23.誰のための保護
呼吸が、うまくできない。震えも、止まらない。
アネルに抱えられて、熱が伝わってくる。
「……ティルア!」
喉が塞がったようで、浅い息しか吸えない。
『正式な管理審査』
その文字だけが、頭の中をぐるぐると何度も回っていた。
「……私も、管理されるんですか」
アネルの私を抱える腕に、力が入る。
「されない」
「でも、監察局が――」
「君が望まない限り……誰にも君の人生を決めさせない」
その日は、そのまま部屋へアネルが送ってくれて、そのまま眠りについた。
夢の中で、あの日の村と――紋章、ヴァルド局長が次々と出てきた。
「見ている」「逃さない」とでも言いたげに。
その夜はなんだか、眠れなかった。
朝になり出勤すると、局長室でアネルとユスティンさんが話をしている。
「管理審査自体には応じる必要がある」
「ですが局長、『能力者本人の同意なしに、監察局へ所属変更・収容する権限はない』ってありますよ。ティルアさん、行かなくてもいいんじゃないっすか?」
アネルが書類を机に置く。
「審査は受ける。……だが、それ以上は別だ」
私は、ふたりの方を見る。
「私、行きます」
「ティルア、無理をする必要はない」
私は強く首を振り、答える。
「いいえ。……私についての審査なら、私が話したいです」
アネルとユスティンさんは、難しい顔をして黙っていた。
「私から監察局に条件を出す。……中立性の確保のため、場所は魔導院で行う、と」
アネルの声が、低く局長室に響き渡った。
中央魔導院・応接室。
面談や応接のために誂えられたそこは、淡い紫で絨毯と椅子も揃えられており、木彫りの家具や、調度品が繊細な模様でそこにあった。
私とアネルは、日の光が差し込む窓を見て、ただ、部屋を沈黙が包んでいた。
「……大丈夫、なのでしょうか」
「監察局も、中央魔導院内では手出しはできない」
その時、キィ……と音を立て、扉が開く。
またしても、時が止まったようなあの感覚に襲われる。
そこには黒い髪に細い銀縁眼鏡。人形のような微笑みをたたえたヴァルドが立っていた。
彼は、私の手を取り、冷たく甘い声を発する。
「またお会いできましたね。親愛なるティルア・ソルデヴィア……」
私は、額に嫌な汗をかきつつ、体は強張っていた。
ヴァルドが私の隣に座ろうとするのを、さりげなくアネルが止め、隣に座る。
アネルに止められたヴァルドは、眉をぴくりと動かし、私たちの向かいへ座った。
「相変わらず、ブリューム局長はお優しいのですねぇ……」
「……必要な警戒だ」
「それは『過保護』というのでは?」
ヴァルドが微笑みながら言う。しかし瞳は笑っていない。
「それでは、いくつかお聞かせ願いましょう。ティルア」
私の背が、ぞくりとさらに強張る。
ヴァルドは私の方を見ると微笑みを絶やさずに話す。しかし、それは研究対象を見るかのような瞳をしていた。
「――時詠みは、何回連続で使用できるのですか?」
「……三回、または四回ほど。それ以上使用すると身体に負荷がかかります」
ヴァルドは、横にいる監察局の書記官に目配せをする。
それからも、いくつか質問をされたが、これまでアネルと研究してきた内容のため、臆せず答えられた。話が進むごとに、アネルの顔が険しくなる。
「それでは、《連環》についてですが――」
その時、アネルが低い声を落とす。
「……それは、戦略局の研究情報だ」
ヴァルドが眼鏡越しにアネルへわずかに鋭い視線を向ける。
「彼女の時術に関する情報でしょう?」
「彼女だけの情報ではない。――共同研究だ」
ヴァルドは愉悦の笑みを浮かべる。
「……なるほど。彼女を能力ではなく、ひとりの研究者として扱う、と」
「当然だ。ティルアは戦略局の解析官であり、研究者だ」
部屋の中に時間が凍てついたような空気が流れる。
外から聞こえるはずの音も聞こえず、空間ごと切り離されてしまったような。
ヴァルドは、笑みを消し、鋭い視線を向ける。
「時詠みは、非常に稀少で、扱いを誤れば本人にも周囲にも危険です。だからこそ……適切な保護が必要になります。」
「……保護?」
私の胸の内に、あの日の記憶が蘇る。
黒い外套。
炎に包まれた村。
青白い槍のような光に貫かれた、母。
「……セレク局長、ひとつ、私から聞いてもいいでしょうか?」
ヴァルドはゆっくりと頷く。
「ええ、もちろん」
私は、震える声で問いかける。
「その紋章は――十年前も時律監察局のものだったのですか?」
部屋の空気が、質量を持ったかのように重くなる。
「ええ、紋章は当時から変わっていません」
私の指が震え、胸にはあの日の記憶を抱える。
「では……、《北境時災鎮圧作戦》を知っていますか?」
彼の表情は、張り付いたかのように全く変わらない。
「……知っています」
「あれは、監察局が関わった作戦なのですか?」
ヴァルドは、一拍置いて冷淡に答える。
「――監察局が関与したこと自体は、否定しません」
隣にいるアネルの表情が、さあっと凍りつく。
私は、震える手を、ぎゅっと握りしめた。
「私の家族は、……その日に殺されました」
ヴァルドの表情が一瞬ぴくりとするが、変わらない。
「……そうですか」
彼は、先ほどの冷たく甘い声で続ける。
「だからこそ、あなたを保護する必要があるのですよ。ティルア」
私の脳裏に、両親や姉、村の人々の顔が浮かぶ。
握られた手に、さらに力が入る。
「私は、その保護を望みません」
「望むかどうかと、必要かどうかは別の問題です」
その声は、私を実験道具のように見ているように聞こえた。
アネルが低く、震えた声で返す。
「……本人が望まない保護は、保護とは呼ばない」
「では、何と?」
「ただの拘束だ」
ヴァルドはふっと笑う。
「やはりあなたは危ういですねぇ、ブリューム局長」
ヴァルドは続ける。
「――人は、自分に害を及ぼす選択すらします。それでも、選択を尊重するのですか?」
「尊重する」
ヴァルドはひとつため息をつく。
「……ティルアが、自ら死ぬ未来を選んでも?」
アネルの瞳が、一瞬揺れた。
「……だから、一緒に別の道を探す」
ヴァルドの表情が、わずかに歪んだ気がした。
監察局の書記官がパタンと書類をとじる。
「……本日の審査結果は、追って正式に報告します」
席を立ったヴァルドが、私のそばを通りざまに甘い声を落とす。
「ただ……ひとつだけ覚えておいてください」
「何をですか?」
「時律監察局ほど、あなたの力を理解できる組織はありません」
アネルが鋭い視線を向ける。
「……理解と所有を混同するな」
ヴァルドは微笑み、去り際に声を落とす。
「所有など。私は一言も申し上げていませんよ」
部屋の空気がふっと戻る。
しかし、私の震えは止まらず、アネルに支えられ、戦略局へ戻る。
アネルが、私の机にことん、と温かいお茶の入ったカップを置く。
深呼吸し、お茶を口にする。強張った身体が、少しずつほどけていく。
「……ティルア、よく話した」
私はアネルの方を見る。
「怖かったです」
「ああ」
「でも……言えました」
次の日、戦略局の空気は凍りついていた。
監察局の黒い封筒が、アネルに届けられる。
開いたその時、彼の顔色が変わった。
『ティルア・ソルデヴィア解析官について、時律監察局による保護管理を推奨。よって安全確保のため身柄の一時移管を求める』
足元が、崩れ落ちる感覚がした。




