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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第4章「数えられない功績」

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第二節

その日から、私は詰所の前を通るようになった。


 通り道ではない。ティアの部屋からも、私の部屋からも、遠回りになる。それでも通った。理由は自分でもよく分からなかった。


 三日目に、壁の札を見た。

 あの朝に見たのと同じ壁だった。木の札が二列。隣の壁に、もっと多い列。

 私は近づいて、札を見た。

 文字が並んでいる。読めない。読めないけれど、形は見える。同じ形が繰り返されているところがあって、たぶんそれが名字なのだと思った。


 右から数えた。

 二十七。


 こっちの壁が二十七枚だった。団長さんが預かっていると言った数と、同じだった。

 それから、隣の壁を数えた。

 途中でやめた。

 やめたのは、数えたくなかったからではない。数え終わったら、その数を覚えてしまうと思ったからだ。


「何してんの」


 エルナさんだった。


「あ、すみません」


「謝ることないでしょ。──数えてた?」


「はい」


「二十七だよ、こっち」


「はい。合ってました」


 その人は、私の横に立った。並んで札を見た。


「出発、六日後」


「はい」


「団長は変えないよ、あれ。一回言ったことは変えない」


「はい」


 私は、それから何も言わなかった。言わないまま、まだ札を見ていた。

 自分が何をしたいのか、そのときはまだ分かっていなかった。


 分かったのは、その夜だった。

 寝台に入って、目を閉じて、それで、隊が出ていくところを想像した。門が開いて、二十七人が出ていく。五日後に帰ってくる。

 帰ってきたところを想像したら、数えていた。


 二十七。二十六。二十五。


 勝手に減っていく。減った分だけ、あの壁の札が移動する。移動するのを、私は城の中から聞く。木と木が当たる音を、たぶん、聞かない。あの音は小さい。中庭までは届かない。

 起き上がった。


 次の日、詰所へ行った。

 言うことは、朝までに決めてあった。何度も口の中で並べ直した。人前で何かを頼むのが、私はいちばん苦手だ。園でも、シフトを代わってほしいと言えたことが一度もない。言えないまま、自分が出た。

