第一節
「うわ、ほんとにいる」
声が先だった。
ティアの部屋の入口に、女の人が立っていた。
背は私と同じくらい。髪を後ろで一本に括っていて、括りきれなかった横の毛が跳ねている。革の胴当てをつけたまま、その上から外套を羽織っていた。膝から下は金属の脛当て。歩幅が大きくて、石の床に音が響いた。
髪が赤かった。橙の混じった赤で、窓から入る光に当たったところだけ、色が明るくなる。
目も同じ色だった。髪より深い橙。
顔が日に焼けていた。首から上と、襟から見える鎖骨のあたりで色が違う。
「あんたでしょ、召喚された人。ミオリ」
「あ、はい」
「エルナ。エルナ・ダール。騎士団の三番隊。団長付き。──やっと会えた。三回来たんだけど、全部あんたが殿下と外にいる時間でさ。今日は張り込みした。厨房で待ってた。芋もらった」
外套の中から布包みを出して、振ってみせた。中で何かが転がる音がした。
「食べる?」
「え」
「食べていいよ。二個ある」
ティアが積み木から顔を上げた。
「エルナ」
「お、殿下。ご機嫌よう。あ、これ拾いました」
床に落ちていた指人形を摘まみ上げて、ティアに渡す。ティアが受け取って、そのままエルナさんの脛当てを叩いた。硬い音がした。
「かたい」
「そりゃ硬いよ。柔らかかったら意味ない」
「なんで」
「魔獣に噛まれても足が残るから」
「エルナ」
部屋の外から、イルゼさんの声がした。
「はいはい、言い方ね。すみません。──噛まれないためです、殿下」
ティアは納得して、指人形をエルナさんの脛当てに座らせようとした。座らなかった。
私はまだ、床に膝をついたままでいた。
立つべきなのか、挨拶をするべきなのか、どう名乗るべきなのかが分からない。分からないうちに、その人が私の前まで来て、しゃがんだ。
目の高さが同じになった。
「見ていい?」
「え」
「喉。ここ」
自分の鎖骨を指した。
「あ、えっと」
「駄目ならいい。でも見たい。噂ばっかりでさ、誰も実物見てない。神官がぐるっと囲んで見たきりでしょ。それでみんな好き勝手言ってる。剣が生えるとか」
「生えないです」
「だよね」
その人が笑った。
笑い方が大きい。口を開けて、上を向いて、それから戻ってくる。
私は襟元を少し引いた。
エルナさんが顔を近づけた。近い。息がかかる距離まで来て、じっと見て、それから、後ろに引いた。
「……へえ」
「あの」
「うん、こんなの初めて見た。私の見る?」
返事をする前に、その人は右の袖をまくった。
肘の内側に、赤茶色の痣があった。丸くて、縁が濃い。
「剣。位置が肘だと、まあ中の下。手首なら上等、肩なら化け物。私は中の下」
「そんなふうに、決まってるんですか」
「決まってる。うちの隊で一番いいのは団長で、団長のは──あ、これは言っちゃ駄目か。まあいいや、どうせみんな知ってる。首の後ろ。首の後ろは剣で一番いいとこ」
まくった袖を戻して、その人はまた私の喉を見た。
「あんたの位置は、最上級」
「え」
「喉だから。声を使う特性はね、喉に近いほど上等ってことになってる」
「でも」
言ってから、続けるべきか迷った。迷ったけれど、言った。
「私、何もできないです。体が少し軽くなるくらいで」
「知ってる」
あっさり言われた。
「位置ってのは、どこまでいけるかの目安。そこまでいくって話じゃない。手首の剣持ちが十年鍛えて肘の私に負けることもある。──だからみんな、あんたの位置だけ見て、勝手に期待して、勝手に落胆する。私に言わせりゃ順番が逆」
その人は、まだ喉を見ていた。
「歌う癒し手ってのが、昔いたらしい」
「歌う」
「うん。記録が神殿にあるって話。読んだやつは知らない。私も見たことない。だから、いるって言う人と、そんなの作り話だって言う人がいる」
作り話。
「なのに神殿は書を出さない。生まれつきじゃないからって」
言い方が、途中から変わった。
「書がないと外に出られないんでしょ。あんた、来てどれくらい」
「四十日です」
即答した。
毎晩数えているので、考えなくても出る。
エルナさんが、一瞬黙った。
「……四十日」
「はい」
「ずっと城の中にいるの」
「はい」
「一歩も?」
「神殿には、行きました」
「神殿は城の敷地。──ちょっと待って」
エルナさんが立ち上がった。立ち上がって、部屋を出ていって、戻ってきた。十も数えないうちだった。
「規則、確認してきた。書のない者は、書を持つ者の同行があれば門を通れる。同行者が責任を負う。私が持ってるから、私と一緒なら出られる」
「え」
「今から行こう」
「今から」
「今から」
私は床に座ったまま、その人を見上げていた。
外套の裾が汚れている。泥が跳ねたあとが乾いて、白く粉を吹いていた。
「あの、でも、ティア様が」
「殿下、みおり借りていい?」
「かりる」
「うん。夕方には返す」
「かえす?」
「返す。約束」
ティアが私を見た。それからエルナさんを見て、また私を見て、それから指人形を握った。
「……いってらっしゃい」
言い方が、イルゼさんの言い方だった。
部屋の外でイルゼさんが何か言おうとして、エルナさんがそっちに手を振った。
「イルゼさん、殿下のことお願いします。あと私の芋、そこ置いといて。帰りに食べる」
「エルナ」
「はい」
「日暮れまでには」
「もちろん」
外套を掴まれて、私は立たされた。
力が強い。抗う暇がなかった。
「あの、着替えとかは」
「そのままでいい。むしろそのままがいい。城の人間の格好してたほうが面倒がない」
「靴が」
「靴は──あー、それは駄目だ。石畳を舐めてる。待って、私の予備貸す。足の大きさ、いくつ」
答えられなかった。この国の数え方を知らない。
エルナさんは片足を上げて、自分の靴の底を私の足の横に並べた。並べたまま、上から覗き込んで、頷いた。
「ほぼ同じ。行こう」
「あの、お芋」
「ん?」
「二個、あるって」
「ああ、食べる?」
「……帰ってきてからで、いいですか」
その人は少し目を丸くして、それから、また笑った。
「いいよ。じゃあ帰りに二人で食べよう」
廊下を引っ張られながら、私は一度だけ振り返った。
ティアが扉のところに立って、指人形をこっちに向けて振っていた。イルゼさんがその後ろにいて、何も言わずに立っていた。




