第四節
五日目に、呼ばれた。
通されたのは、日当たりのいい部屋だった。
窓が大きくて、床に光の四角が落ちている。低い机と、丸い椅子。子どもの背に合わせた椅子。
初めてここに来た日と、同じ部屋だった。
あの日と同じ、子ども用ではないほうを勧められた。
「顔色が戻りましたね」
王妃陛下が言った。
「はい。ご心配をおかけしました」
「心配はしました。ただ、驚きはしていません」
その人は自分の前の茶器を持ち上げて、一口飲んだ。私の前にも同じものが置かれていた。まだ湯気が出ている。
「あの子が、毎朝あなたの部屋の前に座っていました」
「はい」
「三日続けて座っていたので、四日目に、私が抱えて連れ帰りました。泣かれました」
「すみません」
「謝らないでください。あれは、あの子の仕事です」
仕事、という言い方をされた。
私は、意味を測りかねた。
「ミオリ。少し、昔の話をします」
「はい」
「私はこの城に来て、二十数年になります。子を四人産みました。上の二人は乳母に預けました。三人目も同じです」
「はい」
「四人目だけ、預けませんでした」
その人は茶器を置いた。
「上の三人のとき、私は自分の子どもの好きな食べ物を知りませんでした。誰かが知っていました。私ではない誰かが」
窓の外で、鳥が鳴いた。
「それが正しいことだと、当時は思っていました。私には他にやることがあり、あの子たちには世話をする者がいた。誰も困っていない」
「はい」
「上の子が七つのとき、熱を出しました。夜に呼ばれて行ったら、私を見て、泣きやみませんでした」
その人の話し方は、変わらなかった。
明快なままだった。明快なまま、そこだけ少し遅くなった。
「乳母が来たら、泣きやみました」
「……はい」
「それが正しいことだと、当時も、今も思っています。あの子は、自分を安心させる人間を正しく選んだ。──ただ、私はそこにいなかった」
私は、茶器に手を伸ばして、伸ばした手を戻した。
何を言えばいいのか分からなかった。
「ティアのときには、私はもう若くありませんでした。だから、預けないことにした。それだけの話です」
「はい」
「ミオリ。あなたをティアに就けたとき、私が何を考えていたと思いますか」
私は、答えを持っていた。
持っていたけれど、言えなかった。
「……あの、私が」
「はい」
「戦えないので」
「ええ」
その人は、否定しなかった。
否定されなかったことに、私は少し身構えた。
「あなたは戦えません。それは事実です。だから、戦う場所には置けない。──ここまでは、あなたの思った通りです」
「はい」
「では、なぜ、私の子に就けたのですか」
私は、口を開けた。
開けたまま、しばらく止まった。
考えたことがなかった。戦えない人間の置き場所として、子どものお守りが選ばれた。そこで思考が終わっていた。
その先を、考えたことがなかった。
「ミオリ。この城には、あなたを置ける場所がいくつもありました。書庫。裁縫。厨房。庭。どれもあなたを傷つけない場所です」
「はい」
「私はそのどれにも置きませんでした」
その人は、椅子の背に少し体を預けた。
「私が四人目を手放さなかったのは、代わりがいなかったからではありません。代わりを立てられる立場にいて、立てなかった。──それが、私がこの二十数年でやった中で、いちばん重い決断です」
私は、その言葉を追いかけていた。
追いかけて、意味に届く手前で止まった。
届きそうな気がして、届かない。
「あの」
「はい」
「私、それを、任されたってことですか」
「そうです」
あっさり言われた。
「あなたは既に、この国でいちばん重い仕事をしています」
私は、下を向いた。
膝の上で、手が組まれていた。組んだ覚えがなかった。
「あの、でも」
「はい」
「私、それだけじゃ足りないと思って」
「知っています」
「北にも行って、南にも行って」
「知っています。止めませんでした」
その人は、そこで一度、息を吸った。
「止めるべきでした。私が任じた者を、他所へ貸したのは私です。──あなたの喉のことは、私の落ち度でもあります」
「そんな」
「ミオリ」
「はい」
「あなたは、人に何かをしてもらったとき、必ず、そんな、と言いますね」
言われて、初めて気づいた。
「それは、断りの言葉です」
私は、返事ができなかった。
その人は、待たなかった。
「受け取ってください。私が悪かったのです」
言い切られた。
言い切られると、返す先がなくなる。私は膝の上の手を見ていた。
「……はい」
「よろしい」
その人は茶器を持ち上げて、また一口飲んだ。
「ミオリ。休むのが分からないと言ったそうですね」
イルゼさんが伝えたのだと思った。
「あの、変なことを」
「変ではありません。分からないなら、教えます」
「教える」
「ええ。この国の者は、みな教わっています」
その人は窓のほうを指した。
「日が落ちたら終わる。壁の外へ出ない。子どもは区画で育てる。──あれは全部、教わって覚えたものです。誰も生まれつき知っているわけではない」
「はい」
「あなたは、教わらずにここまで来ました。だから知らない。それだけのことです」
「あの」
「はい」
「教わると、できるようになりますか」
「なりません」
即答された。
「ですが、できないと分かるようになります。分かれば、人に頼めます」
窓の外で、また鳥が鳴いた。
鳴いてから、別の音がした。廊下を走る音だった。小さくて、速い。
扉が開いた。
「みおり!」
ティアが飛び込んできた。
止める人がいなかったらしい。まっすぐ来て、私の膝にぶつかった。ぶつかって、そのまま服を掴んだ。
「起きた?」
「うん。起きたよ」
「もう、たおれない?」
私は、返事に詰まった。
詰まってから、この子には嘘が通じないことを思い出した。
「分からない。でも、倒れないようにする」
「ふうん」
ティアは納得したらしかった。
納得して、それから、王妃陛下のほうを見た。
「かあさま。みおり、かりていい?」
「借りるのではありません」
その人は言った。
「あの人は、あなたのところの人です」
ティアが私を見上げた。
私は、どういう顔をしていいのか分からなかった。