 団長さんは机にいた。書きものではなく、地図のようなものを広げていた。私が入っていくと、顔を上げた。


「ナナセ殿」


「あの」


 声が出なかった。二度、息を吸い直した。


「あの、連れていってください」


 言った。


 言ってから、膝に力が入っていないのに気づいた。

 団長さんは、地図から手を離した。


「既に決まっている」


「……え」


「昨日、上から通達が来た」


 その人は、机の端の紙を一枚、指で押さえた。私には読めない紙だった。


「あなたは王妃陛下の預かりであって、私の部下ではない。同行を止める権限が、私にはない。──断ったのは私の意見であって、命令ではなかった」


「あの」


「塔からも数値が上がっている。弱いが、通ってはいると」


 私は、口を開けたまま立っていた。

 用意してきた言葉が、全部いらなくなっていた。


「不服だ」


 その人が言った。


「今も不服だ。だが、止められん。ならば条件を出す」


 地図を、こちらへ回した。

 線が引いてある。太い線が一本と、そこから離れたところに囲いのようなもの。


「南の村だ。小さいが壁と門もある」


「はい」


「あなたは村に入ったら、壁の外へ出ない。討伐には出さない。隊は村から出て、村へ戻る。──あなたは、戻ってくる者を待つ役だ」


「待つ…」


「そうだ」


 その人は、線の一本を指でなぞった。


「あなたが危険に晒されるのは、この街道だけになる。往路一日半、復路一日半。そのあいだは隊列の中ほどを歩いていただく」


「はい」


「エルナ・ダールをあなたにつける。歩くとき、止まるとき、退くとき、すべて彼女の指示に従っていただく。私の指示より優先する」


「あ、はい」


「返事が早い」


「はい」


 その人は、地図を戻した。

 戻してから、少し黙った。


「──もう一つ、言っておく」


「はい」


「私はまだ、あなたを連れていく理由を認めていない。認めていないが、計算はした」


「計算」


「三日、行軍する。三日歩いた人間は、三日ぶん疲れる。疲れた人間から死んでいく。……それだけは、私が三年かけてどうにもできなかったものだ」


 言い方が、静かだった。


「そこに、弱くとも効くものがあるという。低い見込みだ。低いが、私は試したことがない」


 私は、下を向いた。

 それから、顔を上げた。

 用意してきた言葉は、もういらない。いらないのに、言わないと帰れない気がした。


「あの、一つだけ」


「何だ」


「札を、数えました。二十七でした」


「うむ」


「それで、昨日、寝る前に、帰ってきたところを想像したら、数えてました。二十七、二十六、二十五って。まだ出てもいないのに」


 喋りながら、自分でも何を言っているのかわからなくなった。


「たぶん、行かなかったら、ずっとそれをやります。城の中で、勝手に数えて、勝手に減らして。──それが、嫌でした」


 言い終わって、私は下を向いた。

 沈黙が長かった。

 地図が風で少し動いて、その人がそれを手で押さえた。


「……そうか」


 それだけだった。

 私の言ったことは、何も動かさなかった。決まっていたことが、決まっていただけだった。

 それでも、言ってよかったのかどうかは、分からなかった。


「ナナセ殿」


「はい」


「一つ、あなたに背負わせることがある」


 その人は椅子から立ち上がって、こちらへ来た。

 近くに来ると、やはり大きい。見上げる形になった。


「あなたが危ないとき、私は隊を退かせる。討伐を捨てる。それで村が一つ焼けることもある」


「はい」


「命令が私に出せない以上、退かせる判断だけは私に残っている。──それを使う日が来たら、あなたのせいになる」


 私は、少し考えた。


「あの、それって」


「何だ」


「団長さんが決めることですよね」


 その人が、黙った。


「私が決めることじゃなくて。──だから、背負うのは団長さんです」


 言ってから、生意気だったかと思った。

 その人は、少しのあいだ何も言わなかった。それから、目のあたりだけで笑った。口は動いていなかった。


「そうだな」


 それだけだった。

 六日のあいだに、私は作れるものを作った。

 まず、布。

 厨房で古い布を分けてもらって、細く切った。腕に巻ける長さで、二十八本。色をつけたかったので、ヴィムさんに相談したら、染料は塔にあると言われて、赤と黄色を少しもらった。

 赤が十四本、黄色が十四本。


「何これ」


 エルナさんが自分の腕を出しながら言った。


「目印です。二人組で同じ色にして、片方が動いたら、もう片方が必ず見えるところにいるようにします」


「へえ」


「あの、園で散歩に行くときに、色分けしてたので」


 言ってから、園、が音になったのに気づいた。エルナさんは聞き返さなかった。この人はもう慣れている。

 次に、音の出るもの。

 小さい木を二つ削って、紐で結んだ。振ると鳴る。カン、カン、と乾いた音。


「金属はやめときな」


 エルナさんが言った。


「響きすぎる。こっちに聞こえるってことは、向こうにも聞こえるってこと」


「向こう」


「魔獣。音で寄ってくるのもいる」


 木にした。


「これ、何回鳴らすかで意味を変えます。一回が集合。二回が退がる。三回が」


「三回が?」


「三回が、私です」


「あんた?」


「私が歌うので、そのあいだ、私のところに退がってきてくださいって意味です」


 エルナさんが、木の板を振った。カン、カン、カン。


「……あんた、村から出ないんでしょ」


「はい」


「じゃあ、あんたのところに退がるって、村に帰るってことじゃん」


 言われて、私は少し考えた。


「……そうですね」


「いや、いいと思う」


 その人は板をもう一度振った。


「帰る場所が鳴ってるって、悪くない」


 最後に、飴を作った。

 厨房を借りた。砂糖を煮て、伸ばして、切る。城の砂糖は高いので、一掴みぶんだけ分けてもらった。二十八個できると思ったら、三十二個できた。

 包む紙がなかったので、葉っぱで包んだ。


「これは何?」


「あの、動けなくなったときに、口に入れます」


「飯食えばよくない?」


「食べられないときがあると思うので」


 私は自分の分を一つ、口に入れて確かめた。甘い。甘すぎるくらい甘い。

 園では、遠足で子どもがぐずったときに使っていた。効かないこともある。それでも持っていく。

 三十二個を袋に入れた。


 出発の前の日、詰所でそれを配った。

 布を渡すと、みんな一度は変な顔をした。腕に巻くように言うと、もっと変な顔をした。


「赤かよ」


「私、黄色がいい」


「順番でしょ」


「ダール、あんたずるくない?」


 結局、二人が交換して、一人が両方巻いた。両方巻いた人は、エルナさんに叱られて片方外した。

 エルナさんは赤だった。


「私が赤だから、あんたも赤ね」


「はい」


「私が見えなくなったら、大声出しな。恥ずかしいとか言ってる場合じゃないから」


「……はい」


「返事が小さい」


「はい!」


 エルナさんが私の腕に赤い布を巻いた。結び目が固かった。指を入れて緩めようとしたら、駄目、と言われた。


「解けるほうが困る」


 飴を配ると、その場で食べた人が四人いた。


「あの、それ、当日の分です」


「うまいな、これ」


「明日、渡さないですよ」


「渡してくれよ」


 残りを数えたら、二十八個だった。

 ちょうどだった。ちょうどになったのが、なんだかおかしくて、私は口を押さえた。


「何笑ってんの」


「いえ、あの」


「言いなよ」


「……四個、余分に作っちゃったので」


 エルナさんが袋を覗き込んで、それから、声を出して笑った。


 部屋の隅で、団長さんがそれを見ていた。

 見ていて、何も言わなかった。腕に赤い布を巻いていた。誰が渡したのかは、私ではない。

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