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最後の時詠みは、過保護な魔導軍師を守りたい  作者: 凪砂 いる
第五章 雪環の彼方へ

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31.故郷のことば

 砦の警備局の兵士が白い息を吐きながら私を呼びに来た。

 

「ソルデヴィア解析官、朝食の用意ができております!」


 私は少し雪がかかった髪を揺らし、霜門砦へ雪を踏みしめながら戻った。ぎゅ、ぎゅっと雪の音が低く鳴る。

 食堂へ入ると、アネルが一瞬私をちらりと見たあと、視線を逸らす。長い睫毛が少し揺れ、耳が赤くなっている。


「おはようございます」

「……ああ」


 昨夜のことは何も触れずに、朝食を食べる彼の手が少しだけゆっくりになり、耳がさらに赤くなった。


「……ティルア、これも食べておけ」

「……()()()ですか?」

「携行食だ」


 顔が熱くなる。そして、昨夜の唇の温度まで思い出してしまい、私は干しルメルを受け取った。


 支度を済ませ、外へ出ると彼の紅い双眸が雪に映えている。

 砦より北、北境霜原は一面の白銀。遠くには雪山が薄らと見える。馬車のカタカタという車輪の音さえも雪に吸い込まれていく。森にはたまに枯れて赤茶色くなった針葉樹が彩りを加える。


 静かだ。


 中央魔導都の静けさとは違う。

 雪が、音を抱き込むような静けさだった。


「昔のことなら、俺のいた隣村に記録が残っているかもしれん」茶店のおじいさんはそう言っていた。


 ――北境霜原そのものが、あの日から止まってしまったように思っていた。


 こうして、今も暮らしている人がいるのは嬉しい。少しでもあの日のことがわかればと、隣村の村長さんの家に行く。


「その見た目。解析官のお姉ちゃんは、エオネ村ん人ね?」

「……はい!」

「あの火の手から……生きていた人がおって……本当によかった。記録はこれだよ」


 懐かしい北部訛りで話しかけられ、エオネ村の人と普通に呼ばれ、北境霜原の人は誰も白妖などとは呼ばない。 それが懐かしくもあり、心が暖かくなった。


 アネルと渡された資料を丁寧に読み込む。そこには北境霜原の『普通の暮らし』があった。


 《エオネ村 ルメル三十籠》

 《毛織物》

 《薬草》

 《北境冬市への出店》


 北境の記録にはどこにも中央にある《白妖系特異時術保持集団》の文字はない。

 ただ、取引をして、買い物をして、人々の生活が息づいていただけだ。


「……北境冬市には、母もよく行っていました」

「ティルア、覚えているのか?」

「はい。帰ってくると、いつも姉と私に甘い焼き菓子をひとつずつ買ってきてくれて……冬市で買ってきたもので、ルメルパイを焼いてくれたのです」


 村長さんは、目を細めて話した。


「エオネ村ん人たちは、変わった連中なんかじゃない。冬市じゃ、エオネ村のルメル酒や、ルメル茶が人気だったものさ」


 私は、静かに頷く。私たちは、こうやって北境霜原で生きていた。そう記憶してくれている人々が、確かにいるのだ。


「エオネ村んあった場所……この古地図しかないが、読めるけ?」


 村長さんが手渡した地図を見て、アネルは首を傾げていた。私もその地図を覗き込むと、自然に読める。


「……『雪環(せっかん)の里へ。冬灯の木を越え、北の石道を進め』」


 アネルが、わずかに目を丸くして私を見る。


「読めるのか?」


 私も、自分が北境の言葉を覚えていることに、驚いた。


「……ええ。なぜか、自然に浮かんできました」


 北境の言葉で書かれた文字ひとつひとつを指でなぞると、懐かしい声がする。

 

『これは、雪』

『こっちは、家』

『ティルアの「ティ」はね――』


 文字を教えてくれていた母や、姉の声がどこからか聞こえてくる。すぐそこにいてくれるような気がして、胸がいっぱいになる。


「忘れていなかったんだな」

「……はい」


 さらに資料を読み進めると、あの日の数日前、変わった往来記録があった。


 《中央監察局員 十数名通過》

 《目的:北境時術調査》 


 私の心臓が、ばくばくと鼓動が早くなっていく。震える指で、読み進めるとエオネ村からの交信記録が残っていた。


 《交易一時停止》

 《中央より来訪者あり》


「あの頃、エオネ村の人が『中央の人間が時詠みを探している』って言ってた」


 お茶を持ってきた女性が、呟く。

 時詠みを、探していた?


「……私、だったのでしょうか」


 アネルはすぐには答えず、私の頭にぽんと手を置いた。


「まだ、わからない」


 私たちは、隣村を出て、針葉樹の森を歩いて進む。

 現在の地図からは存在すら消されている、私の故郷、エオネ村。

 村長さんからもらった地図と、薄らと残る私の記憶を辿り、ただ歩く。


 遠くに鳥の声がし、しんとした道をさく、さくと音を立て進んでいく。

 日が傾きはじめ、光が橙を帯びてきたころ、記憶にある村への道を見つける。

 雪に半分埋もれた石碑が、人がいなくなった年月を物語っている。

 私は、心の中で「……ただいま」と呟きながら、雪を払う。


 石碑には《エオネの村 この先》と刻まれていた。


「……ここから少し行ったところです」

「村への道か?」

「はい」


 なぜだろうか、村を目の前にすると、胸がぎゅっと強く締め付けられる。私は、アネルの手をそっと握った。


「アネル、一緒に……来てください」

「はじめから、そのつもりだ」


 地図からは消された道だった。

 けれど、私は読める。


 この文字も。

 この雪の匂いも。

 故郷へ続く道も。


 ――私は、まだ覚えている。

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