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妖魔と呼ばれた最後の時詠みは、紅き魔導軍師に愛され未来を選ぶ  作者: 凪砂 いる
第一章 七秒先の死

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7.時を飼う男

 「今日は人だかりを作らないよう、見学禁止の札でも立てます?」


 ユスティンさんがカラカラと笑う。

 いや、私は静かに仕事ができれば、それでいいのだけれど。


 「……やめときます」


 私は、ふぅ、とため息をつき、答える。

 戦略局は何かと騒がしい。けれど、この空気にも慣れてしまい、居心地の良ささえ感じていた。


 その時、時計の針が止まったかのような静寂が、戦略局を包んだ。

 騒がしかった戦略局が、波を打ったかのようにしんとしている。


 艶のある黒髪に、細い銀縁の眼鏡。黒を基調とした時律監察局の制服を身にまとっている。

 彼が歩くだけで、人々が黙って道を空ける。そんな品のある笑みをたたえた男性が入口に立っていた。


 彼はコツコツと足音を立て、私のもとへ歩み寄る。

 私は、一瞬息を呑み、彼を見上げた。


 「突然の訪問をお許しください。ティルア・ソルデヴィア解析官に、昨日の非礼をお詫びしたく参りました」


 男は、私に笑みを向け話を続ける。


 「時律監察局長、ヴァルド・セレクです」


 脳裏に黒い紙の書類に記された署名が浮かぶ。

 私の胸の奥がじわじわと凍りついていく。


 「——ティルアに何をしに来た。謝罪なら、私が受け取る」


 さっと私の前にアネルが立つ。

 ヴァルドはふっと不敵な微笑みを浮かべる。


 「あなたではありませんよ、ブリューム戦略局長。傷つけられたのは彼女です」


 そしてヴァルドは、微笑みを浮かべて私へ手を差し出した。


 「お会いできて光栄です。エオネ族のティルア・ソルデヴィア」


 彼は「エオネ」を、北部訛り――古代ネレイア語の響きを残す発音で呼んだ。

 その言葉は、遠い故郷や亡くなった両親を思い起こさせる、懐かしいものだった。


 「その発音を、どこで知ったのですか? 北部の言葉を話せる人を、初めて見ました」

 「古い記録から学びました。滅びた文化を正しく記憶することも、我々の務めですから」


 さっと、影のようなものがよぎる。

 「滅びた文化」。中央としてはおそらく正しいのだろう。

 文化を記録している——その言葉は、いい響きではなかった。


 アネルが静かに尋ねる。


 「監察局には、エオネ族の記録が残っているのか?」


 ヴァルドは微笑みを崩さない。


 「さあ? ——古い資料は、膨大ですので」


 この男――ヴァルドは嘘をついていない。

 けれど、答えにもなっていない。そのように感じた。


 そして、ヴァルドは私の方へ向き直り、眉を寄せる。


 「部下が少々、熱心になりすぎたようです」

 「熱心、ですか」


 ——あれは尋問ではないか。そうとしか思えなかった。


 「未知の力を前にすると、人は判断を誤ります。ご容赦いただきたい」


 私はわずかに震え、ヴァルドを見返す。


 「——私を、怖がっているからですか?」


 彼は首を振る。


 「いえ、あなたを理解できないことを、怖がっているのです」


 アネルの答えと似ていた、しかし、違う。

 アネルは『管理』できないものを怖がると言っていた。


 しかし、ヴァルドは——『理解』できないものを怖がると言っている。

 自分はわかっている。そう言いたげに。


 机上にあった黒い水晶片を見て、ヴァルドが声を落とす。


 「遅延反転式ですか。——ずいぶんと古い方式を使ったものですね」


 アネルの視線が鋭くヴァルドを射抜く。


 「こちらはまだ、術式については説明していないが?」


 ヴァルドが不敵に返す。


 「……見れば分かります。私は時術研究者ですから」


 黒い水晶に顔を近づけ、眉を上げ、穏やかな声で切り捨てる。


 「もっとも、これは精巧に見えて粗悪です。本物の時術とは呼べません」


 私は首を傾げる。


 「本物の、時術とは?」


 ヴァルドは私に近寄り、微笑む。


 「時を指定することではありません。時術は本来——未来から、不要な可能性を取り除くことです」


 彼の微笑みが氷のように冷たく響いた。

 アネルの声が、一段と低くなる。


