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限界保育士は異世界で休みたい~戦力外の私ですが、子守唄で騎士団を救っているようです~  作者: 蜜豆
第3章「日没の鐘」

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第一節

「うわ、ほんとにいる」


 声が先だった。


 ティアの部屋の入口に、女の人が立っていた。


 背は私と同じくらい。髪を後ろで一本に括っていて、括りきれなかった横の毛が跳ねている。革の胴当てをつけたまま、その上から外套を羽織っていた。膝から下は金属の脛当て。歩幅が大きくて、石の床に音が響いた。


 髪が赤かった。橙の混じった赤で、窓から入る光に当たったところだけ、色が明るくなる。

 目も同じ色だった。髪より深い橙。

 顔が日に焼けていた。首から上と、襟から見える鎖骨のあたりで色が違う。


「あんたでしょ、召喚された人。ミオリ」


「あ、はい」


「エルナ。エルナ・ダール。騎士団の三番隊。団長付き。──やっと会えた。三回来たんだけど、全部あんたが殿下と外にいる時間でさ。今日は張り込みした。厨房で待ってた。芋もらった」


 外套の中から布包みを出して、振ってみせた。中で何かが転がる音がした。


「食べる?」


「え」


「食べていいよ。二個ある」


 ティアが積み木から顔を上げた。


「エルナ」


「お、殿下。ご機嫌よう。あ、これ拾いました」


 床に落ちていた指人形を摘まみ上げて、ティアに渡す。ティアが受け取って、そのままエルナさんの脛当てを叩いた。硬い音がした。


「かたい」


「そりゃ硬いよ。柔らかかったら意味ない」


「なんで」


「魔獣に噛まれても足が残るから」


「エルナ」


 部屋の外から、イルゼさんの声がした。


「はいはい、言い方ね。すみません。──噛まれないためです、殿下」


 ティアは納得して、指人形をエルナさんの脛当てに座らせようとした。座らなかった。

 私はまだ、床に膝をついたままでいた。


 立つべきなのか、挨拶をするべきなのか、どう名乗るべきなのかが分からない。分からないうちに、その人が私の前まで来て、しゃがんだ。


 目の高さが同じになった。


「見ていい?」


「え」


「喉。ここ」


 自分の鎖骨を指した。


「あ、えっと」


「駄目ならいい。でも見たい。噂ばっかりでさ、誰も実物見てない。神官がぐるっと囲んで見たきりでしょ。それでみんな好き勝手言ってる。剣が生えるとか」


「生えないです」


「だよね」


 その人が笑った。

 笑い方が大きい。口を開けて、上を向いて、それから戻ってくる。

 私は襟元を少し引いた。


 エルナさんが顔を近づけた。近い。息がかかる距離まで来て、じっと見て、それから、後ろに引いた。


「……へえ」


「あの」


「うん、こんなの初めて見た。私の見る?」


 返事をする前に、その人は右の袖をまくった。

 肘の内側に、赤茶色の痣があった。丸くて、縁が濃い。


「剣。位置が肘だと、まあ中の下。手首なら上等、肩なら化け物。私は中の下」


「そんなふうに、決まってるんですか」


「決まってる。うちの隊で一番いいのは団長で、団長のは──あ、これは言っちゃ駄目か。まあいいや、どうせみんな知ってる。首の後ろ。首の後ろは剣で一番いいとこ」


 まくった袖を戻して、その人はまた私の喉を見た。


「あんたの位置は、最上級」


「え」


「喉だから。声を使う特性はね、喉に近いほど上等ってことになってる」


「でも」


 言ってから、続けるべきか迷った。迷ったけれど、言った。


「私、何もできないです。体が少し軽くなるくらいで」


「知ってる」


 あっさり言われた。


「位置ってのは、どこまでいけるかの目安。そこまでいくって話じゃない。手首の剣持ちが十年鍛えて肘の私に負けることもある。──だからみんな、あんたの位置だけ見て、勝手に期待して、勝手に落胆する。私に言わせりゃ順番が逆」


 その人は、まだ喉を見ていた。


「歌う癒し手ってのが、昔いたらしい」


「歌う」


「うん。記録が神殿にあるって話。読んだやつは知らない。私も見たことない。だから、いるって言う人と、そんなの作り話だって言う人がいる」


 作り話。


「なのに神殿は書を出さない。生まれつきじゃないからって」


 言い方が、途中から変わった。


「書がないと外に出られないんでしょ。あんた、来てどれくらい」


「四十日です」


 即答した。

 毎晩数えているので、考えなくても出る。

 エルナさんが、一瞬黙った。


「……四十日」


「はい」


「ずっと城の中にいるの」


「はい」


「一歩も?」


「神殿には、行きました」


「神殿は城の敷地。──ちょっと待って」


 エルナさんが立ち上がった。立ち上がって、部屋を出ていって、戻ってきた。十も数えないうちだった。


「規則、確認してきた。書のない者は、書を持つ者の同行があれば門を通れる。同行者が責任を負う。私が持ってるから、私と一緒なら出られる」


「え」


「今から行こう」


「今から」


「今から」


 私は床に座ったまま、その人を見上げていた。

 外套の裾が汚れている。泥が跳ねたあとが乾いて、白く粉を吹いていた。


「あの、でも、ティア様が」


「殿下、みおり借りていい?」


「かりる」


「うん。夕方には返す」


「かえす?」


「返す。約束」


 ティアが私を見た。それからエルナさんを見て、また私を見て、それから指人形を握った。


「……いってらっしゃい」


 言い方が、イルゼさんの言い方だった。

 部屋の外でイルゼさんが何か言おうとして、エルナさんがそっちに手を振った。


「イルゼさん、殿下のことお願いします。あと私の芋、そこ置いといて。帰りに食べる」


「エルナ」


「はい」


「日暮れまでには」


「もちろん」


 外套を掴まれて、私は立たされた。

 力が強い。抗う暇がなかった。


「あの、着替えとかは」


「そのままでいい。むしろそのままがいい。城の人間の格好してたほうが面倒がない」


「靴が」


「靴は──あー、それは駄目だ。石畳を舐めてる。待って、私の予備貸す。足の大きさ、いくつ」


 答えられなかった。この国の数え方を知らない。


 エルナさんは片足を上げて、自分の靴の底を私の足の横に並べた。並べたまま、上から覗き込んで、頷いた。


「ほぼ同じ。行こう」


「あの、お芋」


「ん?」


「二個、あるって」


「ああ、食べる?」


「……帰ってきてからで、いいですか」


 その人は少し目を丸くして、それから、また笑った。


「いいよ。じゃあ帰りに二人で食べよう」


 廊下を引っ張られながら、私は一度だけ振り返った。


 ティアが扉のところに立って、指人形をこっちに向けて振っていた。イルゼさんがその後ろにいて、何も言わずに立っていた。

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