10.未来を見ない救い方
身体が、重い。
ふらふらしながら、居住区から中央魔導院へ行く浮遊板に乗った。
「ティルアさん、顔色悪いっすよー?」
ユスティンさんがいつもの軽い口調で、心配そうな顔をしている。
「……大丈夫です」
私は軽く手を振りながら局長室へ足を進める。
机上には、いつもの飲み物が置いてある。
カタリと椅子を引こうと背もたれへ手をかけると、アネルの声がした。
「ティルア、今日は時詠みを使うな」
「今日は、まだ使っていません」
「先に言っておく必要がある」
「……一日に二回まででは?」
アネルがふぅ、とため息をつき、眉間に手をやる。
「……その顔色で時詠みを使わせられない。今日は回復日だ。これからもティルアの様子を見て回復日を決める」
それを聞きながら私は黙って、魔力補給飲料の瓶を飲み干した。
幾分か軽くなった身体で伸びをして、アネルの方を見る。
アネルの目の下にクマができている。彼のほうが、疲れているのではないか。
「そういうアネルこそ、顔色が悪いです」
「……私のことは気にしなくていい」
そう言ってアネルは視線を少し逸らした。
「今日は時詠みを使わない仕事だ。街の工房区で新型の自動清掃魔導具の公開試験が行われる」
「自動清掃……魔導具?」
私は首を傾げる。
「床や壁の汚れを感知し、浮遊する清掃板と水の球で建物全体を自動清掃する魔導具のことだ。軍施設にも導入される。こちらに安全確認依頼だ」
「今日は時詠みを使わずに、ですか?」
「解析官として見てほしい。同行できるか?」
「……行きます」
時詠みの力がなくても仕事を頼まれる、私の心が少し躍った。
街の工房区には、大勢の人が、波のように押し寄せ、住民だけにとどまらず、軍関係者や整備官をはじめ中央魔導院からも多くの人々が来ていた。
工房では、年若い魔導具技師が、緊張からか時々言葉を噛みながら魔導具の説明をしていた。
「——新型の自動清掃魔導具、これがあれば、大きな施設でも少人数で清掃できます!」
わぁ、と人々から喜びの歓声が上がる。
私は会場をくるくると巡りながら清掃する魔導具を見つめた。
砦では、魔導炉だけではなく、砦全体の清掃を一日中させられていた。
便利な道具があれば、誰かが自分のように身体を壊すまで働かなくて済むかもしれない。
けれど、その自動清掃魔導具の中に、ごく小さな魔力の揺らぎが見えた。
私は一歩、魔導技師の男性に近づく。
「待ってください。中央制御の術式が、同じ命令を繰り返しています」
男性は首を振る。
「試験中は多少の揺らぎが出ます。問題ありません」
彼は「絶対に失敗できない」という硬い表情をしており、顔色も悪かった。
その直後だった。
ぴしり、と制御水晶に亀裂が走る。
清掃板が一斉に動きを止め、次の瞬間、弾かれた刃のように跳ね上がった。
水の球が細長く引き伸ばされ、鋭い鞭となって人々へ襲いかかる。床を磨いていたはずの板が、魔力を帯びた者を追って工房を飛び交った。
悲鳴と、金属が壁を削る甲高い音が重なる。
「——皆さん、早く逃げて!」
私は叫んでいた。
魔導具技師の男性は震えながら生気をなくし、立ち尽くしていた。
——時詠みを使おう。
そう目を閉じようとした時、アネルがさっと私の目の前に手をやる。
「ティルア。見るな」
「ですが、このままでは——」
「未来ではなく、今の術式を見ろ。君は解析官だ」
私は強く頷き、暴走しているそれをじっと見る。
魔導具を動かしている術式は、三つある。
【汚れを探す感知式】
【清掃板を動かす駆動式】
【魔力を蓄える還流式】
アネルが、それらを動かしている術式を《断理》で切れば、たちまち蓄積した魔力が一気に放出され、爆発する。
