前の半分もない。それでも、前は何もなかった。
誰にも言わなかった。
言わなかったのは、隠したかったからではない。言うと、また外へ出す話になる気がした。
行くと、ロレンツさんはたいてい畑にいた。いないときは、部屋にいた。部屋にいるときは、ヨナさんとティルダさんが一緒だった。
三人とも、私が来ると木の実を出してきた。あの硬いやつだ。だんだん好きになった。
ヨナさんが、字を書いて見せてくれるようになった。
板に、細い棒で。ゆっくり書く。私が読めるように、一文字ずつ。それでも半分は分からなかった。分からないと首を振ると、ヨナさんは消して、もっと簡単な言葉に書き直した。
二歳児に話しかけるときの、私のやり方と同じだった。
やられる側になったのは、初めてだった。
城に戻ると、ティアの部屋に行く。
ある日、中庭を横切っていて、足が止まった。
石の隙間の草だった。
夜に一度見て、それきり忘れていた。まだあった。前より背が伸びて、葉が四枚に増えている。先の丸い葉。
しゃがんで見た。
根元のところで、石と石のあいだが少し欠けている。土がほとんどない。この草は、たぶん、ここではもう伸びない。
私は、それを掘った。
指で。爪のあいだに石の粉が入った。根が思ったより長くて、途中で切れそうになって、慌てて手を止めた。
厨房で鉢をもらった。割れて縁が欠けたやつを、いいですかと聞いたら、そんなものでよろしければ、と言われた。
土は、神殿からもらってきた。ロレンツさんの畑の、内側の柔らかいほうを。
ティアの部屋の窓辺に置いた。
「これ、なに」
「草」
「くさ」
「中庭に生えてたの」
ティアは鉢を覗き込んだ。それから、私を見上げた。
「なんのくさ?」
「分からない」
「わからないの?」
「うん。名前、知らない」
ティアは、しばらく葉を見ていた。
見て、それから、指で一枚つついた。優しくつついた。
「みずは」
「あげたほうがいいと思う」
「どのくらい」
「……分からない」
「わからないばっかり」
言われた。
その通りだった。
「じゃあ、しらべる」
ティアが言った。
「調べる?」
「イルゼにきく。イルゼ、なんでもしってる」
その子は走っていった。走るなと言う間がなかった。
しばらくして、イルゼさんを連れて戻ってきた。
イルゼさんは鉢を見て、葉を一枚つまんで、裏を返した。
「野の草でございます」
「はい」
「名前は、ございません。少なくとも、わたくしは存じません」
「そうですか」
「水は三日に一度で十分かと。この時期は、やりすぎると根が腐ります」
「三日」
「はい」
ティアが指を三本立てた。立てて、一本ずつ折った。
「みっつ」
「うん。三日に一回」
「わたしがやる」
「うん」
「わたしが、やる」
二回言った。
譲る気がないときの言い方だった。
冬が来た。
来た、というのが分かったのは、鐘の時刻が変わったからだ。
日没の鐘が、日ごとに早くなる。城の人たちは何も言わない。当たり前らしい。私だけが、夕方に驚いていた。
部屋の窓から見える街の煙が、増えた。
北の巡回が減って、南の遠征がなくなった。壁の外は雪が積もると動きにくく、魔獣も動きが鈍るのだと聞いた。そのぶん、雪の前に一度、大きな遠征が出る。
その話を聞いたのは、詰所の前を通ったときだった。
中から声が漏れていた。冬の門を、という言葉が聞こえた。
私は、立ち止まらずに歩いた。
自分の部屋に戻って、机に向かった。
紙を一枚出して、絵を描いた。
鉢の絵だった。葉が四枚。それから、水をやった日に印をつけられるように、丸を十個並べて描いた。三つおきに、少し濃く塗った。
明日、ティアに渡す。
渡したら、たぶん、全部の丸を今日塗ってしまうと思う。
それでもいい。




