10−5. アシュフォードの夜
その日の午後にはアンジェリーナとその部下達はケント平原の東の農村に入った。
「塹壕と弓除けの山は2列、作りましたが、最低限の作りで耐久性はありません。東の林の上に弓を防ぐ板を張った監視台を仮説してあります」
「充分だ。最初に魔法戦で相手の戦意を奪う。後は平原の西の端まで蹂躙するだけだ」
近隣の農家から労役で徴集した人々が塹壕堀に加わっていた。ここでの戦闘が長引けば、畑の手入れが行き届かずに収穫に差し障る可能性がある。農政的判断からも、明日の一戦でケリを付ける必要があった。
「今晩は兵達を充分休ませる様に。ただし、偵察は密に行え」
「はい」
影の諜報部長イーノックがこちらに来ているから、アンジェリーナからの指示は方針だけ示せばよかった。
農村の村長宅の離れでテーブルを挟んで座るアンジェリーナに、スチュアートは尋ねた。
「攪乱策はしないのか?」
アンジェリーナは皮肉げな微笑をした。
「あなたに言いたくないけど…王国貴族は道徳観に欠ける者が多いわ」
「まあ、そういう者達もいるな」
「そして、いわゆるタカ派という感情論者は、要するに気分屋なのよ。勢いで話をするから、論理性も計画性もない。そんな人間が、明日は殺し合いをする、そんな場面に直面して、正気でいると思う?」
「なるほど、荒事に慣れていなければ、今夜は興奮するか恐怖するかどちらかだな」
「そういう時には、そういう手合はより弱い者を虐めて強がるものよ」
「まあ、ありそうだな」
「つまり、アシュフォードの市民達は、強がる馬鹿共の暴力に晒されているのよ」
「…総大将は飾り、組織は烏合の衆。そしてその精神状態…何かあれば王国侵攻部隊と反乱連合が反目する事態になるか…」
「…それを望んでいる訳では無いのだけれどね」
何であれ、市民の犠牲の下の成功などアンジェリーナは求めていなかった。
アシュフォードの街に入った王国貴族部隊の中には、当然タカ派貴族もいた。彼等は自分達の主張こそ正義と息まいていたし、それに同調しない王国貴族には罰が与えられるべきと思っていた。
だからロジアン侯爵の『王国の内乱は避ける』という方針にも不満だった。もちろん、彼等には英雄願望もあったし、帝国を打倒する自分達英雄に従わない者達は罰するか、自分達の部下として奉仕する義務があるとすら思っていた。そんな連中が『打倒すべき帝国』に入れば、箍が外れるのは目に見えていた。だからロジアン侯爵は直属の兵達に宿営地の見回りを強化させていた。
ロジアン侯爵はフレドリック王子に気持ちを語っていた。
「25年前、王国から帝国への侵攻は、熱狂的に支持されていました。威勢の良い事を言う連中に皆が引き摺られてしまったのです。私は跡取りである為に王国内に残りましたが、弟は侯爵家の兵を率いて、また攻撃魔法の一角として参戦しました」
「結果は思う様なものではありませんでしたが…」
「結果は良いのです。勝敗は兵家の常ですから。ただし、帰国した者達には我慢ならない者がいました。威勢の良い事を言っていた連中は、部下を失いおめおめと生きて帰って来たのです」
「そういう人もいたのでしょうが…」
「いえ、そういう人達と言うのは、伝統的な大家ではなく、伯爵家以下の者が多いのです。タカ派主張で人気を集め、結果を出してより上の立場になりたいと言う欲望が彼等に威勢の良い事を言わせるのですから」
「そうなのですか…」
「伝統的な大家なら、家を守る為に迂闊な行動は取れません。それを人気取りの発言を続け、その上意見を異にする者との対立を煽る事で、大きなグループを作りそこで出世する、それがタカ派と言うものです。だから、彼等には扇動政治の性質がある。何かにつけ自分が正しい、自分は悪くない、そしてだから自分以外が間違っており、悪である。そう主張しがちなのです」
「…そういう傾向があってもおかしくないですね…」
「ですから、25年前はそういう連中に引き摺られて戦争になり、負けると彼等は自分達以外の原因で負けたと主張し出したのです」
「それは…」
「最初は上位貴族が真っ先に逃げ出したから負けた、と吹聴していました。皇帝エグバートの範囲魔法で中央集団の魔法部隊にいた我が弟は真っ先に死んだ事が明らかになると、今度は我が家の部下達が真っ先に逃げたと言い出しました。侯爵家が狙われました。連中は伯爵家以下だから、この責任追及で上の爵位の者を追い落としてその爵位を得ようと言う狙いもあった様です」
「そんな風に度々言う事が変れば信用もされないでしょうに…」
