24.私は、ここにいる
『安全確保のため、身柄の一時移管を求める』
それは、私にとって、足元から何かが崩れ落ちていくような、身体が、芯から凍てつくような。そんな言葉だった。
「……そんな監察局の言い分は――」
アネルが低い声で言いかけ、私の方を見る。
「ティルア」
「……はい」
「君は、どうしたい?」
私の身体は震えていた。
家族や、村の人達を殺したかもしれない組織。
何をされるか、わからない。
しかし、答えは決まっている。
「……行きたく、ありません」
アネルが頷く。
「わかった」
書類に視線を戻して続ける。
「拒否する、と返答を送っておこう」
局長室にユスティンさんが呼ばれ、アネルと何やら話をしている。
ユスティンさんは分厚い本を指差した。
「――局長。今回の監察局の要請はあくまで『移管要請』で、強制収容命令ではないっす。ただし、監察局側が『緊急時術危険指定』を申請すれば……強制力を得る可能性があります」
「……要するに、今は断ることができる、と。監察局が動いて話が変わる前に、こちらから行くぞ」
アネルはペンを取り、さらさらと書類を書き上げる。
「ティルアも確認してくれ」
「……わかりました」
戦略局所属ティルア・ソルデヴィア魔導解析官の処遇について。
本人が移管を拒否しており、現在、時術は戦略局管理下で安全対策済み。
魔力測定環による負荷管理を実施し、危険事象の記録もなし。
現在戦略局において共同研究中。
そして、緊急移管を必要とする根拠が提示されていない。
よって、今回の移管要求は拒否する。
――魔導軍戦略局長 アネル・ブリューム
ユスティンさんが、どこか楽しそうな声で呟く。
「――局長、これ、監察局にほぼ喧嘩売ってません?」
アネルが低い声を落とす。
「……事実を書いただけだ」
「一番怖いやつですよ、それ。おそらく、セレク局長が乗り込んできます」
「望むところだ」
ユスティンさんは「うわ、怖っ!」と言いながら、アネルから書類を受け取り持っていく。
私は、震えながらも、奥までは凍りつかず、アネルの目を見て頷いた。
彼も私の瞳を見てゆっくりと頷き返す。
窓の光が淡い白から変わる頃、空気が変わった。
時が止まったような、何の物音もしないしんとした空間。
この感覚は覚えがある。
――ヴァルドだ。
コツコツと靴の音だけが響き、局長室へヴァルドが入ってくる。
黒い書類を持つ指先だけが、ほんのわずかに震えていた。
しかし、人形のような微笑みはいつもと変わらない。
「移管を拒否されたそうですね。……ブリューム局長?」
アネルが眉をぴくりとさせる。
「……ティルア本人が拒否している」
ヴァルドが冷たい微笑みを私に向ける。
「――ティルア、本当に……あなた自身の意思ですか?」
彼は続ける。
「……あなたはブリューム局長に救われた。住居も、仕事も与えられた。そんな相手のそばにいたいと思うのは、本当に自由な選択でしょうか?」
私はじっとヴァルドを見据える。
「以前なら、わからなかったと思います」
ヴァルドの笑みがわずかに深くなる。瞳はすでに笑っていない。
「……では?」
「今は、わかります。私は……自分でここにいたいと思っています」
ヴァルドが笑みを貼りつけ、甘く冷たい声で返す。
「……ここが安全だから?」
私は、ゆっくりと首を振り、彼を鋭く見据え直す。
「違います」
私は、周囲をぐるりと見渡す。
自分の机。
解析帳。
橙色を帯びつつある窓。
局長室の入口には、静かに頷くユスティンさん。
そして、アネル。
「……ここで、仕事がしたいからです」
「彼と、一緒に?」
アネルの方を見て頷き合い、私の胸が跳ねる。
「……はい、それも、私が選んだことです」
ヴァルドの顔からすっと笑みが消える。
「……選択というものは、とても不安定です。人は間違えます」
「間違えたら、選び直すだけです」
ヴァルドの視線が鋭くなる。
「道を、間違えたら?」
「……戻って、選び直せばいい。それだけです」
ヴァルドの顔が、わずかに歪む。
「――選び直せない過ちも、ありますよ?」
私は静かに、そして強く返す。
「……それでも、誰かにすべての道を決められるよりは、ずっといいです」
ヴァルドがアネルへ視線を向ける。
「……あなたが教えたのですか?」
アネルは首を振る。
「ティルアが、自分で決めたことだ」
一段と、空気が凍りつく。
「――わかりました。では、今回は、正式な手続きを踏みましょう」
眼鏡の奥の視線が冷たい。
「ティルア。あなたが危険ではないことを証明できる間は、ですが」
局長室を出る前、ヴァルドは私の横へ来て囁く。
「ティルア。あなたは最後のエオネ族です」
「……はい」
「だからこそ、失うわけにはいかないのですよ」
優しく甘い声、しかし私は彼の言葉の本当の意味を、今なら理解できる。
彼が守ろうとしているのは『私』ではなく『最後の時詠み』という価値なのではないか。
「――私は、管理されるために生き残ったのでは、ありませんから」
ヴァルドが去り、ふっと空気が動き出す。
私の脚は、まだ震えている、しかし、ここに立っている。
アネルが私のもとへ近寄り、両手で頬を包む。
「大丈夫か?」
「怖、かったです……でも、私はここにいたいです」
「ああ」
頬に触れる彼の手から、じんわりと熱が伝わってくる。
そして、自分の机で解析帳を開く。
【現在確認できる事実】
ティルア・ソルデヴィア。
エオネ族。
魔導軍戦略局所属、魔導解析官。
――私は、ここにいる。




