21.消された名前
部屋を見て回ると、朝とはやはり違っていた。
自動清掃魔導具が、いつもとはわずかに違う場所で停止している。
机の引き出しがほんの少し開いている。
そして、解析帳の紙の角が、栞を挟むように折れている。
解析帳をぱらぱらとめくる。
時詠みの研究記録だけ、順序が変わっている。
そこだけ隅が、折られていた。
――何かを盗みに来たわけじゃない。
見に来たんだ。
鞄から、連絡水晶を取り出し、アネルを呼ぶ。
「――どうした?」
「アネル。部屋に、誰か入ったかもしれません」
水晶を持つ手が、カタカタと震える。
ただ、残っている何者かの魔力の気配が、逃さないと言わんばかりに私にまとわりつく。
「ティルア!」
アネルの声がしたとき、ふっと力が抜けた。
さっと肩を支えられ、「大丈夫だ」と彼に言われ、視界が滲む。
「一緒に……部屋を確認してください」
「ああ」
ふたりで部屋に入ると、アネルの顔が急に険しくなる。
部屋の右斜め上を見てから低い声で「監視術式が残されている」と指さす。よく見ると、不気味に光る紫色の光がぼうっと光っていた。
アネルは、それに向かって白い刃のようなものを走らせ、紫色の光を消し去る。
彼は、震える私の肩を優しく抱き、私へ声を落とす。
「今夜、この部屋にいるのが怖いか?」
私はしばし黙り、部屋を見渡す。
――何か他にもあるのかもしれない。でも、ここは初めての『自分の場所』で、何者かが侵入したとしても、痕跡が残っていても、部屋を明け渡したくない。
「……怖いです。でもここを奪われるのも嫌です」
「わかった。では……君はここにいる」
「……いいのですか?」
「君の部屋だ。侵入した側に明け渡す必要はない」
アネルは連絡水晶を手に取った。
「ただし、今後……警護は増やす」
「……これが過保護」
「今回は、抗議は受け付けない。ヘルツェルを呼ぶ」
そう言って、連絡水晶へ向かって声をかける。
「――ヘルツェル。居住区に侵入者だ。すぐ来てくれ」
「わかった。警備局の者を連れて、すぐ向かう」
警備局のヘルツェル局長――食事会の時にいた、筋肉質なあの人だ。
彼は、部下を連れて、すぐ居住区へ姿を現した。
「……ブリューム。何があった?」
「この部下の部屋に、何者かが侵入した。監視術式があったので解除済みだ」
「あの食事会の時にいた解析官の嬢ちゃんか。わかった、見てみよう」
ヘルツェル局長は私の方を見た。
「――少し部屋を見せてもらう。なーに、怖いことはない。任せろ」
口調は少し軽いが、根は真面目な人なんだ、と思い直した。
ヘルツェル局長と、部下の警備官が私の部屋を見てまわる。
そして、アネルとともに私のところへ戻ってきた。
「無理矢理侵入した形跡はない。――魔紋鍵も壊されていない」
アネルが、ヘルツェル局長の顔を見る。
「では、どうやって?」
「……正規権限を持つ者が入った可能性がある。魔導院所属の、誰かだ」
そう言って、私の部屋の中へ再び戻っていく。
中央魔導院内の……誰か。
私は嫌な予感がし、身体がぞくりとする。
廊下の魔導灯が静かに揺れ、閉ざされた空間にいるようなぴんとした糸が張り詰めるような空気が包んでいた。
「ブリューム、……これは、ヤバいぞ。嬢ちゃんの部屋で探られたものが――」
そう言って、アネルを少し離れたところへ連れていく。
アネルの顔が次第に険しくなる。
ふたりが私のもとへ、戻ってくる。
「ティルア。よく聞いてくれ。君の部屋で時詠みの研究記録、エオネ族について書いたページ、北境霜原関係の資料……探られたものが偏っている」
アネルが私の肩をそっと抱き、話を続ける。
「狙いは、君の能力か、エオネ族か……その両方だな」
私の耳に、ある声がこだまする。
あの人形のような笑み、細い銀縁眼鏡に、さらりとした黒髪――。
『滅びた文化を正しく記憶することも、我々の務めです』
背筋にぞわっとしたものが走り、震えが止まらなくなる。
時律監察局……ヴァルド……。
私は振り払うように首を振る。
「……ヴァルド局長だとは、まだ決められません」
アネルが、私の方を見て頷く。
「ああ。今の時点では、な」
「……記録は、事実の一部ですから」
彼の口元がほんの少しだけ緩む。
「よく覚えていたな」
窓の外は宵闇から東雲色に変わろうとしていた。
私は、ほぼ眠れず、朝を待ってアネルと資料庫へ向かった。
薄暗い資料庫は、まだ夜ではないかと錯覚させる。
ただ、小さい魔導灯が揺れ、起動した水晶板の駆動音が低く響いていた。
資料の保存のため、少し肌寒い空気がまとわりつく。
魔導板で、『エオネ族』と入力し、検索をかける。
何件か資料が出てくるが、何か以前とは違う。
『北境時災鎮圧作戦・記録封鎖指定』
検索結果には《北境時災鎮圧作戦》の名だけが残っていた。
けれど、その先を開こうとしても、本文は空白だった。
【記録削除済】
「……ありません」
資料庫で書類を調べていたアネルがこちらを向く。
「何がだ?」
「――以前、監察局で見た記録が」
「ちょっと見せてみろ」
アネルが、局長権限で検索し直す。
「……削除されている。しかも、高位権限で。そして、削除されている年代が――十年前」
私の脳裏に、十年前のあの日の記憶が蘇る。
炎に包まれた村。
雪の中。
「ティルア! 早く! あなただけでも!」と叫ぶ母の声。
そして、村を襲った者は――揃いの黒い外套を着ていた。
そして――。
輪を一本の針が貫く紋章。
時律監察局のものと、同じ。
私は、震える声でアネルに告げる。
「昔、見ました」
「どこで?」
私は震えた指で、水晶板を指さす。
「村が、燃えたあの日。時律監察局と同じ紋章を――。」




