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最後の時詠みは、過保護な魔導軍師を守りたい  作者: 凪砂 いる
第五章 雪環の彼方へ

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34.帰る場所

 儀式を終えた後、私たちはまた書庫へ戻り、そこで一夜を過ごした。

 気がつくと、アネルの腕に包まれるようにして眠っていた。


 そっと抜け出し、外を見る。

 雪は変わらず白かった。

 焼けた煉瓦も、崩れた井戸も、そのままだった。


 何ひとつ元には戻っていない。


 それなのに、不思議と昨日までのような息苦しさはなかった。


 広場は、新しい雪に覆われ、儀式の後片付けをするかのように白かった。

 北側には、アネルが置いた赤いルメルが少し雪をかぶっている。


「……ちゃんと、行けたかな」


 背後に、あたたかい気配がする。アネルが起きてきたようだ。


「君が送ったんだろう」

「……はい」


 そこから、私たちは書庫へ戻り、資料を開いていた。原本を詰めて持ち帰ろうとした私を、アネルが静かに止める。


「原本は、ここへ残す」


 そう言って、記録水晶を取り出し、ひとつ、ひとつ、複製を始める。


「――エオネ族の記録を、また中央が持ち去ってはならない」


 私は、資料を棚に戻していき、呟く。そうだ、村の大人たちや先祖が代々残してきた、エオネ族がここで生きていたという証を、持ち去ってはならない。


「……そうですね。これらは、ここにあるべきです」


 鞄の中から、おそるおそる焼き型を取り出し、尋ねる。


「これは……持って帰っても、いいでしょうか?」


 アネルが少し困った顔をし、微笑む。


「君のお母さんのものだろう。……私に許可を取る必要はない」


 私はふっと笑い、煤を軽く払って、布で包んだのち鞄へと入れた。いつか、これでアネルにルメルパイを焼いてあげられたらいい。そう心で呟いて。


 書庫の記録を複製していたアネルが、急に険しい顔をする。


「これは……、作戦に使われた『時の霞』の術式構造の一部が、中央広場の件の術式と似ている」

「アネル、これは同じ術式ですか?」

「完全には同じではない。だが……系統は同じだ」


 私の脳裏に、ヴァルドの人形のような笑みが浮かぶ。


「――セレク局長が、やったんでしょうか」


 アネルは、険しい顔をしたままだ。


「まだ、そこまでは言えない」


 私たちは、お互い黙り、資料を複製していった。これが十年前のあの日にあったこと、エオネ族が、ここで暮らし、生きていたことの証明になる。

 そして、帰り支度を終え、村の外の石碑まで来て、私は村の方を振り返った。

 昨日までなら、ここへ残ることを選んだかもしれない。けれど今は、自分が帰りたい場所を知っている。


「ティルア」

「はい」

「……ここに残るという選択肢もある」


 私は、静かに煤けた煉瓦の残骸が残ったエオネ村を静かに見つめていた。


「ここは、私の故郷です。……たぶん、ずっとそうです」


 私はアネルの方を向き直す。そして、まっすぐに彼の真紅の瞳を見つめる。


「でも……帰りたい場所は、エオネ村だけではなくなりました。私は、中央魔導都へ帰りたいです」

「戦略局に?」

「はい。私の机がありますから。そして……アネル、あなたが、います」


 彼の瞳が揺れる。耳だけが赤く染まっている。


「……そうか」


 私は、アネルに一歩だけ近づく。


「アネルは、私と帰りたいですか?」

「ティルア……君と、帰る」


 針葉樹を出て、静かな雪原を馬車で移動し、霜門砦へ戻る。そこで昼食のパンとスープを食べたとき、中央の味が恋しくなっている私に気がついた。


「ブリューム局長、ソルデヴィア解析官、お気をつけて!」


 砦の警備局の兵士に見送られ、さらに南へ向かうために浮行馬車へ乗り込む。

 白銀だった大地は、やがて焦茶色の土へ変わり、その先では鮮やかな緑の植物が風に揺れていた。

 やがて、遠くに中央の魔導塔が見えてくる。


 少し離れただけで、中央での暮らしも、仕事もすでに私の一部となっていた。それが胸をあたたかくさせる。


「中央に帰ったら、しばらく休め」

「……仕事があります」

「休むのも、仕事のうちだ」

「それは、局長命令ですか?」


 アネルはふいと横を向き「……そうだ」と呟いた。

 私は、鞄から焼き型の入った布を出し、撫でる。


「帰ったら、ルメルパイを作りたいです。……母の焼き型で」

「……ああ」

「そのときは、一緒に食べてくれますか?」


 アネルの頬が少しだけ緩む。


「……もちろんだ」


 浮行馬車はしだいに中央魔導都へ近づいていく。今はもう見慣れた魔導塔、浮行板が見え、やがて人々のざわめきが聞こえてくる。


 以前の私なら、北境霜原こそ故郷で、中央魔導都は知らない街だった。今は故郷も中央も、両方が自分の中で息づいている。


 故郷は、雪の彼方にある。

 父も。

 母も。

 姉も。

 村のみんなも、そこにいた。


 私はそれを――忘れない。


 けれど――私が今生きている場所もある。


 ふと、アネルの顔を見る。


「帰りましょう、アネル」


 彼が静かに頷く。


「ああ、帰ろう」


 私は、故郷を忘れはしない。

 懐かしいエオネ村での記憶を胸に抱いて――。

 生きる場所へ、帰ってきた。


 大切な人と、大切な場所、中央魔導都。

 私は、そのざわめきの中へアネルと戻っていった。


「戦略局へ戻る前に、街で食事をしましょう。お腹が、空きました」


 彼は微笑む。


「ティルアも、そう言えるようになったんだな」

「はい」


 人の声と、魔導具の音と、焼き立てのパンの匂いがする。


 私たちは、街の賑わう道を、並んで歩いた。

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