第一節
次の日から、私は塔へ通うようになった。
魔術師塔は、城の北側に立っていた。近くで見ると、思っていたより古い。石の色がまだらで、上のほうだけ新しい石が混ざっている。継ぎ足したのだと分かる。
入り口を入ると、螺旋の階段があった。
二階まで上がって、そこから廊下を歩く。窓が少ない。灯りが等間隔に置いてあって、そのあいだが暗い。
「こちらです」
ヴィムさんが先を歩いた。
「あの、シリルさんは」
「師は上におられます。三階から上は、師の階です」
「階、丸ごとですか」
「はい」
通された部屋には、机が四つあった。
どれにも紙と蝋板が積んである。壁一面が棚で、棚には筒が並んでいた。巻いた紙が入っているらしい。窓の下に、椅子が一つだけ置いてある。
「そこにお掛けください。師はすぐに」
すぐに、というのは本当だった。
座ってから十も数えないうちに、扉が開いた。
「ナナセ殿。三つ目の詠唱を、歌ってください」
挨拶はなかった。
その人は入ってくるなり机の前に立って、蝋板を開いた。私はまだ座ったばかりで、外套も脱いでいなかった。
「あの、おはようございます」
「おはようございます。三つ目を」
歌った。
その人は書いた。それから顔を上げて、こう言った。
「次、七つ目を。それから十四個目」
午前中で、十六個を三周した。
途中で水を飲んだ。飲んだ回数も書かれていた。
「あの……」
「はい」
「それ、何を書いてるんですか」
「あなたの声の高さ、長さ、区切りの位置。息を継ぐ場所。継いだ回数。それから、私の腕の重さの変化」
「腕」
「私が測る側なので、私の体で測ります。ヴィムより精度が高い。私は疲れていませんので」
その人は蝋板を持ち上げて、こちらに見せた。
線が引いてある。上下に波打っている線と、その下に細かい印。
「これが、あなたの旋律です」
「私の」
「音の高さを縦にとって、時間を横にとりました。三つ目の詠唱を歌ったときの形です。──三周とも、ほとんど同じ形になりました」
「同じ、ですか」
「同じです。誤差が小さい。あなたは毎回、同じ形で歌っている」
私は、その線を見た。
自分の歌が線になっているのを見るのは、初めてだった。上がって、下がって、また上がって、最後に下がる。下がるところが長い。
どこかで見たような形だと思って、少し考えた。
城下町の広場で、赤ん坊を抱いていた人の歌だ。あれも、終わりに向かってゆっくり下がっていた。
「あの、これ、どこで習うんですか」
「習いません」
その人は書きながら答えた。
「歌を線にする作法は、この国にありません。歌は覚えるものであって、残すものではないので。──三日前に作りました」
「作った」
「必要でしたので」
それだけだった。
私は、線をもう一度見た。
三日前に作られたものの上に、私の声が乗っている。
「あの」
「はい」
「これ、意味は分からないんですよね」
「分かりません」
その人は即答した。
「歌詞は変換されない。あなたが何を言っているのか、私には一音も分からない。──ですが、形は取れます」
「形……」
「音の高さ、長さ、間。それだけで再現できるなら、他の者にも歌わせられる」
私は、少し黙った。
「他の人が歌っても、効きますか」
「試しました」
その人は、机の隅の蝋板を一枚引き出した。
「ヴィムに歌わせました。あなたの旋律を、そのまま。──効きません」
「じゃあ」
「歌詞が要る。あるいは、あなたが要る。どちらかです。現時点では区別がつきません」
その人は書いた。書きながら、続けた。
「私は後者だと思っています。前者であってほしいが」
「なんでですか」
「歌詞なら、写せます。あなたが要るなら、写せない」
言い方が、あまりに平らだった。
平らだったので、私はそれが何を意味するのか、少し遅れて分かった。
写せないものは、一人しかいない。
その日から、通いは毎日になった。
午前が塔。午後がティアの部屋。日が落ちる前には帰る。イルゼさんがそう決めて、シリルさんに直接そう言った。シリルさんは頷いた。
「合理的です。疲労は数値を汚しますので」
汚す、という言い方を、私はしばらく考えていた。
塔での時間は、悪くなかった。
あの人は、私に何も期待しなかった。強くなれとも言わないし、頑張れとも言わない。ただ、歌ってください、と言う。歌うと、書く。書き終わると、次を言う。
褒められることもなかった。
その代わり、否定もされなかった。
三日目に、私はそれに気づいた。
城へ来てから、私はずっと何かを言われていた。剣は使えるのか。魔法は使えるのか。書はあるのか。ないのか。ないなら、どうするのか。
塔では、誰もそれを聞かない。
聞かれるのは、いつ息を継いだか、だけだった。
六日目の午前だった。
「ナナセ殿」
「はい」
「今日はここまでにします。あなたの声が少し掠れている」
「あ、大丈夫です」
「大丈夫ではありません。三日目の午後から、高いほうの音が出ていない」
その人は蝋板を閉じた。
「声は消耗します。使いすぎれば戻らなくなる」
私は、自分の喉に手を当てた。
自分では気づいていなかった。三日、気づかずに歌っていた。
「あの、なんで分かるんですか」
「測っているからです」
その人は立ち上がって、棚に蝋板を戻した。
「ナナセ殿。あなたは自分の状態を報告しません。だから私が測ります。──それだけのことです」
私は、うまく返事ができなかった。
塔を出ると、日がまだ高かった。
城へ戻る道を、私は少し早く歩いていた。
早く歩く理由は、なかった。午後の支度はもう済んでいるし、ティアが起きるまでにはまだ間がある。
歩きながら、自分の喉を触っていた。
触っている自分が、なんだか変だった。
変なのに、やめなかった。
やめなかった理由を、そのときは考えなかった。
考えなかったので、気づかなかった。
私は、誰かに測ってもらえることを、嬉しいと思っていた。




