第二話 世界の拒絶
黒い亀裂は、空をゆっくりと走っていた。
誰も声を上げられない。
誰も動けない。
まるで世界そのものが息を止めたような静寂が、神殿を包んでいた。
カイは空を見上げる。
「……何、あれ」
その問いに答える者はいない。
神官は祭壇の前で膝をつき、震える指で古い本を閉じようとしていた。
しかし、本は閉じない。
まるで誰かが内側から押さえているように、ページは勝手にめくれ続けている。
パラ……
パラ……
紙の擦れる音だけが、不気味に響く。
そのときだった。
神殿の外から、村人の悲鳴が聞こえた。
「空が割れてる!」
「逃げろ!」
「子どもたちを家の中へ!」
神殿の扉が勢いよく開く。
飛び込んできたのは親方だった。
「カイ!」
額から血を流し、息を切らしている。
「外へ出るな!」
「親方、一体何が――」
「王都から伝令だ!」
その言葉に、神官の顔色がさらに青ざめた。
「もう……来たのか」
「え?」
「伝令鳥だ! まだ鐘が鳴って数分だぞ!」
親方の肩は小刻みに震えていた。
普通ならあり得ない。
王都からこの辺境の村までは、馬でも十日はかかる。
それなのに、鐘が鳴ってから数分で命令が届いた。
まるで――
最初から待っていたかのように。
神官が巻物を受け取る。
封には王家の紋章。
震える手で開く。
たった一行だった。
《対象を発見。アルカ保持者を直ちに処分せよ》
神殿が静まり返る。
「処分……?」
カイは思わず笑った。
「何かの間違いだよ」
誰も笑わない。
母は口元を押さえ、涙を浮かべていた。
「カイ……」
「母さん?」
「逃げなさい」
その一言だった。
カイの胸がざわつく。
「何言ってるの?」
「お願いだから……逃げて」
その瞬間。
神殿の屋根を突き破り、一筋の白い光が落ちた。
轟音。
石が砕け、祭壇が吹き飛ぶ。
カイは反射的に母を抱き寄せ、床へ転がった。
砂煙の中、一人の男が立っていた。
純白の外套。
銀色の甲冑。
腰には細身の剣。
その姿を見た村人たちが、一斉にひざまずく。
「しゅ……」
「主人公様だ……」
男は何も言わない。
ただ静かに、本を見つめていた。
やがて視線がカイへ向く。
その瞳には怒りも憎しみもない。
ただ、深い悲しみだけがあった。
「……間に合わなかったか」
低い声。
その一言だけで、神殿の空気が張りつめる。
神官は額を床につけた。
「勇者様」
カイの鼓動が止まりそうになる。
勇者。
絵本の中でしか見たことがない存在。
世界を救う七人の主人公、その一人。
憧れだった英雄が、今、目の前に立っている。
勇者はゆっくりと歩み寄る。
そしてカイの目の前で足を止めた。
「君が……そのアルカか」
カイは何も答えられない。
勇者はそっと右手を伸ばした。
敵意は感じない。
むしろ、その手は誰かを助けようとするように優しかった。
しかし――
「触れるなッ!」
神殿の外から怒号が響く。
次の瞬間、黒い閃光が勇者を襲った。
ギィィンッ!
勇者が剣を抜く。
火花が散る。
そこに立っていたのは、漆黒の外套をまとった長身の男。
背には一本の大剣。
顔には古い傷跡。
その視線は真っ直ぐカイを射抜いていた。
「排除する」
短い言葉。
その声には、一片の感情もなかった。
勇者が低く言う。
「剣聖……早すぎる」
「命令だ」
「まだ確認が終わっていない」
「必要ない」
剣聖はゆっくりと大剣を肩へ担ぐ。
その瞬間、神殿中の空気が重く沈んだ。
「世界は、一度だけ間違えた」
カイには、その意味が分からない。
剣聖は静かに告げる。
「だから、書き直す」
その視線がカイへ向けられる。
「お前を消して」
大剣が振り下ろされた。
その瞬間。
――カン。
澄んだ音が響く。
誰も剣を止めていない。
誰も動いていない。
それなのに、大剣は空中で止まっていた。
一冊の古びた本。
それが宙に浮かび、剣を受け止めていた。
ページが、ひとりでにめくれる。
パラ……
パラ……
そして、本の中から、老人の声だけが響いた。
「まだ、その子の物語は始まっておらん」
勇者の表情が変わる。
剣聖が初めて目を見開いた。
誰もいない空間へ向かって、勇者が呟く。
「……記録者」
その名が告げられた瞬間。
カイの右手が、熱を帯び始めた。
作品を作るのは初めてで素人ですので、温かい目で読んで頂けると嬉しいです。
そして
もし物語を読んで頂きご意見、ご感想頂けると幸いです。




