第三節
仕事が、なくなった。
北の巡回がなくなり、南の遠征がなくなり、塔の検証もなくなった。残ったのはティアの部屋だけだった。
朝にティアの部屋へ行く。一日一緒にいる。夜、寝かせる。それで終わり。
三日目には、手が余っていた。
ティアは昼寝をする。そのあいだ、私は何もすることがない。前はその時間に塔へ行っていた。前、というのがまだ三日前なのに、ずいぶん昔のことに思えた。
私は、部屋を片付けた。
指人形を数えて、破れたのを直した。積み木を拭いた。手習いの板の蝋を張り直した。棚の上の埃を取った。
二日でやることがなくなった。
厨房へ行った。
「あの、何か手伝えることは」
「みおり様が?」
「はい」
「とんでもございません」
洗濯場へ行った。同じことを言われた。
詰所へ行ったら、エルナさんに追い返された。
「何しに来たの」
「あの、飴を」
「作らなくていい」
「でも、みなさん欲しいって」
「あれは冗談。真に受けなくていいの」
その人は私の肩を掴んで、扉のほうへ向けた。
「作りに来る場所じゃないから、ここ。あんたが来ると、みんな作らせちゃうから」
部屋に戻った。
紙を出して、指人形を作った。ティアの分はもうある。作っても渡す相手がいない。作りながら、それが分かっていた。
夜、眠れなかった。
目を閉じると、頭の中で予定が動く。明日は何をするか。明後日は。動かして、どこにも予定がないことに行き着いて、それで目が開く。
その繰り返しを、たぶん、八日か九日やった。
たぶん、というのが、自分でも嫌だった。
倒れたのは、中庭だった。
朝の鐘のあと、ティアの部屋へ行く途中だった。石段を三段上がったところで、音が遠くなった。
遠くなる、というのが正確だと思う。急に暗くなったのではなくて、周りの音が水の中みたいになって、それから、視界の端が白くなった。
膝をついた覚えはある。
そこから先は、覚えていない。
目が覚めたら、天井だった。
自分の部屋の天井だった。梁の位置で分かる。窓が明るい。朝なのか昼なのかは分からなかった。
「みおり様」
イルゼさんの声がした。
顔を横に向けた。首が重い。
「あの」
「お待ちください。今、水を」
起き上がろうとしたら、肩を押さえられた。強くはなかった。強くなかったのに、動けなかった。
水を飲んだ。飲んでから、聞いた。
「私、どのくらい」
「昨日の朝から、丸一日でございます」
「一日」
「はい」
「ティア様は」
「殿下は、今朝からずっと扉の外においででした。先ほど、陛下がお連れになりました」
私は、天井を見た。
「あの、行かないと」
「どちらへ」
「ティア様の」
「みおり様」
イルゼさんが、椀を置いた。
「本日は、お休みくださいませ」
その言葉が、うまく入ってこなかった。
休む。
言葉は分かる。休むというのは、仕事をしないことだ。仕事をしないと、何をするのかが分からない。
夕方までに、何人か来た。
エルナさんが最初だった。入ってくるなり、寝台の横に椅子を引いて、どかっと座った。
「ばか」
「はい」
「ばかでしょ」
「はい……」
「返事が早い」
その人は水差しを勝手に持ち上げて、勝手に注いで、勝手に飲んだ。
「団長が飛んできてさ、あんたの部屋の前で立ち止まって、それでどうしたと思う」
「どうしたんですか」
「入らなかった。医者が中にいるからって、廊下で待ってた。四刻」
「四刻」
「立ったまま」
私は、それを想像した。
「馬鹿でしょ、あの人も」
エルナさんは自分の膝を叩いて、それから、少し声を落とした。
「ミオリ。私さ、あんたに言ったよね。働きすぎだって」
「はい」
「あれ、言っただけだった」
「え」
「言って、それで終わりにした。──あんたの予定表、私も見てた。北の割を組んだの、私だし」
「エルナさんは」
「うん」
「エルナさんのせいじゃないです」
「そういうとこ」
その人が、私を指さした。
「そういうとこだって言ってんの」
私は、口を閉じた。
シリルさんは来なかった。代わりに、ヴィムさんが来た。
蝋板を一枚と、包みを持っていた。
「師から、これを」
包みを開けたら、飴だった。
私が作ったものではない。もっときれいな形をしている。城の菓子だった。
「あの、これ」
「甘いものは疲労に効くと、師が。──ご自身では来られません。研究の相手として関わった以上、見舞いは筋が違うと」
「そう、ですか」
「ですが、朝から三度、私に様子を聞かれました」
ヴィムさんは頭を下げて、帰っていった。
夜になって、イルゼさんが夕食を運んできた。
半分残した。残したのが分かったので、次からは最初から半分にしてくださいと言おうとして、やめた。
「イルゼさん」
「はい」
「明日は、行っていいですか」
「どちらへ」
「ティア様の部屋に」
「殿下は、みおり様がお元気になるのをお待ちです」
「だから、明日」
「明日はまだ、です」
「明後日は」
「お体と相談でございます」
私は、寝台の上で膝を抱えた。
抱えて、しばらく黙っていた。
「あの」
「はい」
「休むって、何をするんですか」
イルゼさんが、盆を持つ手を止めた。
「何も、なさらないことでございます」
「何も」
「はい」
「一日中ですか」
「一日中でございます」
私は、それを頭の中でやってみた。
朝起きて、何もしない。昼になって、何もしない。夜になって、寝る。
できなかった。
想像の中で、私は途中で必ず何かをしていた。紙を切っているか、部屋を片付けているか、誰かのところへ行こうとしているか。
「イルゼさん」
「はい」
「休んだら、私は何ですか」
言ってから、変な質問だと思った。
思ったけれど、取り消せなかった。
イルゼさんは、盆を机に置いた。置いて、こちらを向いた。
「みおり様は、みおり様でございます」
「あの、そうじゃなくて」
「はい」
「私、何もしてないと、ここにいる理由がないので」
その人は、何も言わなかった。
言わずに、寝台の横まで来て、掛布の端を直した。それだけをした。
「あの」
「はい」
「変なこと言いました。すみません」
「いえ」
「今のは、忘れてください」
「忘れません」
はっきりした声だった。
それだけ言って、その人は手燭を持って、部屋を出ていった。
私は、しばらく天井を見ていた。
喉に手を当てた。線は、まだあった。薄いけれど、ある。
あるうちは、大丈夫だ
。
そう思ってから、いま自分が何を考えたのかに、少し遅れて気づいた。
あるうちは大丈夫、というのは、なくなったら駄目だということだった。




