9.迷子の未来
朝、戦略局に橙色を帯びた光が差し込む。
いつもと同じようで、今日はなんだか違う空気に、私の背筋が伸びる。
局長室の前に、淡い茶色の髪が揺れる——ユスティンさんだ。
「ユスティンさん、また局長に怒られますよ」
「正式採用、おめでとうございます」
私が微笑むと、局長室の奥から何やら貫くような鋭い視線がする。
「……アネル、そう睨まなくても」
「いや、釘を刺しておかねばならん、と思ってな」
「釘……?」
私の机には、新しい名札が置かれていた。
正式な魔導解析官として配属された証を見て、胸の奥があたたかくなる。
(ここが、私の選んだ場所)
アネルの通信水晶に、赤い光と警報音が響く。
「警備局からだ。中央魔導都の浮行板乗り場で、幼い子どもが行方不明になったらしい。魔力信号に異常があり、戦略局に救援要請だ」
私は、すっとアネルの方を見た。
「——行きます!」
アネルは一瞬、制止の仕草を見せる。
「ティルア、正式採用初日だが、現場へ出る必要はない」
「私の力が、役に立つかもしれません」
アネルが一拍置いて私に問う。
「それは、私の命令としてではなく?」
「ええ、私の意志で」
アネルは短く「そうか」と頷く。
「わかった。では、正式な解析官として同行してくれ」
「……はい!」
街に降りると、現場は慌ただしく、憔悴しきった女性の姿が見える。彼女が母親だろうか。
「ヴェラ……! ヴェラ……どこにいるの……?」
女性の顔は青ざめ、今にも倒れ込みそうな様子だ。
「……迷子防止用の魔導具は反応している。だが複数の場所で反応があり、特定できない」
アネルが呟く。
——信号が複数個所から出ている。
魔力の流れを見ると、信号が浮行板の導路に反射している。
断片が見える。
青い硝子の天井、銀色の籠、泣きながら膝を抱える子ども、遠くで鳴る鐘、動き始める古い昇降装置。
「アネル、青い硝子の天井がある場所です。銀色の籠の中にいます」
「中央魔導都には青い硝子の天井の建物はいくつもある」
「正午の鐘が、近くで聞こえました」
アネルがしばし考え込み、告げる。
「……旧東塔。以前、浮行板の貨物昇降路として使われていた」
「籠はありますか?」
「ああ、たしか貨物用に——」
私たちは、旧東塔の方向へ走る。
上から、子どものすすり泣く声がかすかに聞こえる。
塔へ急ぐと、籠の中に小さな女の子が座り込んでいた。
警備官が大勢で走り寄ると、籠の隅に逃げるよう隠れてしまった。
「……ここは、私が行きます」
私はひとりでゆっくりと貨物籠へ近づいた。
「ヴェラちゃん?」
彼女は頷き、顔を上げる。
「お姉ちゃん、迷子なの?」
「……以前は、私も迷子、だった」
「いまは?」
「帰る場所、あるよ」
そっとヴェラちゃんに手を差し出す。
「……帰ろう。ヴェラちゃんにも、帰る場所、あるよ。お母さんが探してる」
「ほんと?」
「一緒に、帰ろう?」
彼女が私の手を取ろうとした瞬間、長く使われていない錆びた昇降装置に魔力が流れ込み、籠がギィ……と音を立て動き出す。
——数秒後、籠の床が傾いて、落ちる。
私は、下にいるアネルへ声を上げた。
「——アネル! 七秒後に床が外れます!」
アネルが目を閉じ、「《断理》!」と唱えた瞬間、昇降装置に流れ込んだ魔力が止まる。
私は、彼女を抱え、東塔の安全な場所へ飛び移った。
「……故意に仕組まれたものではない。長く放置された旧式魔導具の誤作動だ」
戻った私に、アネルが呟く。
「……ママ!」
ヴェラちゃんが母親のもとへ走り寄る。
抱き合うふたりを見て、私も、亡くなった母を思い出す。
戻れて、よかった。間に合って……本当に、よかった。
ヴェラちゃんが私のところへ歩み寄る。
「これ、お礼」
「私に?」
「お姉ちゃんも、ちゃんと、帰ってね!」
彼女から私の手に、星型の菓子が差し出される。
「うん。……ちゃんと、帰るよ」
戦略局へ戻ると、ユスティンさんはふざけてアネルに叱られ、いつもの空気に包まれていた。
時詠みはやはり、消耗する。私はふらつきながら、自分の椅子へ腰を下ろす。
アネルが、私の机に飲み物を置く。
「……本日の『偶然』は終了だ」
「二回目は、正式な業務です」
「業務であれば、倒れてもよいわけではない」
「ですが、子どもは無事でした」
「それと君の身体を消耗させることは、別の問題だ」
ユスティンさんがひゅう、と口笛を吹き「過保護全開」と呟き、アネルに睨まれる。
私はそれを、笑いながら見つめ、星型の菓子を机上へ置く。
夕暮れの光を受け、小さな星は茜色に輝いて見えた。
奥にいるアネルの瞳は、なぜだか少し揺れている。
それがなんだか、とてもあたたかい物に思え、微笑みを返す。
アネルがさらに赤くなったのは、気のせいだろうか。
私の力で、また、人を助けることができた。
支給された通信水晶に、アネルからメッセージが届く。
『帰って、ちゃんと休め』
この言葉も、『支給品』なのだろうか。
自分で選んだ机の上に、小さな星がひとつ増えた。
今日、ひとつの未来を、帰る場所へ送り届けた証だった。
そして、私が自分で選んだ場所には、今日もアネルがいる。
それを心地よいと思う理由を、私はまだ知らなかった。




