5.偶然は一日二回まで
翌日、戦略局長室にはなぜか、人だかりができていた。
お手柄新人解析官として、私は時の人となってしまったらしい。
「事故が起きる前に、故障を言い当てたんだって」
「本当に魔力の流れを見ただけなのか?」
「白銀の髪……やっぱり普通の魔導師ではないんじゃない?」
ざわつく人々を前にして、私の動きがぎこちなくなる。
私が一歩動くたびに、人の波がうねる。また一歩動けば、またうねる。
「彼女は見世物ではない。仕事へ戻れ」
私の後ろから、人々を追い立てる声がする。アネルだ。
「ほらほらー、始業時間は過ぎてますよー! 皆さんお仕事しましょー!」
淡い茶色の髪をさらりと揺らしながら、男性が人々を散らしていく。キリっとした雰囲気に、どこかほわほわとした空気をまとった人。
彼は私とアネルを交互に見て、にやりと笑う。
「局長、ダメじゃないですか。彼女を守らないと!」
アネルは一回「コホン」と咳払いをする。
「——ティルア、紹介しておく。彼はユスティン・クライナート。戦略局の事務官だ」
「クライナートさん……よろしくお願いします」
「ユスティンでいいですって!」
その時、僅かにアネルの視線が鋭くなったのは、気のせいだろうか。
「それより、報告に来たんです。昨日の第三導路の浮遊板事故、最後に整備した若い職員が事故を起こそうとした疑いで——拘束されました」
一瞬、空気が張り詰める。
昨日の事故は魔力の途切れが原因だったはず。それがどうして、こんなことに?
ユスティンさんは話を続けた。
「——第三導路の整備に使用する魔紋記録が残っていて、状況だけ見れば彼が犯人だと。しかし、彼は自分ではない、と」
私の脳裏に、若い男性と、黒い制服を着た男性の姿が浮かぶ。
「俺は通常の点検をしただけです。導線には何もありませんでした」
「記録には、お前が最後に触れたと残っている」
「でも、本当に……」
取り調べは、一方的だ。
まるで、労働奴隷だった頃の、少し前の自分と重なった。
そして、反論をさせてもらえず、誰にも信じてもらえないまま連行される。
別の場所で——灰色の外套を着た男性が、黒ずんだ水晶の欠片を、町外れの魔導炉に投げ捨てていた。
まるで、砦で事故の犯人にされかけた私のようではないか。
「待ってください。この人が犯人とは限りません」
思わず私は声を上げた。
アネルは、すべてを承知した様子で、あえて落ち着いて尋ねる。
「根拠は?」
「……解析します」
私たちは、第三導路へ向かった。
「アネル、通常の魔力の流れとは別に、ごく細い術式の糸が見えます」
「遅延、反転式……一定時間が経過したあとにだけ魔力を逆流させる術式だ。これを使えるのは、経験がいる」
「若い彼には使用できない術、ということですか?」
「術が高度すぎて、若い彼にはまず使えないものだ。しかも、魔紋も彼のものではない。複製されている」
細い術式の糸には、何か数字のようなものが見える。
「この術式は、最初から事故が起きる時刻を決めていたように見えます」
アネルの表情が険しくなる。
「偶発的な故障ではない。……誰かが意図的に仕組んだということか」
時限式の魔術。そうであれば説明はつく。
「はい。おそらく、証拠はまだ残っています」
そして、第三導路の先、東の廊下に——。
「アネル、東の転移廊へ。あの男は町外れの廃棄魔導炉へ向かいます」
「……何が起きる?」
私は一瞬口をつぐんだ。
「灰色の外套を着た男性が、証拠を処分します」
アネルは、問い返さない。
「……ティルア、そこに案内しろ」
私たちは、東の廊下の先、町外れの魔導炉に走った。
魔導炉の中で、灰色の外套を着た誰かが、今にも捨てようとしていた。
「そこで何をしている! ——《断理》!」
魔導炉の炎が消える。男が驚いて振り返り、深くかぶっていた外套の頭巾が落ちた。
そして、落ちた水晶片を私は拾い上げた。
「……お、俺は……何も! 何も知らない!」
アネルの表情が歪む。
水晶を見ると、不自然に洗練された何かが見えた。
男はさらに話を続ける。
「依頼主の顔も知らないんだ! ただ、下っ端の職員の俺に……これを処分しろと」
制服を見ると、戦略局の制服でもない。
アネルが、難しい表情で声を落とす。
「この水晶……時術の痕跡が残されている。時間を指定して発動する、中央でもほとんど使われない術式だ——司法局に、提出して説明しておく」
アネルは司法局へ向かい、私は先に戦略局へ戻ることにした。
戻る途中、何かの視線を感じたが——気のせいだろう。
戦略局へ戻り、机で一息つく。
そこへ、ひとりの若い整備官の男性がやってくる。
時詠みで見えた男性だった。
「……あなたは」
「ソルデヴィア解析官、ありがとうございました! ……誰も、信じてくれなかったのに。司法局にブリューム戦略局長が説明してくださり、あなたの解析のおかげだと」
「私も……同じでしたから」
整備官の男性は首をかしげる。
「……え?」
私は首を振った。
「……いいえ。あなたが無事で、よかったです」
整備官の男性が去ってしばらくして、アネルが戻ってきた。
「整備官の無実は証明された。時間そのものを術式へ組み込める者は、中央にもほとんどいない」
「ほとんど……?」
私は、時詠みを二度使った反動で、視界がぐらついた。
アネルが、私の身体を支え、呟く。
「本日の『偶然』は、これで二度目だな」
私はわけがわからず、首を傾げる。
「今、決めた。君の『偶然』は一日二回までだ——君の体のために」
「偶然に、回数制限があるのですか?」
そして、アネルは飲み物を差し出してきた。
「これも支給品ですか?」
「時詠み――いや、解析で消耗した魔力を補うための、職務上必要な栄養だ」
私の心臓の鼓動が、早まる。
「まだ時詠みとは言っていません」
アネルの手が止まり、首を振る。
「……聞かなかったことにしてくれ」
アネルは私の力が『偶然』ではないことに気がついている。知っていて、知らないふりをしてくれている。
これが何なのか無理に聞き出そうとしない。それがどこか、心地よかった。
「ティルア、この封書、いつから——」
机を見ると、黒い封書が届いていた。戻るときに感じた視線と、同じ感覚が、その封筒から醸し出されている。
「中央魔導院・時律監察局……」
「時律……監察局……」
私は封筒に押された封蝋を見る。
円環を一本の銀の針が貫く紋章——見覚えがある。
その紋章を見た瞬間、私の胸の奥が静かに凍りついてゆく。
雪が降る。炎に包まれた村。
私を庇う、母の背中。
そこに落ちていた紋章——。
私は震える指を握り込んだ。
なぜ、この印が中央魔導院にあるのだろう。
「ティルア?」
アネルの声に、ふっと我に返る。
「大丈夫です。なんでも、ありません……」
「手紙の内容は——新人魔導解析官ティルア・ソルデヴィアに、浮行板事故の予測手法について聴取を求める」
胸がきゅっと縮こまる。
アネルの手が、ふわりと肩に触れる。
「時律監察局の聴取には、私も立ち会う——君を、傷つけさせはしない」