 「可能性まで、取り除くつもりか」


 ヴァルドの穏やかだが冷気をはらんだ声が響く。


 「……選択には、必ず犠牲が伴います。だから、誰かが正しい未来を選ぶ必要があるのです」

 「その誰かが、お前だというのか?」


 アネルの声が、低く震える。


 「責任を負える者が、担うべきだと言っているだけです」


 ヴァルドの声に、ぞくりと冷たいものが走った。

 そして、私へ優しく問いかける。


 「ティルア解析官。戦略局での暮らしは、いかがですか?」

 「不自由はありません」

 「それは結構。ただ、ブリューム局長の優しさだけに頼る生活は、不安定ではありませんか?」


 張り詰めた空気の中、アネルの低い声が響く。


 「……何が言いたい、ヴァルド」


 ヴァルドは不敵な微笑みを変わらず崩さずに答える。


 「彼女には、力を隠さずに暮らせる環境が必要——そう思いまして」


 私が答えるより先に、ヴァルドは断りもなく私の手を取った。


 「時律監察局であれば、あなたを正式な時術師として保護できます。能力を罪に問われることもない。エオネ族の記録についても、お見せできるでしょう」


 『保護』という言葉からは、奴隷契約や研究対象と同じ匂いがした。

 私は視線をそらさずに尋ねる。


 「保護、されたあと……私は何をするのですか?」


 ヴァルドは微笑む。


 「あなたの力を、正しい方向へ役立てていただきます」

 「……誰にとって『正しい方向』なのですか?」

 「多くの人にとって、です」


 はぐらかされたような気分だ。肝心なところは、彼は答えない。


 そして、ヴァルドは私の手を握り、改めて微笑む。冷たさをはらんで。


 「——ティルア。今すぐ答える必要はありません。私たちはあなたの敵ではない」


 握られた彼の手から冷たいものが走り、そこに見えたものは黒く収束した、静かな世界だった。


 私は彼の手を思わず払いのける。


 彼は微笑みを絶やさずふふっと笑う。


 「失礼しました。エオネ族には、握手の習慣がなかったのでしたね」


 私の背に、冷たいものが再び走る。

 なぜ、それを知っている? 中央の一般的な資料には載っていないはずだ。


 「……なぜ、それを知っているのですか?」

 「先ほど申し上げたでしょう。私は、あなた方について学んできたのです」


 彼の背後に、冷たい暗闇のようなものが見える。

 そして、入口の方へ彼が背を向けたその時、低い声でアネルが声を落とす。


 「……ヴァルド」


 ヴァルドは笑みを絶やさずに首を傾げる。まるで人形のように。


 「何でしょう?」


 アネルの声が、低く、震える。


 「ティルアに、近づくな」

 「それを決めるのは、彼女では?」


 アネルは言い直すように告げる。


 「……そうだ。だが、彼女を利用するつもりなら、私は何があっても止める」


 くくっと喉を鳴らし、ヴァルドは愉悦の笑みを浮かべる。まるで、アネルを弄ぶかのように。


 「——安心しましたよ。あなたが彼女の所有者になったわけではないようだ」


 アネルの表情が、わずかに強張る。

 

 「……私は、誰も所有しない」


 去り際に、ヴァルドの声が響き渡る。


 「ええ、知っています。だからこそ、あなたは危ういのです」


 ふっと凍りついていた時間が溶けたように、戦略局にざわめきが戻る。

 なんとなく、私の胸に違和感が残り、アネルへ尋ねる。


 「……あの人は、嘘をついていたのでしょうか」


 少し間をおいて、アネルが首を振る。


 「ヴァルドは、滅多に嘘をつかない」

 「では、信じてもよい、と?」

 「違う。——あの男は、必要な真実しか話さない」


 アネルが私の肩に手を置く。じわりと熱が伝わってくる。


 「——ティルア、何があってもヴァルドと二人きりになるな」

 「……なぜですか?」

 「君を殺す人間なら、私が止められる。——だが、あの男は差し出させるように仕向ける。そんな男だ」


 差し出させる。人の心も、力も、あの人に捧げさせられる。私は内側から何かをえぐり出されるような感覚を覚えた。


 ふと、壁の時計を見る。

 秒針が止まっていた。


 そして、ヴァルドが去った瞬間、止まっていた秒針が、かちりと音を立てて進んだ。

 まるで、あの男が許可するまで、時そのものが息を潜めていたかのように。

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