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妖魔と呼ばれた最後の時詠みは、紅き魔導軍師に愛され未来を選ぶ  作者: 凪砂 いる
第一章 七秒先の死

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8.私が選んだ場所

 翌朝、目が覚めた私は、自分の部屋をぐるりと見渡した。


 ここは、私の部屋。

 ベッドは柔らかく、机上には私の魔紋証。クローゼットには制服と『支給品』。


 「ブリューム局長の優しさに頼る生活は、不安ではありませんか?」


 ヴァルドの声が頭の中で響いて離れない。


 確かに、アネルは親切だ。戦略局も居心地はいいし、楽しい。

 でも、本当にここにいるのは……私の意志なのか?


 砦から連れ出されて、部屋と仕事を与えられ、言われたまま暮らしているなら——労働奴隷と何が違うのだろう。

 

 そう考えた瞬間、胸が痛んだ。アネルがあの男たちと違うことは、分かっている。

 それでも、私自身が選んだのかと問われれば、すぐには答えられなかった。


 戦略局のざわめきも、今日はどこか遠くに聞こえる。


 局長室へ行くと、アネルが書類を用意している。


 「ティルア。ちょうど話がある。君の——仮採用期間が終わる」


 私の身体が強張る。やっぱり、私は、中央にいては——。

 そう思った私の前に、『雇用契約書』が差し出される。


 正式な魔導解析官として雇用されるというのだ。

 給金も、住居もある。

 休暇だってある。

 危険な任務を拒否する権利、能力の開示を強制されない。


 ——そして。


 契約解除を本人の意思で申し出られる。


 「……アネル、書類には辞めてもよい、と書いてあります」


 アネルは静かに言う。


 「雇用契約だからな」

 「逃げた場合の罰は?」

 「逃げる必要はない。辞職届を出せばいい」

 「辞職……」

 「働く場所を変えたくなったら、変えていい」


 いや、辞めるなんてとんでもない。そして、奴隷の時とは違う。

 こんなこと、私は考えたこともなかった。

 目の前の紙は——全く違う世界を連れてきた。


 「私が、この契約を断ったら、どうなりますか?」


 アネルの目が一瞬丸くなった。だが、その声に迷いはなかった。


 「断るのも、君の自由だ。ティルア」


 彼は続ける。


 「住居は、次の場所が見つかるまで使用していい。これまでの給金も支払う。望むなら別の職場も紹介する」

 「私が、時詠みだと分かっていても?」

 「それは君の力だ。私が所有するものではない」


 私は、アネルの顔をじっと見る。


 「では、……あの時、砦でなぜ、私を助けたのですか?」


 アネルはふっと微笑む。


 「助けを求める権利さえ奪われていた者を、見捨てる理由がなかった。君が生きることに、私の許可は必要ない。だが、生きる道を塞ぐ者がいるなら、私はそれを断つ」


 私の胸の奥で何かが鳴った気がした。


 「今日は休暇だ。街を見てくるといい」

 「はぁ……」

 「ここにいるか、辞めるか。答えは急がなくていい」


 その声を背に、私は街へ降りた。


 浮行板(ボード)は相変わらず空を飛んでいる。

 そして、改めて店を見て回ることにした。


 屋台でパンを買う。袋から熱が伝わり、口にするとふわりとして美味しい。

 魔導具店には、通信水晶や清掃魔導具、調理魔導具までなんでも揃っている。


 そして、街を走り回る子どもたち。

 人々のざわめき。


 空を見上げると、高く、魔導都の外までどこまでも青く広がっていた。


 そして、どこからかルメルのような懐かしい香りにつられ、菓子店に向かった。

 そのルメルに似た果物のパイを買うことにした。


 「ひとつでいいのかい?」


 店主の男性が尋ねると、私は首を振り、答える。


 「いえ、ふたつ。ください」


 私の分と——アネルの分。

 思わず私の頬が緩んだ。


 「ソルデヴィア解析官!」


 私を呼ぶ声の方を向くと、この前の整備官が手を振っていた。

 無事、濡れ衣も晴れ、仕事に戻れているようだ。


 「あなたのおかげで、仕事にも戻ることができました!」


 頭を下げる彼に、私は微笑む。


 ——時詠みは、搾取されるためでも、災いを呼ぶ力でもない。この力が、解析官として誰かの役に立った。


 彼を見て、私は思う。時詠みは誰かが奪われるはずだった明日を、こうして守ることもできるのだ。

 私は、これからも戦略局にいたい。魔導解析官として。


 アネルがいるからじゃない。

 私は、ここにいたいのだ。


 日が傾くころ、戦略局へ戻った。

 アネルは私の机に契約書を置いたまま、机上の通信水晶を前に仕事をしていた。

 私は、書類を手に取った。


 「アネル」


 彼が顔を上げる。


 「……決まったか?」


 私は、強く頷く。


 「私は、ここにいたい。ここで、働きたいです」


 アネルが問う。


 「……私が、いるからではなく?」


 私は、微笑む。


 「はい。私が、ここにいたいからです。——誰かに置かれた場所ではなく。私が選んだ場所として」


 アネルの表情がふっと緩む。


 「……ならば、改めて歓迎する。ティルア・ソルデヴィア解析官」


 私は頷き、ペンを書類の上へ走らせる。


 『ティルア・ソルデヴィア』


 誰かに刻まれた名ではない。

 私が、私の意志で記す名前だった。


 「そして、これをあなたに、アネル」

 「……私に?」

 「支給品、ではありません」


 アネルが、少し困った顔をする。

 それを見て、私は菓子店で買った菓子の袋を差し出す。


 「私が、自分で選んで買ったものです。アネルの分」


 アネルは戸惑ったような手つきで受け取る。


 「——では、大切にいただこう」


 そこに、からからと笑いながら声がする。


 「局長、頬が緩んでますよ」


 振り向くと、ドアのところでユスティンさんがにやりとしていた。


 「……ユスティン、仕事に戻れ……っ!」

 「はぁい」


 ひらひらと手を振り、ユスティンさんが立ち去る。


 私は、自分の机へ向かった。


 与えられたからではない。

 逃げられないからでもない。


 ここは、私が選んだ場所だった。

 なぜか耳まで赤くなったアネルと、このあたたかな戦略局も含めて。

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