12.あなたが倒れる未来
翌日、私は、早速解析帳を開き、ペンを走らせた。
【見えたもの】
白い皿。銀色の食器。倒れる杯。机へ崩れ落ちるアネル。
【わかったこと】
今日の魔導軍幹部会の昼食会らしい。
【まだわからないこと】
なぜ倒れるのか。
事故なのか。誰かの意図なのか。
アネルが死ぬのか。
『アネルが、死ぬ』それを書く手だけが震えていた。
アネルがこちらを見る。
「何が見えた?」
私は、震える声で、答える。
「……明日の昼食会で、あなたが倒れます」
アネルは少し黙って、静かに告げた。
「私が……死ぬ未来か?」
「そこまでは……見えていません」
「なら、まだ死んでいない」
私は、ほっとしたような、少しだけむっとしたような。複雑な気分だった。
「……そういう問題ではありません」
「未来だけで判断するなと言ったばかりだろう」
「だから調べるんです」
アネルは、ふっと笑ったあと、急に厳しい顔になる。
「昼食会には、行く。未来を恐れて予定を変え続ければ、未来に行動を支配される。だが君の警告を無視するつもりもない」
アネルは、少し表情を緩め、話を続けた。
「昼食会は随行員を一名同行できる。安全確認担当として、ティルア。君を連れて行く」
私は、なぜか、胸がぎゅっと締め付けられるような、少しだけ躍るような——何かが絡み合った気分だった。
会議棟へ足を踏み入れると、磨き上げられた白い床に、高い窓から射す光が反射していた。
長机の上には白磁の皿が等間隔に並び、銀色の食器と杯が静かな光を返している。
——私は足を止めた。
白い皿。
銀色の食器。
銀の杯。
——見たものと、同じだ。
それを見て、私の背に冷たいものが走る。
しかし、同じだからといって毒があるとは決めつけたくないし、思いたくもない。
運ばれてくる料理に目を凝らす。
料理は——異常なし。
飲み物——異常なし。
私は首を傾げた。
——毒ではないのだろうか、そもそも、私は毒だと一度も見ていない。
時間が近づき、魔導軍の幹部たちが集まってくる。
そしてひとりの男性——警備局の制服を着た筋肉質の男性が、にやりと笑う。
「ブリューム局長、新しい解析官を毒見役に連れてきたのか?」
アネルの視線が凍てつくように鋭くなる。
「彼女は魔導解析官だ。毒見役ではない。誂うのはやめてもらおうか。ヘルツェル警備局長」
ヘルツェル警備局長がたじろぐ。
「そ、そんな怖い顔をするなって。冗談だよ」
「冗談になっていない」
ヘルツェル警備局長が黙り込む。
奥を見ると、ひとりの若い男性の給仕係が異様に緊張している。
手が震え、何度もアネルの方を見ている。
どう見ても、怪しい。
その時、さっと視界にある光景が走る。
——あの人、アネルの杯へ手を伸ばす。もしかして、犯人?
私は首を振る。
アネルに言われたばかりではないか。
では、なぜ、彼は杯に触れた?
彼をよく見ると、ただ、杯を置き直しているだけ。
別の給仕が、「局長用はこっちだ」と指示を飛ばしていた。
あの給仕の男性は、何も知らないのだ。
改めてアネルの席を見る。
料理は正常。
飲料も、同じ容器から他の幹部と同じように注がれている。
なのに——なぜアネルだけが倒れる?
違うのは、何?
銀の表面に、油膜のような紫黒い光が一筋だけ浮かんでいた。
昼食会が始まり、アネルが杯を手に取る。
——見た光景と、同じだ。
私の心臓がどくりと嫌な音を立てて跳ねる。
白い皿。
銀色の食器。
手に取られた銀色の杯。
——同じだ。
アネルが杯を口元へ運ぼうとする。
「アネル! 飲まないで!」
思わず叫んでいた。
周囲はしんと静まり返る。
私は、震える手で杯を取り上げる。
「この杯だけ、魔力の流れがおかしいです」
さっとアネルの表情が険しくなる。
「飲料ではないのか?」
「……はい、おそらく、杯の縁に何か塗られています」
ひとりの男性が杯を見る。見たことのない制服だ。アネルが「リースマン医務局長だ」と囁く。
「これは……魔脈阻害剤だ。魔力経路が急激に塞がって逆流し、意識を失う……最悪、死に至る」
ヘルツェル警備局長が指示を出す。
「……あの給仕係の若者を捕らえろ!」
給仕係の男性が、さっと青ざめる。
「俺じゃありません! 本当に、この杯を出せと言われただけで……!」
警護にあたっていた警備官が男性を捕らえようとする。
「待ってください」
警備官は訝しげな表情をした。
「しかし、この男が杯を——」
「杯を置いたことと、毒を塗ったことは、同じではありません」
アネルが私の方を見る。
私は、給仕係の男性に問いかける。
「誰に頼まれましたか?」
「顔は……見てません。配膳室で、黒い手袋をした人に。『ブリューム局長用だ』と……」
黒い手袋、顔はわからない。結局、毒を仕込んだ人物までは分からないまま、昼食会は中止となった。
私たちは二人で、戦略局への道を歩いていた。
私の手は、カタカタと震えが止まらない。
「ティルア?」
アネルが私の方を見る。アネルは、ここにいる。
「……何でも、ありません」
彼はふっと笑い、私に言う。
「助かった。ありがとう」
その瞬間、私の胸の奥がぎゅっと痛む。
私は震えた声で呟く。
「あなたが倒れるところを見ました」
アネルが、肩に、ぽん、と手を置く。
「分かっている」
「……嫌でした」
私は俯く。
「……嫌だったんです」
「何が?」
「あなたが倒れるところを見るのが」
アネルが正面を向く。
「……そうか」
戦略局へ戻る道は、私たちのあいだに沈黙だけが続いていた。
局長室に戻り、アネルが昼食を食べそこねていることに気がついた。
「アネル、昼食を食べていません」
「……そうだな」
「食事も業務だと、ユスティンさんが言っていました」
「余計なことを覚えなくていい」
私は鞄の中から、パンを取り出して、アネルの前に置く。
「食べてください」
「これは支給品か?」
「いいえ。命令です」
アネルはたじろいだあと、微笑んだ。
その夜、私は自室で考えにふけっていた。
なぜだか眠れずに、鞄から解析帳を取り出し、ペンを走らせる。
【見えたもの】
アネルが倒れる未来。
【わかったこと】
銀の杯に毒が仕込まれていた。
【まだわからないこと】
誰が、アネルを殺そうとしたのか。
そして、もうひとつ。——アネルが倒れる未来を見たとき、なぜあれほど胸が痛んだのか。




