第三節
北の巡回は、日帰りだった。
朝に出て、壁沿いを歩いて、日が落ちる前に戻る。私は隊列の中ほどにいて、休憩のたびに歌う。それだけの仕事だった。
六日行った。
南の遠征は、四日だった。今度は村へ行かず、途中の窪地で野営をした。夜に二回、見張りが交代する。交代のたびに私は起こされて、歌って、また寝た。
まともに寝られたのは、二日目の一晩きりだった。
戻ってきて、次の日が塔だった。
三つ目から十六個目まで、順番に歌う。シリルさんが書く。書きながら、途中で顔を上げた。
「掠れています」
「大丈夫です!」
「五日前と比べて、高いほうが二つ落ちています」
「あの、寝れば戻ります……」
「寝ましたか」
「……寝ます」
その人は書かなかった。書かずに、次の詠唱を指定した。
日が、区別できなくなってきた。
北へ行った日と、南へ行った日と、塔の日が、頭の中で順番に並ばない。何日目なのかを数えようとして、途中で分からなくなる。数えるのは得意なのに、分からなくなる。
ティアの部屋には、五日に一度くらい行った。
行くと、ティアは私を見て、それから、目を逸らした。逸らしてから、また見る。
「みおり」
「はい」
「きのう、こなかった」
「うん。ごめんね」
「そのまえも、こなかった」
「うん」
「そのまえの、まえも」
数えていた。
五歳が指を折って数えている。私が数えられなくなった日を、この子が数えている。
三本折ったところで止まって、それから、全部の指を握った。
「いい」
「え」
「もういい!」
ティアは積み木のほうへ行った。行って、一人で積みはじめた。
私は立っていた。
部屋の隅で、イルゼさんが何も言わずに立っていた。
その日の午後、詰所へ呼ばれた。
入ると、二人いた。
団長さんが机の向こう。シリルさんが、机のこちら側に立っている。二人とも、私が入ってきたのを見て、一度こちらを向いて、それからまた向かい合った。
「話は聞いた」
団長さんが言った。
「五日に一度では足りません」
「三日に一度なら足りるのか」
「足りません。毎日でも足りない」
「では話は終わりだ」
「終わっていません」
シリルさんが蝋板を机に置いた。
「私が測らなければ、この人がどこまで使えるのかが分からない。分からないまま前線に出せば、どこかで折れます」
「折らせん」
「折れる前に気づけるのは、測っている側だけです」
団長さんが立ち上がった。
立ち上がると、頭一つ違う。それでもシリルさんは退がらなかった。
「ヴァレンス殿。あなたの配備案を見た」
「はい」
「月に十九日、外に出す案だな」
「東を削りました。十六日です」
「十六日でも多い」
「では何日ならよろしいのですか」
「──八日だ」
「不可能です。北の巡回だけで六日ですので」
「ならば北を減らす」
「減らして、その日に死者が出たら」
言葉が、そこで止まった。
止まったのは、シリルさん自身だった。言ってしまってから、言うべきでなかったと分かった顔をしていた。
団長さんは、何も言わなかった。
長い沈黙のあと、その人は私を見た。
「ナナセ殿」
「はい」
「あなたはどうしたい」
私は、口を開けた。
開けたまま、しばらく何も出てこなかった。
「あの、両方、大丈夫です……」
「両方とは」
「巡回も、検証も、あの、行けます!」
「行けるかどうかは聞いていない」
団長さんの声が、少し低くなった。
「どうしたいかを聞いている」
「あの」
私は、また止まった。
どうしたいか、というのが分からなかった。
北に行けば、その日の隊が楽になる。行かなければ、誰かが疲れたまま歩く。塔に行けば、シリルさんが何かを測れる。行かなければ、測れない。
どっちも、行ったほうがいい。
「……両方、行きたいです」
「そうか」
団長さんが座った。
座って、机の上で手を組んだ。組んだまま、しばらく黙っていた。
「ヴァレンス殿」
「はい」
「十六日でいい」
「え」
「ただし、私が同行しない日は外へ出さん。北も南も、私が出る日に合わせる。──それでよいか」
「……よろしいかと」
「では、そうする」
シリルさんが蝋板を取って、脇に抱えた。抱えてから、少しのあいだ動かなかった。
「アッシュフォード殿」
「なんだ」
「あなたの隊は、月に何日出ますか」
「二十二日だ」
「それを八日に減らす案は、出したことがありますか」
団長さんは答えなかった。
シリルさんは頭を下げて、出ていった。扉が閉まってから、団長さんが息を吐いた。
私は、まだ立っていた。
「ナナセ殿」
「はい」
「座れ」
座った。
「あなたは、断ることを知らんのだな」
「あの……」
「責めてはいない。私も同じだからだ」
その人は、机の紙を一枚、指で滑らせた。
「三年、断らなかった。断り方を知らんまま団長になった。──去年だけで、部下を六人死なせている」
「それは、団長さんの」
「関係ある。断らん人間は、部下にも断らせん」
言い方が、静かだった。
私は、返す言葉を持っていなかった。
部屋を出ると、廊下に人が立っていた。
青い上着。目の下が黒い。ここのところ見かけていなかった。
「ユーリ様」
「──ああ。すみません、盗み聞きするつもりは」
「いえ」
その人は手に紙を持っていた。あの表だった。私が持っているのと同じもの。
「これを、母から見せられました」
「はい」
「十六日、外に出るのですか」
「はい」
「あなたは、これに同意したのですか」
「はい」
その人が、紙を握った。
握ったところが、少し皺になった。
「ナナセ殿。あなたは断ってよいのです」
「え」
「あなたは兵ではない。塔の者でもない。──誰の部下でもないのだから、命令を受ける立場ではない」
「でも、皆さん困るので」
「困らせてよいのです」
その人は、そこで少し声を落とした。
「困るのは、こちらの都合です。あなたを呼んだのはこちらで、書を出さないのもこちらで、金を払わなかったのもこちらだ。──その上で、こちらの都合であなたを使い切る」
言いながら、その人は自分の手元を見ていた。
「私は、それを止められる立場にいます。立場にいるのに、何も止めていない」
「あの」
「はい」
「止めなくていいです」
言ってから、自分でも驚いた。
こんなにはっきり何かを言ったのは、久しぶりだった。
「私、必要とされてるので」
その人が、顔を上げた。
目が合った。
その人は何か言おうとして、口を閉じた。閉じて、それから、紙を丁寧に伸ばした。皺のところを、指で二回撫でた。
「……そうですか」
「はい」
「分かりました」
その人は紙を私に返して、廊下を歩いていった。
途中で一度止まって、振り返らずに言った。
「必要とされているのと、大事にされているのは、違います」
それだけ言って、行ってしまった。
私は、しばらく廊下に立っていた。
言われたことの意味は、分かった。




