34.帰る場所
儀式を終えた後、私たちはまた書庫へ戻り、そこで一夜を過ごした。
気がつくと、アネルの腕に包まれるようにして眠っていた。
そっと抜け出し、外を見る。
雪は変わらず白かった。
焼けた煉瓦も、崩れた井戸も、そのままだった。
何ひとつ元には戻っていない。
それなのに、不思議と昨日までのような息苦しさはなかった。
広場は、新しい雪に覆われ、儀式の後片付けをするかのように白かった。
北側には、アネルが置いた赤いルメルが少し雪をかぶっている。
「……ちゃんと、行けたかな」
背後に、あたたかい気配がする。アネルが起きてきたようだ。
「君が送ったんだろう」
「……はい」
そこから、私たちは書庫へ戻り、資料を開いていた。原本を詰めて持ち帰ろうとした私を、アネルが静かに止める。
「原本は、ここへ残す」
そう言って、記録水晶を取り出し、ひとつ、ひとつ、複製を始める。
「――エオネ族の記録を、また中央が持ち去ってはならない」
私は、資料を棚に戻していき、呟く。そうだ、村の大人たちや先祖が代々残してきた、エオネ族がここで生きていたという証を、持ち去ってはならない。
「……そうですね。これらは、ここにあるべきです」
鞄の中から、おそるおそる焼き型を取り出し、尋ねる。
「これは……持って帰っても、いいでしょうか?」
アネルが少し困った顔をし、微笑む。
「君のお母さんのものだろう。……私に許可を取る必要はない」
私はふっと笑い、煤を軽く払って、布で包んだのち鞄へと入れた。いつか、これでアネルにルメルパイを焼いてあげられたらいい。そう心で呟いて。
書庫の記録を複製していたアネルが、急に険しい顔をする。
「これは……、作戦に使われた『時の霞』の術式構造の一部が、中央広場の件の術式と似ている」
「アネル、これは同じ術式ですか?」
「完全には同じではない。だが……系統は同じだ」
私の脳裏に、ヴァルドの人形のような笑みが浮かぶ。
「――セレク局長が、やったんでしょうか」
アネルは、険しい顔をしたままだ。
「まだ、そこまでは言えない」
私たちは、お互い黙り、資料を複製していった。これが十年前のあの日にあったこと、エオネ族が、ここで暮らし、生きていたことの証明になる。
そして、帰り支度を終え、村の外の石碑まで来て、私は村の方を振り返った。
昨日までなら、ここへ残ることを選んだかもしれない。けれど今は、自分が帰りたい場所を知っている。
「ティルア」
「はい」
「……ここに残るという選択肢もある」
私は、静かに煤けた煉瓦の残骸が残ったエオネ村を静かに見つめていた。
「ここは、私の故郷です。……たぶん、ずっとそうです」
私はアネルの方を向き直す。そして、まっすぐに彼の真紅の瞳を見つめる。
「でも……帰りたい場所は、エオネ村だけではなくなりました。私は、中央魔導都へ帰りたいです」
「戦略局に?」
「はい。私の机がありますから。そして……アネル、あなたが、います」
彼の瞳が揺れる。耳だけが赤く染まっている。
「……そうか」
私は、アネルに一歩だけ近づく。
「アネルは、私と帰りたいですか?」
「ティルア……君と、帰る」
針葉樹を出て、静かな雪原を馬車で移動し、霜門砦へ戻る。そこで昼食のパンとスープを食べたとき、中央の味が恋しくなっている私に気がついた。
「ブリューム局長、ソルデヴィア解析官、お気をつけて!」
砦の警備局の兵士に見送られ、さらに南へ向かうために浮行馬車へ乗り込む。
白銀だった大地は、やがて焦茶色の土へ変わり、その先では鮮やかな緑の植物が風に揺れていた。
やがて、遠くに中央の魔導塔が見えてくる。
少し離れただけで、中央での暮らしも、仕事もすでに私の一部となっていた。それが胸をあたたかくさせる。
「中央に帰ったら、しばらく休め」
「……仕事があります」
「休むのも、仕事のうちだ」
「それは、局長命令ですか?」
アネルはふいと横を向き「……そうだ」と呟いた。
私は、鞄から焼き型の入った布を出し、撫でる。
「帰ったら、ルメルパイを作りたいです。……母の焼き型で」
「……ああ」
「そのときは、一緒に食べてくれますか?」
アネルの頬が少しだけ緩む。
「……もちろんだ」
浮行馬車はしだいに中央魔導都へ近づいていく。今はもう見慣れた魔導塔、浮行板が見え、やがて人々のざわめきが聞こえてくる。
以前の私なら、北境霜原こそ故郷で、中央魔導都は知らない街だった。今は故郷も中央も、両方が自分の中で息づいている。
故郷は、雪の彼方にある。
父も。
母も。
姉も。
村のみんなも、そこにいた。
私はそれを――忘れない。
けれど――私が今生きている場所もある。
ふと、アネルの顔を見る。
「帰りましょう、アネル」
彼が静かに頷く。
「ああ、帰ろう」
私は、故郷を忘れはしない。
懐かしいエオネ村での記憶を胸に抱いて――。
生きる場所へ、帰ってきた。
大切な人と、大切な場所、中央魔導都。
私は、そのざわめきの中へアネルと戻っていった。
「戦略局へ戻る前に、街で食事をしましょう。お腹が、空きました」
彼は微笑む。
「ティルアも、そう言えるようになったんだな」
「はい」
人の声と、魔導具の音と、焼き立てのパンの匂いがする。
私たちは、街の賑わう道を、並んで歩いた。




