33.雪環の送り歌
私たちは、書庫で肩を寄せ合うようにして一夜を過ごした。
まだ眠るアネルに、私の上着を一枚かけ、書庫を見て回る。
住民記録に、当時の村民の名前が全て記録してあった。
『雪環の送り歌』をするには、亡くなった四十四人の名前が必要だ。私は、それをひとりも漏らさず解析帳に書き写した。
途中で記憶にない人の名前もある。
この人は、誰だっただろう。
八歳だった私には、村の四十四人全員の顔を覚えていることなどできなかった。
胸がぎゅっとなる。
しかし、名前は残っている。
「……よかった」
名前があれば、儀式ができる。
その時、ふわりと私の上着が肩にかけられる。
振り向くと、アネルが「風邪をひく」と苦笑いして立っていた。
彼の手には、赤いルメル。
「それは……?」
「昨日、隣村の村長から分けてもらった」
私は静かに頷いた。
「――『雪環の送り歌』は日暮れから始めます。ここで、寒さをしのぎましょう」
私が書庫の外へ出ようとすると、背後からアネルの声がする。
「ティルア?」
「儀式の用意を、してきます」
広場に大きく円を描く。ただし、北の方角を開けて。
本来は、円の中心には棺を置いていた。
その代わりに、ひとりひとりの名を、板や石に書き記し、中心へ置く。
儀式の用意が終わる頃には、ちょうど橙色の光が白銀を染め上げていた。
書庫から出てきたアネルが、円を見て首を傾げる。
「どうして、ここだけ開けるんだ?」
「死んだ人が、雪の彼方へ還るためです」
そして、輪の外にアネルを残す。
「アネルは、ここで見ていてください」
「わかった」
踊り手は、村の女性たちが交代で務めていた。大人の見よう見まねででやってみたけれど、できなかった。私に雪環の送り歌はできるのだろうか。
私は、輪の中へ進み出る。
輪の中心、亡き人の名の前で、両手を胸へ重ね、目を閉じる。
静かに足を踏み出す。
一歩。
二歩。
三歩。
左足を雪の上へ滑らせ、くるりと身体を翻す。私の銀白の髪と衣が少し遅れて弧を描く。
片方の手は雪へ。
もう片方は空へ。
ひらり、ひらりと腕を開く。
左足を雪へ滑らせる。
腕を開く。
身体を翻す。
知らないはずの舞を、私は知っていた――身体が、覚えていた。
――ここに生きた時間を受け取り、彼方へ返す。
反時計回りに身体をくるりと翻し、弧を描く。
「フォルカー・シュレーダー――優しかった。悪戯をすると、いつも叱られた村長さん」
雪を踏む。
胸へ手を置く。
腕をひらり、ひらりと開く。
その時、雪の中から淡い銀青色の光がひとつ、ぽうっと浮かぶ。
時詠みで見える未来の光とも違う。
私にはそれが何なのかわからなかった。
でも――懐かしかった。
名前を呼んでいくたびに銀青色の光がひとつ、またひとつと周囲に灯っていく。
それは、踊る私を、村の皆が囲むような輪を作っているようで――。
薪を割っている父の姿が見える。
「ラグス・ソルデヴィア――父さん」
私を守るように、横に銀青色の光が灯る。
舞を続ける私の双眸に、私とよく似た顔に、髪を一つに束ねた姉が本を持って笑っている姿が見えた。
「ティアナ・ソルデヴィア――お姉ちゃん」
ぽん、と肩を叩かれたような感覚がし、私の隣にぽうっと銀青色の光が寄り添う。
雪を踏み舞う私に、雪だるまと笑う幼馴染。
「レーナ。レーナ・エトゥラ――雪だるまを作って、遊んだよね」
ふわりと飛び跳ねるように銀青色の光が灯る。
くるりと反時計回りに弧を描く。
四十三の光がぽうっと円を囲むように灯る。
雪よ、その名を抱け。
風よ、帰る魂を運べ。
冬灯よ、彼方への道を照らせ。
時は戻らず。
命は留まらず。
されど、その名は消えず。
光は四十三。あとひとつ。
「……母さん」
光は、現れない。私は、絞り出すように呟く。
「エルナ・ソルデヴィア――母さん」
震えた声が、雪に消える。
舞が、止まる。
私の脳裏に声がする。
「ティルア! 早く! あなただけでも!」
頬を涙が伝って、止まらなくなる。
「……ごめんなさい」
雪は、しんしんと降り続ける。
「私だけ、生きて……」
ぎゅっと目を閉じ、首を振る。
「……違う」
アネルは、何も言わずに黙って私を見ている。
「母さんは……私に、生きろって言ったんだ」
四十三の銀青の光が心配そうに揺れる。
「……母さん、私、生きてるよ。ちゃんとご飯を食べて、仕事をして、帰る場所もできた」
アネルをまっすぐ見る。
「……大切な人も、できました」
雪の向こうで、アネルの紅い瞳がわずかに揺れた。
「だから――エルナ・ソルデヴィア。母さん」
その時、ぽうっと目の前に最後の光が浮かぶ。
四十四の光が、私の目の前に集まる。
私は舞の向きを変え、今度は時計回りに舞う。
閉じていた腕を大きく開き、雪を蹴り、くるりと回る。
四十四の光がそれに合わせるように円を描く。
そして、静かに北側の開いた部分へ雪を踏み、歩く。
――逝く者は、雪の彼方へ。残る者は、明日へ。
「逝くあなたたちは、雪の彼方へ」
私は目を閉じる。
「残る私は――明日へ」
歌い終わると、私は、輪を崩し、アネルを見る。
「アネル」
「ああ」
「冬灯を……置いてくれますか」
アネルが赤いルメルを手に取り、私は彼を輪の開いた場所へ導く。
彼が雪の上にルメルを置いた瞬間、風が止まり、周囲は音もなく、しんとした。
ひとつ、またひとつ。
四十四の銀青色の光が舞うように北の空へと昇っていく。
最後にひとつの光が私の頬をふわっと撫でるように通り、彼方へと飛んでいく。
「……行ってらっしゃい、みんな」
光がすべて去った時、また雪がちらほらと降り始めた。
私は、北の空を見て、立ったまま涙を流していた。
アネルが、私の隣にふわりと寄り添う。
「……ちゃんと、送れたか?」
私は、泣きながら力が抜けたように彼に寄る。
「――はい」
雪が次第に強くなってくる。
「……寂しいです。ずっと……寂しかったんですね、私」
アネルが私を雪から守るように頭から抱き寄せる。
「……今は、泣いていい」
「はい……でも……帰ってきて……皆を送れて、よかったです」
儀式でついた足跡を、雪が少しずつ覆っていく。
それを、ふたりで見ていた。
雪は、私たちの足跡を少しずつ隠していく。
それでもいい。
私は覚えている。
名前も。
声も。
あの村で生きていたことも。
忘れないことと、留まり続けることは、きっと違う。
私はもう一度、アネルの手を握った。
――そして私は、生きていく。




