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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第6章「薄れる証」

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第五節

 休むというのは、退屈だった。

 十日やって、それだけは分かった。


 朝に起きる。ティアの部屋へ行く。昼寝のあいだ、何もしない。何もしないでいるのは難しいので、私は窓のところに椅子を出して、外を見ることにした。

 見ていると、いろいろなものが通る。荷車、洗濯物、犬。壁の上を歩く人。


 三日目に、荷車が何を運んでいるのかが分かるようになった。五日目には、洗濯物を干す人が二人いて、片方のほうが速いことに気づいた。速いほうは、干す前に一度、布を振る。


 どうでもいいことばかりだった。

 どうでもいいことを、私はずっと見ていた。


 夜は、まだ眠れなかった。

 その夜も眠れなくて、私は部屋を出た。

 廊下は暗い。灯りが等間隔に置いてあって、そのあいだが暗い。誰にも会わずに階段を降りて、中庭へ出た。


 空気が冷たかった。

 季節が変わりかけている。来たときは春だったのだから、もう秋なのだと思う。この国の季節の呼び方を、私はまだ習っていない。


 中庭の隅に、草が生えていた。

 石の隙間から出ている。誰かが植えたのか、勝手に生えたのかは分からない。しゃがんで見た。細い葉が三方に出ていて、先が少し丸い。名前は知らない。


 知らないまま、しばらく見ていた。

 中庭の端に、灯りが一つあった。

 詰所だった。

 扉が開いている。中から光が漏れて、石畳に細長い形を作っていた。

 近づいた。近づいてから、入っていいのか分からなくなって、扉の前で止まった。


「入れ」


 中から声がした。

 団長さんは、机にいた。

 書きものではなかった。何も広げていない。椅子に座って、机の上で手を組んで、そのままの姿勢でいた。


「あの、すみません。灯りが見えたので」


「構わん。座れ」


 私は、いつもの椅子に座った。

 机を挟んで、少し離れたところ。前に紙を拾ったときの位置だった。


「眠れんのか」


「はい」


「そうか」


 それきり、しばらく何も言わなかった。

 窓の外で、風が音を立てていた。詰所の中は静かで、松明が一本だけ燃えていた。燃える音がする。


「団長さんは」


「なんだ」


「眠れてますか」


「今日は寝た」


「ほんとですか」


「二刻ほどな」


 二刻。

 私が寝ている時間の、三分の一もない。


「あなたに歌ってもらった日から、少し寝られるようになった」


「え」


「毎日ではない。三日に一度くらいだ」


 その人は、机の上の手を少し動かした。


「不思議なものでな。歌ってもらったのは一度だけなのに、あの晩のことを思い出すと眠れる」


「あの」


「効いているわけではない。そういう話ではない。──ただ、あれで眠られたという事実が、頭のどこかに残っている」


 私は、返事の仕方が分からなかった。

 分からないまま、下を向いた。

 顔に出ていないといいと思った。


「ナナセ殿」


「はい」


「三年前の話をしてもいいか」


 急だった。

 私は、頷いた。


「壁が破られた夜、というのが、この城では通る言い方になっている」


「はい」


「正確ではない。魔獣は壁を越えられん。登れんのだ。──あれは、外壁の東側に破損があって、そこから入った」


 その人は淡々と喋った。


「破損は、三月前から報告が上がっていた。予算がつかず、修繕が延びていた。私は当時、副団長だった。報告を読んで、順番待ちだと聞いて、そうかと言った」


「はい」


「そうか、と言った……」


 二回目のほうが、少し低かった。


「入ったのは、中型が七頭。夜中だ。東の区画は職人の町で、家が密集している。──二十二人死んだ」


 二十二。

 私は、その数を頭の中に置いた。詰所の壁の、隣のほうの列を思い出した。


「うち、十四人が子どもだ」


 松明が、少し爆ぜた。


「騎士は、一人も死んでいない」


「え」


「あの夜、東へ入ったのは私を入れて八人だ。七人は、今も私の隊にいる」


 その人は、そこで言葉を切った。


「誰も死ななかった。──我々は、誰も」


 私は、何も言えなかった。


「私の家は、東の区画にあった」


 その人は、そこで初めて手を解いた。

 解いて、机の縁を掴んだ。


「妹がいる」


「はい」


「セシリアという。当時十四だ。──あの晩、近所の子どもを三人、家の中へ入れた。入れて、扉を押さえた」


 私は、口の中が乾くのを感じた。


「子どもは無事だった。三人とも生きている。今は十七、十六、十四になる」


「妹さんは」


「生きている」


 その人は言った。


「生きているが、目を覚まさない」


 風が、また鳴った。


「頭を打った。扉ごと倒されたときに。癒し手が来たのは、明け方だ。──癒しは、新しい傷にしか効かん。夜のうちに閉じるべきものが、朝には閉じなくなっていた」


「はい」


「三年、眠っている。息はしている。食べ物は流し込めば飲む。目は、開くこともある。開いても、何も見ていない」


 私は、何を言えばいいのか分からなかった。

 分からないので、黙っていた。黙っているのが正しいかどうかも分からなかった。


「私が、あの日に修繕を急がせていれば」


「あの」


「言うな。それは何度も言われた」


 その人は、机の縁から手を離した。


「言われて、その通りだと思い、それでも変わらん。──そういうものだ」


 松明が短くなっていた。

 その人は立ち上がって、新しいのを取ってきた。取り替えて、また座った。座るまでのあいだ、こちらを見なかった。


「ナナセ殿」


「はい」


「なぜ私が眠らんか、分かるか」


「あの」


「寝ると、朝が来る。朝が来ると、また一日、妹は目を覚まさん」


 私は、膝の上で手を握った。


「三年、それをやってきた。──あなたが来て、私は一晩寝た。寝て、朝が来て、妹は目を覚まさなかった」


「はい」


「当たり前だ。当たり前なのに、腹が立った」


 その人は、そこで少しだけ笑った。

 笑ったというより、口の端が動いた。


「自分に、だ」


 私は、頷いた。

 頷くしかできなかった。


「あの」


「なんだ」


「聞いていいですか」


「ああ」


「妹さんは、歌が好きですか」


 その人が、こちらを見た。

 まっすぐ見られた。目が合ってから、逸らせなくなった。

 長かった。

 その人は、しばらく何も言わなかった。それから、机の上に両手を置いた。


「──ナナセ殿」


「はい」


「前に一度、頼みがあると言って、やめた」


「はい。覚えてます」


「あのときは、言うべきではないと思った。あなたは自分の体を数えていない人だったからだ」


「はい」


「今も言うべきではないのかもしれん。あなたは倒れたばかりだ」


 その人の手が、机の上で少し動いた。

 動いて、止まった。


「それでも、言う」


 私は、待った。


「妹に会ってやってくれないか」


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