第二節
半月ほどして、王城の広間へ呼ばれた。
人が多かった。三十人はいる。壁際に立っている人と、椅子に座っている人がいて、座っているほうが偉いのだと分かった。
中央が空いている。そこに立たされた。
右の列に、団長さんがいた。シリルさんもいた。左の列に、白い衣が並んでいる。いちばん前に、あの老人がいた。
ユーリ様は、いちばん奥の席にいた。目が合ったけれど、その人は何も言わなかった。言える場ではないのだと思った。
誰かが名前を読み上げた。
私の名前だった。ナナセ・ミオリ。読み上げたのは、白い衣の一人だった。
「大神官猊下より、申し立てがございます」
老人が、杖をついて前に出た。
最初に見たときより、少し痩せていた。それでも背筋は同じだった。
「ナナセ・ミオリ殿」
「はい」
「まず、確かめたい。あなたの首の印は、薄れているか」
息を吸ってから、答えた。
「はい」
「いつからか」
私は、そこで詰まった。
「……分かりません」
「分からぬ」
「数えていなかったので。気づいたのは、七十日くらい前です」
「その間、あなたは職務を続けたか」
「はい」
「薄れていることを、上に申告したか」
「……していません」
「いつ申告したか」
「五十日ほど前です」
言葉が、順番に置かれていった。
嘘はついていない。全部本当だった。本当のことを順番に並べられているだけなのに、並べ終わったときに、私は何か悪いことをした人になっていた。
「以上を踏まえ、申し上げる」
老人は、こちらに背を向けた。
広間の人たちのほうを向いて、喋りはじめた。
「印は、生まれつきのものである。生まれて三日のうちに神殿が記し、三度改める。それが我らの証の立て方だ。──この方には、記すべき初めがない」
誰も何も言わなかった。
「それでも、我らは黙ってきた。この方が王妃陛下の任を受け、王女殿下に仕え、騎士団に同行したことを、我らは止めなかった」
「猊下」
団長さんが口を開いた。
「止められましたか」
「止めなかったのだ、アッシュフォード殿」
老人は振り向かなかった。
「止めなかった理由は一つ。印があったからだ。証は立てられずとも、印はあった。あるものを、ないとは言えぬ」
その人は、そこで杖を持ち替えた。
「では、消えたものは、どうか」
広間が、静かになった。
「後から現れ、後から消える。──それを我らは何と呼べばよい。証と呼べぬことだけは、はっきりしている」
私は、下を向いていた。
下を向いたまま、その人の言っていることを頭の中でなぞっていた。
なぞって、その通りだと思った。
「猊下」
団長さんが立ち上がった。
「数の話をさせていただきたい」
「印の話をしている」
「印の話をされる前に、置いておきたいものがあります」
その人は、手に紙を持っていた。
「昨年、騎士団は二十六名を失いました。私の名で遺族に書いた手紙が、二十六通あります」
広間が、少し動いた。
「今年、この方が同行しはじめてから、私の隊で死者は出ていません。北の巡回も、南の遠征も」
「アッシュフォード殿」
「もう一つ。この方が同行した遠征で、負傷者は出ました。歩けなくなった者もいます。──その者は生きています」
団長さんは、紙を下ろした。
「猊下は、証がないと仰る。私は、書ける証を持っていません。誰も死ななかったことを、私は数字にできない。──ですが、書けなかった手紙の数なら、数えられます」
老人は、しばらく黙っていた。
それから、こちらを向かずに言った。
「否定はせぬ」
「猊下」
「否定はせぬ、と申した」
その人は杖を持ち替えた。
「この方の力は本物であろう。私はそう思っている。アッシュフォード殿の言うことも、おそらく正しい」
私は、顔を上げた。
顔を上げてしまってから、上げるべきではなかったかもしれないと思った。
「だからこそだ」
老人が、こちらを向いた。
「この国は今、消えかけている印に命を預けている」
私は、その言葉を受け取った。
受け取って、返せなかった。
