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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第6章「薄れる証」

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第二節

 次の日、私は詰所へ行った。

 朝いちばんだった。十人以上がいた。入っていくと、何人かが手を上げた。


「あ、ミオリ」


「ミオリ、こないだの飴また作ってよ」

「作ってくれるって言った?」

「言ってねえけど」


 いつも通りだった。

 いつも通りなのが、逆にやりにくかった。


「あの」


 声が小さすぎて、誰も気づかなかった。

 もう一度、少し大きく言った。


「あの、団長さんに、お話が」


 奥の机から、団長さんが顔を上げた。

 それだけで、部屋が静かになった。この人たちは、こういうことに慣れている。


「ここでよいか」


「あの……」


「外へ出るか」


「……ここで、いいです」


 私は襟に手をかけた。

 かけて、少し止まって、それから引いた。

 誰も何も言わなかった。

 言わなかったので、私は続けた。


「十日くらい前から、薄くなってます。たぶん、もっと前からだと思います。数えてなかったので」


 エルナさんが立ち上がった。

 立ち上がって、こっちへ来て、私の喉のところを見た。近くで見た。

 それから、後ろに下がった。


「団長」


「うむ」


「あの、これ」


「見えている」


 団長さんは机から離れて、私の前に来た。

 私は襟を戻そうとした。戻す前に、その人が言った。


「そのままで」


 見られた。

 長くはなかった。十も数えないうちに、その人は視線を外した。


「痛みは?」


「ないです」


「歌えるか」


「歌えます。効いてるかは、分からないです」


「そうか」


 その人は、それだけ聞いた。

 それから、机に戻って、紙を一枚引き寄せた。何かを書いた。書きながら喋った。


「今日から、外へは出さん」


「え」


「北も南も、街道もだ。しばらく城から出るな」


「あの、でも」


「ダール」


「はい」


「北の巡回、来月の割を組み直せ。ナナセ殿を抜いた形で」


「はい」


 早かった。

 私が何か言う前に、話が終わっていた。


「あの、団長さん」


「なんだ」


「まだ、効くと思います」


「効くんだろうな」


「じゃあ!」


「効くから出す、というのを、私はもうやらん」


 その人は筆を置いた。


「三年やった。去年だけで六人だ」


 言い方が、私に向いていなかった。

 私は、少し黙った。それから、言おうとしていたことを言った。


「私が言わなかったのは、隠したかったからです」


「知っている」


「あの、悪いのは」


「あなたではない」


 その人は、机の上で手を組んだ。


「言えば外されると、あなたは思った。──そう思わせたのは、こちらだ」


 部屋の誰も、何も言わなかった。

 私は、頭を下げた。下げてから、下げる場面ではなかったかもしれないと思った。


 塔へ行ったのは、午後だった。

 シリルさんは、いつもの部屋にいた。入っていくと、蝋板を開いて、私を見た。


「本日は検証日ではありませんが」


「はい」


「何か」


 私は襟を引いた。

 その人は、動かなかった。


 動かずに、しばらく私の喉を見ていた。それから、蝋板を膝の上に置いて、机の引き出しを開けた。

 中から、束を出した。

 蝋板が十枚以上あった。それを机に広げて、一枚ずつ日付を確かめていく。指が速い。並べ替えて、また並べ替えて、四枚を横一列にした。

 並べた四枚の右に、板一枚ぶんの隙間を空けた。


「ナナセ殿」


「はい」


「この四枚は、あなたの熱の記録です」


「はい」


「初回が、百日前。以降、二十日ごとに測っています。最初の二枚はヴィムが測ったものです」


 その人は三枚目を指した。


「ここで、上がりが鈍っています。当時は測定の誤差と判断しました」


 四枚目を指した。


「ここでも鈍っている。二回続けば誤差ではない」


 それから、その人は手を止めた。

