第六節
ティアが眠らない日があった。
昼のあいだから機嫌が悪かった。積み木を積まず、指人形も出さず、私が何か言うたびに、やだ、と言った。理由を聞いても答えない。答えないので聞くのをやめた。
夕方、上の兄が来た。
ユーリさんではないほうだ。背が高くて、声が大きくて、ティアの頭を撫でて、それから五分もいないで出ていった。ティアは撫でられているあいだ、身動きしなかった。嫌がりも、喜びもしなかった。
その人が出ていったあと、ティアは窓のところに立って、しばらく外を見ていた。
「ティア様」
「……ん」
「積み木、しない?」
「しない」
それだけだった。
夜、寝台に入れても目が開いていた。天井を見て、それから私を見て、また天井を見る。
イルゼさんが手燭を持ってきて、いつもならここで下がる。今日は下がらずに、寝台の足元に立っていた。
「殿下は、たまにこうでございます」
「そうなんですか」
「兄君がお発ちになる前は、決まって」
「……さっきの方って」
「王太子殿下でございます」
「あの、どこかへ行かれるんですか」
「明後日、東の街へ。半月ほどと伺っております」
半月。
五歳の半月は、長い。
ティアが寝返りを打った。私たちに背を向けた。
背中が起きていた。眠っている子の背中と、起きている子の背中は違う。息の入り方が違う。
イルゼさんが手燭を置いて、扉のほうへ動きかけた。
「すみません」
私は言った。
「もう少し、いていいですか。私」
「みおり様は、お休みになる時間です」
「はい。でも」
言葉を探した。探しているあいだに、寝台の中で小さい手が動いて、私の袖を掴んだ。
掴んだだけで、何も言わなかった。
イルゼさんが、それを見た。
見て、扉のところで足を止めて、何も言わずに立っていた。
私は寝台の横に座り直した。座って、掴まれた袖のほうの手はそのままにして、もう片方の手で、掛布の上から背中を叩いた。
とん、とん。
速すぎず、遅すぎず。心臓より少しゆっくり。
これも園でやっていたことだ。理由は分からない。効くから使っている。
歌ったのは、たぶん、手が先に動いていたからだと思う。
「つみきさん、おやすみ」
声は出さなかった。出さないつもりだった。ほとんど息だけで、口の中で転がすくらいの。
つみきさん、おやすみ。ねこさん、おやすみ。
昼に積まなかった積み木の名前を呼んだ。呼んでから、この子は歌詞が分からないんだった、と思い出した。
思い出したけれど、やめなかった。
うさぎさん、おやすみ。いぬさん、おやすみ。
喉のところが、少し熱くなった。
寝台の中で、背中の形が変わった。
息が深くなる。掛布が上がって、下がって、上がるまでが長くなる。袖を掴んでいた指が、開いた。開いて、そのまま落ちた。
三番までいかなかった。
二番の途中で、この子は眠っていた。
私は歌うのをやめて、手も止めた。止めてから、しばらく動かなかった。動くと起きる子がいる。この子がどっちなのかを、私は知らない。
十数えて、立った。
起きなかった。
振り返ると、イルゼさんが扉のところに立っていた。
手燭を持ったまま、動いていなかった。持ち方が、さっきと違っていた。両手で持っていた。
「イルゼさん」
「……はい」
「すみません、遅くなって」
「いえ」
その人は、それきり何も言わなかった。
部屋を出て、廊下を歩いた。手燭の明かりが、石の壁を撫でていく。イルゼさんは私の半歩前を歩いて、いつもより歩くのが遅かった。
私の部屋の前で、その人が立ち止まった。
「みおり様」
「はい」
「先ほどの」
「あ、すみません。勝手に歌って」
「……いえ」
言いかけて、その人は言葉を選んでいた。選んで、結局こう言った。
「殿下は、寝つきの悪いお子です。生まれたときから」
「そうなんですか」
「四年、お仕えしております」
「はい」
それだけだった。
その人は扉を開けて、手燭で中を照らして、机の上に置いた。置いてから、机の上をちらりと見た。今夜は何も広げていない。紙も鋏も、片付けてある。
「お休みくださいませ」
「はい。おやすみなさい」
扉が閉まった。
私は寝台に入って、目を閉じた。喉のところが、まだ少しだけ熱い。手で触ると、いつもと同じ皮膚の感じがした。
熱いのは、たぶん、内側だった。
昼に眠れなかった日は、夜も眠れない。子どもはだいたいそうだ。だから明日は、少し早めに外へ出よう。
明日の順番が決まると、頭が静かになる。
そのまま、寝ていた。
次の日、ティアは早く起きた。
部屋に行くと、もう自分で寝台から降りていて、窓のところに立っていた。私を見て、走ってきた。走ってきて、袖を掴んだ。
「みおり」
「おはよう」
「きのう、うたった」
「うん」
「ねてたのに、きこえた」
「聞こえたの」
「きこえた」
ティアは私の顔を見上げて、それから、自分の胸のあたりに手を当てた。あの日と同じ場所だった。
「みおりのうた、あったかい」




