25.危険指定
昨日のことが嘘だったかのように、戦略局はいつもの朝を迎えていた。
いつものようにざわざわ騒がしくて、にぎやかで、窓からは朝の光がキラキラと差し込み、局長室では、アネルがいつものように魔力補給飲料を飲みながら水晶板に向かっている。
席に着くと、自動配膳魔導具がお茶を私の席へ運んでくる。アネルがチラリと私の方を見る。
「……体調は?」
「問題ありません」
「それなら、よかった」
そして、私は、手元のお茶を見る。
「……これも、支給品、ですか?」
「業務用だ」
「最近、支給品が多い気がします」
くすっと笑って言うと、心なしかアネルの耳が赤くなっていた。
――そのときだった。
水晶板が一斉に赤く光り、警報音が鳴り響く。
アネルがさっと指示を出す。
「異常発生。場所は――街の噴水付近!」
私とアネルは戦略局を飛び出し、中央広場の噴水へ急いだ。
そこには、異様な光景が広がっていた。
噴水から跳ねた水滴が、落ちてこない。
空中を走っていた浮行板が、斜めに傾いたまま止まっている。
空を飛んでいた一羽の鳥は、翼を広げた姿のまま、空に縫いつけられたように動かなかった。
世界だけが、呼吸を止めていた。
見回りをしていた警備官が、空を見上げる。
「時間系の魔力反応です!」
そして、手元の水晶に視線を落としたあと、私の方を見る。
「……ソルデヴィア解析官の登録波形と……一部一致しています」
私の背筋がさっと凍りついた。
――私?
頭の中にふっと砦にいた頃の記憶が過ぎる。
「また、この白妖がやったんだろう……っ」
ひゅっと鞭の音が聞こえる。
私は、「違います」と言いたかったが、声が出なかった。
横にいるアネルも、何も言わない。
警備官の方を見据えた。
「……これは、私の時詠みではありません」
「根拠は?」
横にいたアネルが、静かに声を落とす。
私は静かに目を閉じる。
「私の時詠みは、未来から情報を受け取ります。――現在の時間そのものを固定する術では、ありません」
一見すると、魔力の流れは私の時詠みに似た淡い青色をしている。しかし内部がおかしい。
私の時詠みは、枝分かれした未来を読む。
けれど、この術は違う。
枝が、ない。
未来へ伸びるはずの魔力が、一つずつ潰されている。
「これは未来を見ているのではありません。未来を……減らしています」
横にいたアネルが固まる。
そして、アネルの通信水晶へ、一つのメッセージが届く。
『特異時術に起因する危険事象発生の疑い。ティルア・ソルデヴィア解析官を緊急時術危険指定・暫定対象とする』
ユスティンさんから通信が入る。
「……昨日の、今日ですよ」
アネルが頷く。
「準備が良すぎる」
私の身体は、まだ震えている。
「……まだ、監察局がやったとは言えません」
震える声で、絞り出した。
自分の力を勝手に使われたように見せかけられて、自分が危険だと呼ばれる。
――悔しい。
「こんなの……嫌です」
そして、また、けたたましい警報音が鳴る。
止まっていたはずの浮行板が一斉に動き出す。
噴水の水が、バシャアッと落ちる。
周辺の人達が、パニックになっている。
ガタン、と音がし、浮行板が子供のほうへ落ちていく。
私の視界に淡く青い光が流れ込む。
――三秒後。
ここで力を使えば、「時術を使った」と記録され、濡れ衣を着せられるのは明らかだ。
けれど、今ここに危険にさらされている子どもがいる。
躊躇ってなど、いられない。
「アネル! 三秒後! 左!」
私が叫ぶと、アネルの放つ白い刃が、原因の術式を断ち切り、浮行板はまたふわりと浮上した。
潔白を守るために力を使わない選択をするよりも、人を救うためにこの力を使いたい。
そして、背後からコツコツと足音がした。
「危険指定審査中に、時術を使用しましたね」
振り向くと、シュタール監察官が笑みをたたえ、立っていた。
私の身体から血の気がさっと引いていく。
しかし、私は監察官の方を向いた。
「……はい」
「なぜです?」
「……人が、怪我をする未来が見えたからです」
シュタール監察官がふっと妖しく笑う。
「危険指定中だと、あなたは理解していたのですか?」
「理解していました。それでも、助けない理由にはなりません」
シュタール監察官は、記録用の水晶を一瞥した。
「使用記録として、報告します」
そう言い放ち、立ち去っていった。
「まるで……監察局は仕組んでいたかのようだな」
アネルの声と、握られた手が震えている。
私はそっと、アネルの手を取る。
「アネル、私は大丈夫です」
「大丈夫なものか……!」
「……はい、大丈夫ではありません」
震えるアネルの手に触れ、話を続ける。
「私も、怖いし、悔しいです。でも……調べます」
自分に言い聞かせるように、そう言った。
局長室へ戻り、私の魔紋証を見ると、赤く文字が浮かんだ。
【緊急時術危険指定・暫定】
私は昨日解析帳に書いた文字まで、危険だと書き加えられたような気がした。
魔紋証に浮き上がる赤い文字を、じっと見る。
私は魔紋証を制服の衣嚢に戻した。
「……『危険』は、私の名前ではありません」
アネルが静かに頷く。
「私が何者なのかは……私が決めます」