 止めて、空けた隙間には触れなかった。


「五枚目は、ありません」


「あの」


「二十日前、あなたは測定を断りました。私は測らなかった」


「私が」


「私が退きました」


 その人は蝋板から手を離した。


「あのとき私が測っていれば、六十日前から始まっていたことに、二十日早く気づけた」


 声が、少し変わっていた。

 変わったと分かるくらいには、私はこの人の声を聞いていた。


「シリルさん」


「はい」


「あれは私が」

「配備の案を作ったのは私です」


 言葉が重なった。

 その人は続けた。


「月に十六日。あれは正しい案です。今でも正しいと思っています。──あなたの力を最大に使う形として、あれ以上のものはない」


「はい」


「正しい案が、対象を削った」


 その人は蝋板を集めはじめた。

 一枚ずつ重ねて、揃えて、それを引き出しに戻した。全部戻して、引き出しを閉めた。


「検証を止めます」


「え」


「配備の案も撤回します。書き直すのではなく、撤回します」


「あの、それは」


 私は、そこで一度息を吸った。

 ずっと聞けなかったことを、この人になら聞ける気がした。


「あの、一つだけ」


「はい」


「これが全部消えたら、私の力も、消えますか」


 その人は、すぐに答えなかった。


「分かりません」


「あの、でも、シリルさんなら」


「アザは魔力の通り道だと言われています。道が消えれば、通らない。──ただし、それは生まれつきの者の話です」


「はい」


「後から現れた例を、私は知りません。塔の書にもありません。ですので、当てはまるかどうかが分からない」


 その人は、閉じた引き出しに手を置いた。


「分からないことを、分かるとは申し上げません」


 私は、頷いた。

 慰めてはもらえなかった。

 もらえなかったので、少し楽だった。


「ナナセ殿」


 その人が立ち上がった。

 机を回ってきて、私の正面に立った。いつもの、半歩ぶん近い距離だった。

 手が上がった。


 喉に触れるのかと思った。私は動かなかった。動かずに、待った。


 その手は、途中で止まった。

 止まって、下りた。


「──失礼。測る理由が、もうありません」


 その日の夕方、部屋に戻ると、扉の前に人がいた。

 青い上着だった。

 私を見て、その人は一度、口を開けて、閉じた。それから、こう言った。


「聞きました」


「はい」


「見せていただけますか」


 私は襟を引いた。

 三度目だった。三度目になると、少し慣れた。

 ユーリさんは、見なかった。

 見ようとして、目を逸らした。逸らして、それから、無理やり戻した。戻して、見た。

 その人の顔から、色が抜けていった。


「……また、私が」


「え」


「五人が代償を払って、あなたを呼んだ。──今度は、あなたが払っている」


「これは、代償じゃないです」


「同じです」

「違います!」


 声が、思ったより強く出た。

 その人が、少し驚いた顔をした。


「あの、私が選んで働いてました」


「選ばされたのです」


「選びました!」


 言い切った。

 言い切ってから、自分でも本当かどうか分からなくなった。分からないけれど、ここで譲ってはいけない気がした。

 譲ると、この人はまた謝る。謝って、それで、この人の中で何かが一つ増える。


「ユーリ様」


「はい」


「謝らないでください」


「しかし」


「謝られると、私、返せないです」


 その人は、口を閉じた。

 閉じて、廊下の壁に手をついた。ついて、そのまま少し下を向いた。

 肩が上下していた。


「──俺は」


 声が、変わった。

 敬語が落ちていた。落ちたことに、本人が気づいていないようだった。


「俺は、どうすればよかったんだ」


 私は、返事をしなかった。

 返事ができなかった。

 その人はしばらくそのままでいて、それから、姿勢を戻した。戻したときには、もう元の顔に戻っていた。


「──失礼しました」


「いえ」


「休んでください。それだけです」


 その人は歩いていった。

 廊下の角を曲がるまで、一度も振り返らなかった。

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