14.風が選ぶ道
「ティルア、今日は南部交易平原へ行くぞ」
「何があったのですか?」
碧鏡の湖に行って数日後、アネルが水晶板を見て急に立ち上がった。
中央魔導都へ来る前に、初めてアネルと寄ったメルクの街道がある場所だ。
「輸送路で、最近、浮行馬車や隊商が正規の街道から外れてしまう事故が続いている」
「それで、戦略局に調査依頼が来た、と」
私は連絡水晶と解析記録帳をカバンに入れ、局長室を出ようとした。
「あと、これも被れ」
アネルが突然、私の頭に紫色の何かを乗せてきた。
「……これは?」
「日除けだ。南部の日差しは強い」
「支給品ですか?」
「健康管理上必要な支給品だ」
中央魔導都を出て、浮行馬車に乗り、南へ向かう。
南へ向かうほど、紺碧の空は鮮やかさを増していた。
窓の外には、果ての見えない草原が広がっていた。緑の海のように、風を受けて大きくうねっている。
背の低い草が風に押され、一斉に同じ方向へ頭を垂れていた。
ざあ、と草の海を渡る音がする。
北境の風とは違う。
肌を切るような冷たさではなく、乾いた熱を含んだ風だった。
街道へ近づくたびに、私はある違和感に気がつく。
道に沿って流れているはずの魔力が、風に吹かれた糸のように何本にも枝分かれしている。
淡い緑の光が、草の上を這うように伸びていた。
けれど一本だった流れは、途中から二つ、三つと裂けている。
まるで、風そのものが道を迷っているようだった。
私は首を傾げる。風どころか、魔力の流れも迷子になったように思えた。
「……アネル」
外を見ていたアネルが「なんだ?」とこちらに向き直る。赤い髪と長い睫毛が風に揺れる。
「道が……増えています」
「道?」
「本来ひとつしかない魔力の流れが、いくつにも分かれています」
浮行馬車を降りると、緑の真新しい導路石がくすんだ瑠璃色の古い導路石の魔力を反射していた。
「……これは、新旧の設備が魔力干渉し合っていることが原因だ。ティルア、分岐点を特定してくれ」
「はい」
私は薄萌黄色をした糸のような魔力の流れをたどり、分岐している場所を探す。
魔力の糸はもつれたり、分岐したりしており、ひとつひとつたどる作業は、なかなか骨が折れる。
その時だった。
遠くから鈴の音が聞こえる。
リーン……リーンと初めはかすかな音だったが、激しい音が鳴る。
突然強い横風が吹き、貨物浮行馬車が街道から外れて傾き始める。
近くには、浅い崖。
「——ティルア! 大丈夫か!?」
アネルが叫び、走り出す。
私の視界に、何かが走った。
外れる車輪。
吹き飛ぶ木箱。
その下に入る、赤い髪。
——アネル。
私の心臓が嫌な音を立て跳ねる。
ひとつ深く呼吸をし、目を閉じ、落ち着ける。
「アネル! 三歩右へ!」
彼は私にその理由を聞かなかった。
ただ、私の言葉通りに三歩分、右に踏み込む。
その直後。商隊の浮行馬車から木箱が、アネルのさっき立っていた場所へ崩れ落ちる。
浮行馬車は、少し傾き、止まった。
アネルが、眉を下げ私を見る。
「今、見たな」
「……はい」
彼が私の横に来て肩を抱く。
心臓の音がうるさく響いている。
「今日は一度だけにしろ」
「事故はまだ起こるかもしれません」
「だからといって、君を人数から除外するな」
アネルは、絞り出すように呟く。
「救う人数を数えるとき、君自身も含めろ」
そして、また魔力の流れの糸を辿り、もつれや綻びを調整し、ひとつにしていく。
荷物を積み直した隊商の浮行馬車が、また動き始める。
傾き始めた陽に照らされ、草の穂先が金色に染まっていた。
隊商の鈴が、風の向こうへ少しずつ遠ざかっていく。
それを、アネルと見送る。
「道は、ひとつではないのですね」
アネルが私の方を向く。赤い髪が、茜色の光を浴び、さらに鮮やかになり揺れる。
「目的地へ着けるならな」
「間違えたら?」
「戻って選び直せばいい」
街道の方を向き、アネルが指さす。
「あちらの街道で休憩しよう」
私たちはふたり並んで歩く。
メルクの街道以外にも、このような街道がところどころにあるらしい。
街道には、メルクの街道で見たような市が並んでいた。
アネルが、飲料店へ行き、私のもとへふたつ飲料を持ち帰ってくる。
「ティルア。『ルメル風味茶』だ」
「これも……『支給品』?」
「水分補給と、頑張った解析官へ、な」
アネルと並んで座り、受け取った茶を飲む。
少し前なら、離れたところへ座っていただろう。
けれど今は、彼の隣に腰を下ろすことに、理由を探さなくなっていた。
茜色に藍色が滲む空を見上げながら、私たちは帰路についた。
この時間帯は少し冷たい風が心地よく私の頬を撫で、アネルの髪が揺れる。
その時、アネルの連絡水晶が鳴る。
その時、アネルの連絡水晶が鳴る。
水晶へ視線を落としたアネルの表情が、みるみる険しくなった。
「どうしたのですか?」
「医務局からだ。銀の杯に使われていた魔脈阻害剤から、特殊な鉱石成分が検出された」
「鉱石?」
「産地は限られている」
彼は遠く西へ続く山並みを見た。
「西部鉱山だ」
草原を渡る風の向こう、西の空には黒い山影が連なっていた。
次に向かう場所が、決まった。
中央魔導都へ帰る間も、私の胸の奥はきゅっと縮んだままだった。
西部鉱山。
そこへ向かえば、またアネルが危険な未来へ近づくような気がしてならなかった。




