20.ふたりで選ぶ未来
しんとした訓練室に、ぽうっと白い魔法陣が浮き上がる。
――三秒後、左。
私の手にアネルの温度がじわりと伝わってくる。
そして、時詠みの淡い青の光の上をアネルの白く鋭い光が走っていく。
「今日から、もっと実践に近い形にする」
そうアネルが告げると、いつもとは違う魔法陣がいくつも展開される。
「――攻撃術式がどこへ飛ぶかはわからない。ティルアが読んだ道を、私が《断理》で切り開く」
「わかりました」
私が頷くやいなや、未来が流れ込んでくる。
――右。
私が声に出すよりも早く、アネルの白い刃が走る。
――次は上。
今度は私へ、彼が断とうとしている術式の構造が流れ込んできた。
言葉にしなくてもわかる。
私が未来を読み、アネルが道を切り開く。
けれど、次は違った。未来が三つに枝分かれして流れてくる。
一つ。私は軽傷を負うがアネルは無傷。
二つ。私たちは無傷、しかし道は開けない。
三つ。アネルが攻撃を受け……私だけ、先へ進める。
「三つ目を選ぶ」
アネルが落ち着いた口調で言う。
私は、彼が攻撃を受けることが、嫌だった。
「嫌です」
彼がぴくりと眉を動かす。
「これは訓練だ」
「……わかっています」
「私が受けるのは防護術式だ。怪我もしない」
私は、思わず首を振る。
「それでも……嫌です」
ふたりで無事に突破できる道を、探したい。
手元の魔力測定環は、まだ光っていない。
目を閉じて、ひとつ、深呼吸をする。
「……もう少しだけ、一緒に探してください」
合わさった彼の手が、さらに熱くなる。
――右側の術式が、少し遅れる。
「右側の術式、二秒だけ起動が遅れます」
「その二秒で中央を断つ」
「でも、その次の術式が――」
アネルが、じっと私を見る。
「そこは、君が教えてくれ」
「……はい」
――中央を断ち、次に右。最後に、左。
私が読んだ道筋を、彼の刃が走っていく。
「……ほら、君の教えてくれた通り。ふたりとも攻撃を受けなかった」
私は、黙ってその場に立ち尽くしていた。
アネルとなら、今まで存在しなかった選択肢を作れる。
ふたりで、帰ることのできる未来を。
身体から力が抜けていくと同時に、手元が黄色く光った。
局長室へ戻ると、アネルが水晶板を見ながら言う。
「さっき、なぜあれほど私が怪我をするのを嫌がった?」
私は、言葉に詰まり、俯く。
「……昨日、思ったんです」
「何を?」
「また、あなたとルメルを食べたいと」
忙しなく水晶板を触っていた、アネルの手が止まる。
「そして、中央魔導都へ帰って、仕事をして。あなたがまた『支給品』だと言って何かを渡してきて」
「……それは余計だ」
「でも、そういう明日がいいんです」
私は、アネルを真剣に見つめる。
「だから――あなたがいない未来は、見たくありません」
私たちの間を静けさと、橙色を帯びてきた窓の光が包む。
廊下からは、人々の忙しない靴音がコツコツと響いていた。
アネルが私の机へ近づき、手を差し出した。
今度は訓練のためではない。
私は、自分からその手を取った。
「……なら、探そう」
「何をですか?」
「ティルアも、私もいる未来を」
アネルがじっと私を見る。真紅の目がかすかに揺れている。
「……今度は、ひとりで探すな」
私はこくりと頷き、手を重ねる。
胸の奥まで、熱くなり、鼓動が早くなっていく。
ひとりで探して、私が犠牲になってでもアネルを守りたかった。
でも、今は違う。アネルと一緒にいる未来を探したい。
中央魔導都で仕事して、支給品を渡されて。そういういつもの日常が続くといい。
ふたりなら、その未来を切り開くことができる。
そう、思えたのだ。
けれど、仕事を終えて居住区へ戻ると……言葉にできない違和感があった。
部屋を見渡すと、一見、何も変わっていないように見えた。
しかし、何か嫌な予感がし、背筋に冷たいものが走る。
いつもの自動清掃魔導具。
いつもの机。
袋の中のルメル。
しかし、机の上に置いていた解析帳が、ほんの少しだけ位置を変えていた。
私は首を傾げる。
――気のせい?
部屋の奥に入ると、ひゅう、と風が入ってくる。
窓が、少しだけ開いている。
朝は閉めていったはずだ。
そして、私ではない誰かの香りがつんと鼻につく。
本当に、気のせいなのだろうか?
袋の中のルメルを数えると、ひとつだけ足りない。
――何かがおかしい。
私は、正体の掴めない物に少しずつ震えが止まらなくなる。
私はまだ知らなかった。
この日々が続けばいいと願っていたその頃。
誰かがすでに、その日々へ手を伸ばしていたことを。
窓からは夜の湿気を帯びた空気が肌にまとわりつくように吹き込み、照明が、ただ揺れる。
しかし、影がいつもより長く伸びているように、私は思えた。
まるで、暗い闇が私たちを包もうとしているかのように。
ふっと照明が消え、また点灯する。
――部屋を、もっとよく見てみよう。
次の瞬間、机の端に淡い魔力の残滓が走った。
見覚えのない魔力だった。
私には読み解けない。けれど、確かに誰かがここで術を使った痕跡だけは残っている。
それだけは、はっきりと感じ取ることができた。
ただ、背筋の冷たさだけは、私から離れてはくれなかった。




