35.帰還
北境霜原の雪は、音を抱き込むようにしんとしていた。
中央魔導都は、その反対だった。
人の声も、魔導具の音も、毎日何らかの音で溢れている。
この騒がしい中央での生活に――妙にほっとする私がいた。
ウィィン、と大きめの自動清掃魔導具が廊下を行ったり来たりしている。この魔導具には、誰がやったのかわからないが、可愛らしい顔が描かれている。
局長室は、いつもと変わらず私の机があり、窓からは朝の淡く白い光が差し込んでいた。
「おかえりなさい、ティルアさん」
ユスティンさんが微笑みながら書類を持って入り、「局長、仕事たまってますよ」と言いながらアネルの机にどさりと書類の山を置き、アネルに睨まれている。
「……ただいま、です」
こんないつもの戦略局が、今日はなぜか愛おしい。
私は、鞄から布包みを出し、ちらりと焼き型を見る。
「なんすか、それ?」
ユスティンさんが覗き込む。私は、包みを開く。
「母の、ルメルパイの焼き型です」
アネルが、水晶板越しにこちらをちらりと見ている。そんなにルメルパイが食べたいのだろうか。
「……ちゃんと作りますから」
「急がなくていい」
書類の山を指し、ユスティンさんの表情が変わる。
「……で、局長。留守の間に、ちょっと妙な報告がたまってまして」
アネルの表情が、何かを察したかのように険しくなる。
「中央魔導都のあちこちで、小規模ですが時間異常が発生していて……。時計が数秒止まったり、浮行板の起動が狂ったり。また別のところでは通信水晶の映像が乱れたり、時間が巻き戻されたように同じ動作を繰り返す人がいたり――それぞれは小さな異常っす」
ユスティンさんがアネルの水晶板に発生地点を打ち込むと、中央魔導都を囲むように点が並んでいた。
アネルの顔が、さらに険しくなる。
「偶然にしては……整いすぎている」
私は北境霜原から持ち帰った記録水晶を見て、十年前のエオネ村で使われた術式と、この前の中央広場の術式。そして今回の異常痕を見比べた。
「すべて……似ています。けれど、まったく同じではないです」
アネルが眉間に手をやる。
「中央広場の術式より、ずっと小さい……試験運用か? それとも……」
私は異常の発生地点をよく見た。まるで、円環。書きかけの魔法陣のようにも見える。もしかして……と考えると、背筋がぞくりとした。
「全部を、繋ごうとしている?」
アネルが報告書をめくっていくと、各地から報告が上がっていた。
『通信水晶の時刻同期に異常あり――通信局 エリオ・ファルク』
『黒晶鉱を利用した不審な発注が中央方面に集中――西部鉱山より コンラート・レルシュ』
『警備局にて、不審な時間停止を確認――警備局長 フィン・ヘルツェル』
すべて、私が中央に来てから関わった人たちだった。その人たちが今回は情報を持って戦略局に協力してくれていた。
私の心臓がぴょんと跳ねる。
これまで、私自身が誰かの未来を見る側だった。自分が関わった人たちも、ここで生きて、仕事をして、今ここに情報が集まっている。
「……皆、覚えていてくれたんですね」
ユスティンさんの口角が、にっと上がる。
「そりゃ覚えてますよ。ティルアさん、あちこちで人助けしてますし」
「私は、仕事をしただけですが」
アネルも深く頷く。
「ティルアの仕事で、助かった人間がいる」
その言葉に、私の胸が底から熱くなる。
「それと――」
「はい?」
「北境霜原での調査結果を、魔導院の独立調査へ提出する必要がある」
私はいそいそと記録水晶をまとめ、運搬用の鞄に入れた。
中央魔導院・代表室。
エレナ様は窓を見て立っていた。街の時間異常を観測するように。
「戻りましたね。ブリューム局長、ソルデヴィア解析官」
私とアネルは並んで頭を下げる。そして、エレナ様は芯のある口調でゆっくり話し始める。
「もう、報告は受けたでしょうが……中央魔導都内でさまざまな時間異常が発生しています」
アネルが、資料と記録水晶を渡す。
「こちらが、北境霜原のエオネ族に関する資料になります」
エレナ様は、書庫の記録の写しを見た瞬間、顔の色を失う。
「すべて類似した時術が使われている……? 時災は、人工的に起こされたもの……?」
「ええ、推測ですが……十年前からすべて、繋がっているのではないかと」
エレナ様は私たちを交互に見る。
「これらの小規模な時間異常は、何らかの大規模時術の前兆と見るべきでしょう。ふたりとも、警戒を怠らず任務に当たりなさい」
「承知いたしました」
戦略局へ戻り、私は自分の机を見る。
いつもと変わらない、しかし、水晶板には中央魔導都を囲む異常地点が増えていた。
窓の方へ歩き、外を見る。
街の人々は、今日も普通に歩いており、浮行板も飛び交い、パン屋からは焼き立てのパンの香りがする。
この街にも、明日がある。
私は、この街の明日を、当たり前の未来を守りたい。
「ティルア」
声のする方を向くと、いつの間にか、アネルが横に来ていた。
「アネル、どう……しましたか?」
「北境から戻ったばかりだ。休んでもいい」
私は、くすっと笑う。
「休むのも仕事、ですよね?」
「そうだ」
私は視線を窓の外に戻す。
「休みます。ちゃんと。――でも、この街で何が起きているのかも、知りたいのです」
バタバタとユスティンさんが入ってくる。
「局長、ティルアさん、大変です! 異常地点が、増えています!」
私たちは慌ててアネルの水晶板を見る。
そして、ユスティンさんが時系列順に異常地点を並べ直す。
点を結んでいくと――アネルの表情が、硬くなる。
「……ティルア」
私もごくりと息を呑む。
点は偶然の散らばりではない。
中央魔導都全体を囲む、巨大な時術陣の外周が描かれている。
「これ……完成していません。今は、まだ」
アネルの眉間に皺が寄る。
「もし、完成したら?」
私は時詠みを使おうとしたが、やめた。
現在の術式を解析するだけで、起こることは予想がつく。
「……街全体が、ひとつの時術に呑み込まれます」