「印が消えたとき、力が残るかどうかは誰にも分からぬ。分からぬまま、我らは配備を組み、この方を前提に隊を出す。──その日が来て、力が失われていたら、誰が死ぬ」
「猊下。数の話を続けてよろしいですか」
シリルさんだった。
「ヴァレンス殿か」
「私はこの方の出力を百五十日ほど測定しています。記録は蝋板で四十枚。熱の測定は二十日ごと、出力の記録は毎回取りました。写しを提出できます」
「数は結構」
「では、一つだけ申し上げます。──印が薄れてから、出力は落ちています。ですが、ゼロにはなっていません」
「落ちているのだな」
「落ちています」
「では、いずれゼロになるかもしれぬ」
「分かりません」
シリルさんが即答した。
「後から現れた例が一つもないので、比較する対象がありません。私は分からないことを分かるとは言いません」
「よろしい。誠実な答えだ」
老人は頷いた。
「分からぬものに、この国は寄りかかっておる」
その一言で、広間の空気が変わった。
椅子に座っていた何人かが、隣の人と何か言い交わした。声は聞こえない。聞こえないけれど、頷いている人が何人かいた。
「申し立ては二つ。一つ、ナナセ・ミオリ殿の職務を、すべて解くこと。二つ、王女殿下の御側から離すこと」
私は、そこで初めて顔を上げた。
「あの」
声が出た。
自分でも驚いた。三十人が一斉にこっちを見た。
「はい」
老人が言った。
「発言をお認めになりますか」
私は、頷いた。頷いてから、何を言うか決めていないことに気づいた。
決めていないまま、口を開いた。
「あの、消えるかもしれないものを当てにするのは、危ないと思います。それは、その通りだと思います」
誰かが息を吸う音がした。
「でも、あの」
言葉を探した。探しているあいだ、誰も何も言わなかった。
「消える前に外したら、その間に助かる人は、どうなりますか」
老人が、こちらを見た。
見て、口を開いた。
開いて、閉じた。
広間が、静かだった。私は自分の心臓の音を聞いていた。
「……その問いには」
老人が言った。
「答えを持っておらぬ」
「あの、すみません」
「謝るな」
その人は、杖を床に置き直した。
「謝るような問いではない。──だが、答えられぬからといって、危ういものが危うくなくなるわけでもない」
「はい」
「あなたは、いつまで持つ」
私は、答えられなかった。
答えられないことが、答えになっていた。
「そういうことだ」
老人はそう言って、また広間のほうを向いた。
勝ってはいなかった。分かっていた。それでも、あの人が一度黙ったことは、たしかにあった。
「では、二つ目について」
私は、もう一度口を開いた。
「ティア様のことは、別だと思います」
「理由を」
「あの子の世話に、魔法は使ってないので」
広間が、静かになった。
「ごはんを食べさせて、着替えさせて、遊んで、寝かせてます。──それは、印がなくてもできます」
「あなたの歌は」
「歌は、寝かしつけに使ってます。でも、効かなくなったら、背中を叩けばいいので」
言いながら、自分でも変なことを言っている気がした。
変なのに、途中で止められなかった。
「あの、三年やってきたので。その、向こうで」
言葉が、そこで音になった。
誰も聞き返さなかった。この場の誰も、私の職業の名前を知らない。
老人は、しばらく私を見ていた。
それから、杖を床についた。
「──申し立てのうち、二つ目は取り下げる」
広間が、少しざわついた。
「猊下」
「王女殿下の御身に関わることに、神殿は口を出さぬ。それは陛下の領分だ」
その人は、そう言って背を向けた。
「一つ目は、取り下げぬ。次の評定にかける」
それで、終わりだった。
人が動きはじめて、私は中央に立ったままだった。
団長さんが来た。シリルさんも来た。二人とも何か言おうとして、私はそれより先に言ってしまった。
「あの、大神官様の言ってること、正しいです」
二人が、止まった。
「私も、そう思います」
思いますけど、と続けようとして、やめた。
続きは、まだ言葉になっていなかった。




