9−1. 帝都と王都の噂話
帝都では散発していた放火が収まっていた。レノックス公、バークシャー伯、リンジー伯のタウンハウスは閉鎖され、その手先だったマフィアもほぼ捕縛された。
「さすが火烈の皇帝様だ。公爵が反乱を起こしてもすぐ収めちまった」
「何でも、今回皇帝陛下の手足となって働いたのは末子のアンジェリーナ様だったって言うぜ?」
「何せ、正妃様の息子がどうやら不義の息子だって言うんだから、男とか女とか言ってられないよな」
「実力で皇太子になるってんなら女だって良いだろ」
市井にはそんな噂話が溢れた。
『正妃の不義』そんな不名誉を覆い隠すには、新しい希望が必用だったのだ。
王国の駐帝国大使はその件について関係者から聞き取りを試みたが、誰もが口を噤んでいた。だから大使は、『そういう噂が流れている』と王都に連絡するだけにとどめた。
一方、マーシア王国の貴族学院はもう新学年が始まっていた。王都コヴェントリーのアンジェリーナ皇女は離宮に閉じ込められたまま、学院には出席しなかった。それは学院生にとっても既定の路線だったから、特に悪い噂も流れなかった。そして、ただ一人学院に通う王子であるフレドリックが悪評に晒される事も無かった。
それは噂を流す元凶がいなくなったからなのか、それとも突っ込みどころである帝国の皇女の世話を学院でする事がないからかは不明だった。
ところが、平民の商店街には噂が流れていた。
「何でも、偽者を送り込んで来た皇帝は、正妃の息子に『不義の息子』って冤罪をなすりつけて廃嫡しようとして、正妃の実家と仲違いしてるって言うぜ」
「一度嘘を吐くともう道徳心が無くなって嘘を吐きまくるっていう良い例だな」
「馬鹿、最初から道徳心なんて無いから偽者なんて使うんだろ」
一方、こんな噂も流れていた。
「何でも、正妃の息子を貶める為に、偽の皇女アンジェリーナを使って正妃の実家を貶めてるって言うぜ」
「皇女なんてこっちに留学に来てるんだろ、偽者が帝都にいるって言って信じるヤツがいるのかよ?」
「そりゃ誰も信じないけどさ、皇帝の周りだけそう言い張ってるんだってよ」
「裸の王様だな、皇帝も」
「周囲にイエスマンだけ集めて喜んでるんだろうよ」
市井の噂話は騎士団経由で宰相の耳に入った。その内容はウィグムント王に伝わった。
「元大使が新興貴族や商人達を買収しておりましたので、そちら経由で情報を錯綜させようとする流れかもしれません。駐帝国大使に帝都の情報を報告させましょう」
「先日の報告では詳細不明との事だったが?」
「ええ。ですが、事実と違う情報を王都で流す者がいるとなると、その意図が懸念されます」
「皇帝自身はあまり搦め手を使う人間には見えないが」
「皇帝を軽視させようとする噂が流れております。そうして侮らせる事で、こちらの反帝国感情を過激化させようとしているのではないでしょうか」
「そうだな。事実の確認を急がせよ」
一方、ヴィンセント・モントローズの下にはスチュアートからの正確な情報が入っていた。
「アンジェリーナ皇女の帝都での立場が確立されつつある。こうなると王都の偽者に対する暗殺の可能性は低くなったと思うが、現今の王都の平民街の噂話からすると、それを利用して何らかの政治活動を考えている者がいる様だ」
息子のギルバートも意見を述べた。
「帝都での影響力を失ったレノックス公が、地元から影響力を高めようとするならば王国からの援軍は欲しいでしょうが…それは売国奴の誹りを受ける事になります」
「マーシア国王が正式に後見人になってレノックス公国でも建てるというならあり得るが、兄上がそんな真似をするとは思えない」
「いずれにせよ、偽皇女を利用されない為には、王宮で匿ってもらうのが一番でしょう」
「そうなると、兄上に奏上するタイミングが困るが…」
「伯父上が動きそうなら、急ぎ打ち明けるのが良いでしょう」
「そういうところか」
貴族学院に通うフレドリック王子の側近候補にスコット・レズリー伯爵子息がいる。
スコットは市井の情報ならびに貴族学院の平民生徒の情報を得る為に、同級生の平民と時折話をしていた。今日も午後に平民街の高級レストランで、午後のティータイムにその平民を誘った。
「いつもすみません」
「いや、お互い様だ。それで、近頃の学院の平民達の様子はどうだ?」
「変な噂が流れなくなって、雰囲気が良くなっていますよ」
「変なって?」
「いえ、言いにくい事ですが、フレドリック殿下の悪い噂がぱたっと無くなりました」
「…ああ。それはちょっと口に出しにくい事だな」
「結局、もう皇女様は学院に来られないんですかね?」
「分からんが、大人しい方だからな。出て来ずらいだろう」
「ああ、そう言えば、平民向け商店街でたまに聞く話が、『偽皇女が帝都に現われているらしい』って話ですね」
「ああ、皇帝側が正妃の実家を攻撃する目的でそんな噂を流しているとか」
「その辺り、殿下から皇女様に確認した方がよろしいのでは?」
「それ、ちょっと聞きにくいだろ?」
「でも、フレドリック殿下からどういう流れか確かめていただければ、デマを打ち消せるとも思うんですが」
「それもそうだな」
スコットは学院の応接室でこの件を口にしてみた。
「平民街の商店街などで、時折『帝都で偽アンジェリーナ皇女が現われている』と言う噂が流れている様です。一度皇女殿下に確認して、どの様な勢力がどういう意図で流しているのか、確認した方が良いかと思います。帝国内の争いをこちらに持ち込まれても問題ですから」
これを聞いたイアン・ダグラス侯爵子息が顔を顰めながら口を開いた。
「事が国家機密に関わる恐れがある。下手に尋ねられても皇女殿下に迷惑がかかるのではないか?そこは配慮が必用だ」
「すみません。気配りが足りない発言でした」
スコットは気付いてすぐ謝罪した。
「…だが、放置しても置けまい。否定すべきは否定して、明らかにおかしい流言飛語は止めるべきだ」
フレドリックの発言に、それでもイアンは注意を喚起した。
「ですが、元々帝国大使館の方で色々工作をしている様です。皇女殿下が大使館、ひいては本国の意思と異なる言動をした事が分かれば、皇女殿下の将来に関わると思われます」
「その点、配慮が必用か…」
黙って聞いていたケント・ブルース子爵子息が口を開いた。
「それでは、人払いをしてから話をしたらいかがでしょうか?」
「それでも皇女殿下の悪評にならない配慮もまた必用だ」
イアンの言葉にフレドリックが提案した。
「では、王宮で手配した侍女を残して話をしてみようと思う。これなら大使館に聞かれずに、悪評にもならないだろう?」
「どうしても、と仰るならそれも一つの手と思います」
「イアンはこの件、どうしたら良いと思うんだ?」
「…お言葉ですが、君子危うきに近寄らず、それが一番と思います。誰かが何らかの意図で流しているデマに踊らされれば、必然と誰かの思う様に踊る事になりますので」
「うん、分かった。だが、皇女殿下に確認は取る。その結果は陛下に相談する。決して軽挙妄動に走らないと誓おう」
「そうお考えでしたら、これ以上は申し上げる事はありません」
暗雲が垂れこめ始めておりますね〜。




