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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第7章「声の戻る場所」

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第一節

 アッシュフォードの屋敷は、城下の西にあった。

 馬車で四半刻。私は初めて馬車に乗った。揺れがひどくて、途中で酔いかけた。


「大丈夫か」


「はい。あの、乗り物が」


「歩いたほうがよければ、降りる」


「大丈夫です」


 団長さんは、それきり何も言わなかった。

 あとで知ったことだけれど、屋敷までは歩いても四半刻だった。

 私が倒れたのは、ひと月も前ではない。


 屋敷は、思っていたより小さかった。

 石造りの二階建てで、庭に木が二本。塀が低い。三年前に建て直したのだと、来る途中で聞いた。前の家は、あの夜に壊れた。


 入り口で、年配の女の人が待っていた。

 団長さんが何か言うと、その人は頷いて、私を見て、頭を下げた。それから、先に立って歩いた。


 階段を上がって、廊下の突き当たり。

 扉の前で、団長さんが止まった。


「ナナセ殿」


「はい」


「何も起きんかもしれん」


「はい」


「起きなくていい」


 その人は、扉を開けた。


 部屋は明るかった。

 南向きの窓が二つ。両方とも開いていて、風が入っている。花が活けてあった。萎れていない。誰かが毎日替えている。


 寝台が一つ。

 その上に、眠っていた。

 小さい。十七だと聞いていたのに、もっと小さく見えた。腕が細くて、手首の骨が浮いている。髪は短く切ってあった。整えるために切ったのだと思う。


 目は、閉じていた。

 私は、扉のところで立っていた。


「セシリア」


 団長さんが言った。


「客を連れてきた」


 返事はない。

 その人は寝台の横まで行って、椅子に座った。座って、妹さんの手を取った。取り方が、慣れていた。


「ナナセ殿。近くへ」


 私は近づいた。

 近づいて、寝ている人の顔を見た。

 目のあたりが、少し似ている気がした。似ていると思うのは、兄だと知っているからかもしれない。


 息をしている。

 胸が、ゆっくり上下していた。眠っている子の息とは違う。もっと浅くて、規則的すぎる。


「触ってもいいですか」


「ああ」


 手に触れた。

 温かかった。

 それに、少し驚いた。眠っているだけの人と、同じ温度だった。


「セシリアさん」


 声をかけた。

 返事はない。返事がないのは分かっていた。分かっていても、名前を呼ぶところから始めるのが、私のやり方だった。


「はじめまして。七瀬澪里です」


 窓の外で、木の葉が鳴った。


「あの、今から歌を歌います。……嫌だったら、ごめんなさい」


 私は椅子を引いて、寝台の横に座った。

 団長さんが少し場所を空けてくれた。空けたところに座って、手を握ったまま、もう片方の手を掛布の上に置いた。

 背中は叩けない。仰向けだから。

 だから、掛布の上から、胸のあたりに手を当てた。上下しているのが分かる位置に。


 息を吸った。

 歌った。


 つみきさん、おやすみ。くるまさん、おやすみ。


 寝かせる歌だった。この人はもう三年寝ている。それでも、私が持っているのはこれだけだった。

 喉のところが、熱くなった。

 いつもより、少し弱い気がした。気のせいかもしれない。気のせいだと思うことにした。


 一番を歌い終わって、二番に入った。

 手のひらの下で、胸が上下している。速さは変わらない。

 三番まで歌った。


 歌い終わって、そのまま待った。

 何も起きなかった。


 もう一度歌った。

 今度は、名前を変えた。この人が好きだったものを知らないので、部屋にあるものを呼んだ。花。窓。それから、この人の名前も呼んだ。


 セシリアさん、おやすみ。


 三番まで歌った。

 指は動かなかった。まぶたも動かなかった。息の速さも、最初から最後まで同じだった。


 私は、手を離せなかった。

 離すと、終わってしまう。


「ナナセ殿」


「もう一回、いいですか」


「──ああ」


 三度目を歌った。

 途中で、声が掠れた。掠れたところで少し止まって、また続けた。

 最後まで歌った。


 何も起きなかった。


 私は、手を離した。

 離してから、握っていたところを見た。少し赤くなっていた。強く握りすぎていた。


「すみません」


 言葉が、勝手に出た。


「すみません、あの、私」


「ナナセ殿」


「もう少し、うまくやれば」


「ナナセ殿」


 その人が、立ち上がった。

 立ち上がって、私の前に来た。近い。見上げる形になった。


「ありがとう」


 言われた。

 その言葉が、体のどこにも入らなかった。


「あの」


「三年で、この部屋に人を呼んだのは初めてだ」


「はい」


「妹に、外から来た声を聞かせたのも初めてだ」


「でも、何も」


「起きなくていいと言った」


 その人は、そう言った。

 言い方に、嘘がなかった。嘘がないのが、いちばんつらかった。


 私は、下を向いた。

 下を向いて、そこで初めて、自分が泣きそうになっているのに気づいた。

 泣く場面ではなかった。


 この部屋で泣いていい人間は、私ではない。私はさっき来たばかりで、この人は三年ここにいる。

 だから、こらえた。

 こらえたのが、たぶん、顔に出ていた。


「ナナセ殿」


「はい」


「泣くな。……いや」


 その人は、困ったような顔で少し笑った。


「泣かれると、私が泣いてしまう…」


 私は、顔を上げた。

 その人は、こちらを見ていなかった。窓のほうを見ていた。窓の外の、木のあたりを。

 しばらく、二人とも黙っていた。


 風が入って、花が少し揺れた。


「あの」


「なんだ」


「また、来ていいですか」


 その人が、こちらを向いた。


「効かんぞ」


「はい」


「今日で分かっただろう。効かん」


「はい」


「それでも来るのか」


 私は、頷いた。


 理由はうまく言えなかった。効くと思っているわけではない。効かないと分かっている。分かっているのに、この部屋に誰も来ないというのが、私には引っかかっていた。


「あの、三年、一人でしたよね」


「──ああ」


「私も、来ます」


 その人は、返事をしなかった。

 返事の代わりに、椅子を一つ、寝台の横へ動かした。

 私が座っていた椅子を、そこへ置いた。

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