「アネル、今は切らないでください」
「理由は?」
「中央の環流式に魔力が溜まっています。主術式を断てば、すべて解放されます」
「では、手順は?」
私は、アネルをじっと見据えた。
「——右側の駆動式、次に左の感知式。最後に中央を断ってください」
私は、魔導具を動かしている力の流れを読み進める。
右側が、鼓動のように明滅する。
「右側、今です!」
「《断理》」
赤い脈動が断ち切られ、飛び回っていた清掃板が勢いを失った。
続いて、左側の感知式から青白い火花が迸る。人々の魔力を探す細い糸が、工房中へ蜘蛛の巣のように伸びていた。
「次は左!」
「《断理》」
青い糸が、音もなく霧散する。
最後に、中央の還流式が内側から白熱した。蓄えきれない魔力が、水晶の表面を押し広げるように膨れ上がっている。
「中央を——!」
アネルが最後の術式を断ち切る。
清掃板は力を失い、乾いた音を立てて次々と床へ落ちた。
数人が清掃板に掠められたものの、大きな怪我はなかった。
工房にひとり残った魔導具技師の男性は、膝から崩れ落ち、肩が震えていた。
男性の周囲には、いくつもの試作品が転がっている。
焦げた清掃板、欠けた制御水晶、何度も書き直された術式図。
今日の失敗だけで作られたものではない。
何度も壊し、直し、ここまでたどり着いたのだ。
「こんなことになって……俺にはもう……魔導具を作る資格なんて……!」
涙が床にぽとり、ぽとりと静かに落ちる。
魔導具制作に使う制御水晶が、壊れていただけだ。
それをじっと見つめ、私は男性へ声をかける。
「壊れたのは術式です。あなたではありません」
男性は、震えながら激しく首を振る。
「……っ、でも、俺は失敗した!」
私は、静かに答える。
「それなら、失敗した場所を解析し、作り直せばいい。それだけです」
これが完成すれば、きっと多くの人の役に立つだろう。
男性は力なく頷いた、その表情には、僅かに光が灯っているように見えた。
帰り道、私はアネルに「少し買うものがあります」と喫茶の前で言った。
私よりアネルのほうが疲れているように見える。
ならば、今度は私が飲料の差し入れをすればよいのではないか。
焦げ茶色の冷たい飲み物を買い、持ち帰り袋に入れてもらう。
「……お待たせしました」
アネルが、頷いた後、空を見ながら呟く。
「——今日は、時詠みを使わなかったな」
私は「はい」と頷く。
「時詠みを使わなくても、ティルアは全員を救った」
私の視界が、なぜか少し滲む。
「……私は時詠みである前に、魔導解析官ですから」
そう答えた私を見て、アネルの表情が少し緩む。
「ああ、君は優秀な解析官だ。ティルア」
私の胸の奥が、また高鳴る。
戦略局へ戻ると、何やら机上に小型の自動清掃魔導具が置かれている。
「なぜ、清掃魔導具がここにあるのですか?」
「君の部屋用の『支給品』だ」
「自分の部屋の掃除も、職務なのですか?」
アネルが目をそらす。
「君の休息時間を確保するため……だ」
私はふっと笑い、先ほど喫茶で買った焦げ茶色の飲み物をアネルに手渡す。
「アネルにも休息が必要です」
「珈琲、か」
「……これは、支給品ではありません。あくまで私が買ったものです」
試しに清掃魔導具を床に置き、起動してみる。
小さな清掃魔導具が、机の脚をくるりと回る。
その向こうでアネルは、受け取った珈琲を手にしたまま、珍しく言葉を失っていた。
「冷たいうちに、飲んでください」
「……ああ」
未来を見なければ、誰も救えないと思っていた。
けれど、目の前にあるものを正しく見ることで、守れる明日もある。
誰かに休んでほしいと願い、それを伝えることも――きっと、そのひとつなのだ。