「ところが、人々は単に負けた事を誰かのせいにしたかっただけですから、追従する人々も標的が次々変わっても良いのです。所詮追従して集団いじめがしたいだけですから」
「…気を付けたいと思います」
「だから、我々はそういう者達の所業を記録しておかねばなりません。彼等は責任逃れ他の為に嘘八百を並べますから」
そこでロジアン候の部下が走り込んできた。
「失礼します!アシュフォードの街で宿営中のボイル子爵の部下が、市民に暴力を働いた疑いで拘束されました!」
「誰が拘束したんだ!?」
「帝国貴族バークシャー伯爵の部下です!」
ロジアン侯爵はフレドリックを残してバークシャー伯の司令部に向かおうとしたが、フレドリックも現場を見たがった。
「王国の者が迷惑をかけて済まない。拘束された本人と会いたいのだが…」
「今、直属の上司が文句を言っていますよ。聞かれますか?」
「是非」
「帝国皇帝打倒に協力する為にここまでやって来た我等を冤罪で捕らえるとは何事か!」
叫んでいるのはボイル子爵本人だった。
「子爵、落ち着きたまえ。まず事態を確認したい」
「ボイル子爵の部下を名乗る兵が商店に押し入り、酒を盗んで店主に暴行したのです」
「味方として遥々来た者に、酒ぐらい提供する好意は無いのか!?」
「子爵、まず拘束理由を確認したいから、少しの間落ち着いてくれ」
「侯爵は帝国の味方なのか!?」
「今回の件については、被害者の味方であり、加害者は罰せられるべきと考えるよ。まず事実確認をしたいのだ」
「何故帝国側の話ばかり聞く!?」
「では、君は現場に居合わせたのかね?」
「兵一人一人に付いて回っている訳がなかろう!」
「なら、まず帝国側の目撃証言を聞くしかないだろう?君は見ていないのだから」
「ボイル子爵の部下を名乗る4人は商店に入り込み、酒瓶を掴むと金も払わず出て行こうとしました。店主が制止したところ、酒瓶を持った一人以外の三人で店主に対し殴る蹴るの暴行を加えたと店主の妻の証言があります」
ボイル子爵は黙っていなかった。
「平民の証言で貴族の部下を捕らえると言うのか!?不敬だぞ!」
「それについては、我々の部下が店主を暴行中の兵を拘束しております。暴行事態は事実です」
「こちらの言い分は聞かないのか!」
「店主は代金を受け取っていないと言っております」
「部下は何と言っている!?」
「呼んできましょう」
「自分は…代金として王国通貨を渡したのですが、受け取りを拒否された為に不敬と見做して暴行を加えました」
「ほら、平民側に問題があるではないか!」
「残念ながら、店主に渡したと称する王国通貨は商店から見つかっていません」
「受け取りを拒否されたから懐に戻しただけです」
「それで暴行はした、と?」
「貴族の部下として平民に威厳を示す必要がありました」
「それで対価は払わなかったと?」
「受け取らなかったから戻しただけです」
ボイル子爵がまた喚いていたが、フレドリック王子もロジアン侯爵も彼等が王国の臣民として面汚しである事は確信した。最初から金なんて払ってないのが明らかだったからだ。だからロジアン侯爵はボイル子爵に命じた。
「子爵、今日は君の部下は宿営地に戻し、外出を止めさせたまえ。明日にそなえて今晩は早く休んだ方が良い」
「侯爵はこちらに引けと言うのか!?」
「今、君は部下の問題行動を抑えきれないのだろう?転ばぬ先の杖だ。王国の悪名を広めたくなければ、引きたまえ」
「我々は正義の行使者である!悪名など考えてもいない!」
「では、問題を起こさない様にしてくれ」
ボイル子爵はとりあえず引き下がった。ただし、部下は処罰させずに連れて行った。
ロジアン侯爵はバークシャー伯の部下に謝るしかなかった。
「王国に迷惑をかけて申し訳ない」
「兵に戻る様に全体命令を出していただけますか?」
「もちろんだ」
だが、帰還命令が出るまでに13件、帰還命令に従わない者が20件問題を起こした。強盗・略奪・婦女暴行など様々なトラブルが起きた。
その報告をロジアン侯爵の近くで聞いたフレドリックは暗澹とした気持ちになった。
「殿下、今は兵士にとっては生死のかかった極限状態の一歩手前なのです。こういう状況で人は正体を現すものですよ」
ロジアン侯爵にとってはこの程度の醜態は25年前に聞き及んだ事で、フレドリックの世代には伝えられていない事実だった。
侵略軍が略奪を行うのは兵站の問題もあるのですが。結局戦場が近づくと、興奮か恐怖かで暴力主義を抑えられなくなるものの様です。




