6.円環を貫く針
翌日、アネルと私は、時律監察局へ向かっていた。
同じ中央魔導院の中なのに、戦略局とはまるで違う。音が吸い込まれるように静かで、窓が少なく、薄暗い。
壁には、第三導路で見たものと同じ銀色の細い導線が走っている。これは偶然なのか。それとも、ここへ誘われているのか。不気味な光を放つ導線を見て、ぞくりとした。
すべての扉には、円環を一本の針が貫く印が刻まれている。それを見るたびに、胸の奥へ細い針を差し込まれるようだった。
「——ティルア」
彼の声に、私は、はっとする。
「顔色が悪い。体調が悪いなら、今日である必要はない」
私は首を振る。
「……行きます」
「無理をする必要はない」
アネルが心配そうに声を落とす。けれど私は、ここで示さなければならない。そう見えていた。
私は、正面を向き静かに告げる。
「無理かどうかを、私が決めてもいいですか?」
アネルは、私の覚悟のようなものに圧されたように、ただ頷く。
「もちろんだ」
聴取室に時計はなく、ただ、薄暗い闇に包まれた場所だった。
水晶がひとつ、私が入った瞬間にぼうっと光る。
「ご心配なく。時術の痕跡を確認するだけのものです」
ひとりの男が妖しい笑みを浮かべ、恭しく頭を下げる。
見渡すと、水晶の横に記録を取る男がひとり、奥には、もうひとり無言で板状の水晶を持った男がいた。
「——シュタール監察官。我々は聴取への同行は承諾した。だが、検査への同意はしていない」
アネルが低い声を落とす。
シュタール監察官は、笑みを崩さない。
「いえ、これは検査ではありません。あくまで聴取です」
アネルの眉がピクリと上がる。
寒々しい沈黙だけが、部屋を満たしていた。
「それでは、ソルデヴィア解析官。あなたへ質問があります」
シュタール監察官の視線が鋭くなり、私の方へ針を刺すように向ける。
心臓が不規則な鼓動を刻み、身体じゅうに響く。
「浮行板の故障を、どの段階で把握しましたか」
「魔力の流れに、異常がありました」
監察官の視線が、一層鋭くなる。
「事故が起きる前に?」
「はい」
監察官が一段、低い声で尋ねる。
「——灰色の外套の男が証拠を処分することも……魔力の流れから分かったのですか」
一瞬、言葉に詰まる。見えたとここで言えるわけがない。
言えば、その場で拘束される——。
司法局から話が伝わったにしては、早すぎる。まるで見透かされていたように把握されている。
私の背筋に冷えたものがつたう。
「監察官。魔力を解析しても、まだそこにいない人物の服装までは分からないでしょう」
アネルが、話に割って入る。
「彼女の解析手法は、戦略局の機密事項だ」
シュタール監察官の口元が歪む。
「時術に関係するなら、監察局の管轄です」
「関係すると決まったわけではない」
しばし、アネルと、シュタール監察官の視線が、鋭く鍔迫り合いをするように交差する。
静寂を破り、監察官が勝ち誇ったような目で書類をめくった。
「ティルア・ソルデヴィア解析官。種族登録は——エオネ族」
「間違いありません」
監察官は少し視線を上げる。
「記録上、エオネ族は、十年前に滅びたこととなっています」
シュタール監察官は笑みを浮かべ、話を続ける。
「古い記録には、エオネ族が時間に干渉する能力を持っていたとの記載もあります」
私の奥を、針で抉られるような感覚がした。
「まぁ……伝承にすぎませんが」
監察官はそう言っているが、彼らは知っている。伝承などではないと。
そして、蛇が睨みつけるように執拗な口調で声を落とす。
「北境で白妖と呼ばれていた者たちについて——」
アネルが眉を上げ、低い声を落とす。
「エオネ族だ。……公的な聴取で、蔑称を使用するな」
一瞬、監察官がたじろいだのを見て、私は、アネルの方を見る。
「アネル、ここからは私が答えます」
「だが——」
私は首を振る。
「シュタール監察官。なんなりとお尋ねください」
監察官が、私に向き直る。
「では、ソルデヴィア解析官。あなたは、事故が起きることを事前に知っていたのですか?」
問い詰められたら、答えるしかないと思っていた。だが、ここでは違う。
怯えていることを、彼らに悟らせてはいけない。
私の力も、過去も、すでに多くを奪われた。
——それでも、私の意志まで差し出すつもりはなかった。
「私は、事故が起きる可能性を知りました」
「ほう……、それはどのように?」
胸の奥では鼓動が暴れていた。それでも、私は余裕の表情を崩さなかった。
「今は話せません」
「なぜです?」
一拍置いて、静かに告げる。
「私自身が、あなたたちを信用できるか分からないからです。ですが、私は誰かを傷つけるためにそれを使ったことはありません。これからも、そのつもりはありません」
シュタール監察官は、表情を崩さずに、静かに告げる。
「未登録の時術使用は、処分の対象となる場合があります」
アネルが、即座に低い声で返す。
「彼女が術を使用した証拠はない」
「だからこそ、——確認が必要なのです」
「もしや確認と称して、彼女を拘束するつもりか?」
「まさか。……現時点では、あくまで聴取です」
くくっと喉を鳴らし、監察官が続ける。
「ソルデヴィア解析官。——あなたに、今後も必要に応じて出頭を求めます」
私は机上の古びた書類へ視線を移した。
紋章と、インクの薄れた古い管理番号が一瞬見える。
『北境時災鎮圧作戦・記録封鎖指定』
北境霜原の村が襲われたあの日の出来事は、中央では『時災』という別の名前で処理されているのかもしれない。
脳裏に、炎に包まれ、私を庇った母の姿や、外に出て何らかの術に貫かれ倒れていた父の姿が浮かぶ。
聴取室を出た途端に、私の身体からふっと力が抜ける。
即座にアネルがふらついた私の腕を支えた。
「よく答えた」
声を落とすアネルに、私は首を力なく振る。
「何も、答えていません」
「答えないと決めた。それも立派な回答だ」
私は、ここへ来てからずっと胸にあった疑問を口にした。
「あの人たちは、私を怖がっているのでしょうか」
「違う」
「では、何を?」
アネルは私の方へ向き直り、告げる。
「自分たちが管理できないものを、怖がっている」
戦略局へ戻ろうとしたその時、水晶のところへいた記録官が黒い用紙に記された聴取記録を持ってくる。
「こちらは本日の聴取記録です。局長へ報告したのち、正式に保管されます」
書類に目を落とす。
「時律監察局長 ヴァルド・セレク……?」
アネルの表情が硬くなる。
「知っているのですか?」
アネルが、絞り出すように答える。
「……中央で、あの男を知らない者はいない。時術研究の第一人者で、時律監察局を現在の規模まで拡大した男だ」
背後から、記録官が静かに告げる。
「セレク局長も、あなたに大変興味を持っておられます。——ソルデヴィア解析官」
大変興味を持っている。
その言葉が、なぜか好意には聞こえなかった。
黒い書類の上で、円環を貫く銀の針だけが、静かに光っていた。




