8−9, もう一人の妃
その日の騒ぎの詳細は、アンリエッタ妃の宮にはほとんど伝えられなかった。一方、急遽、夕食を一緒にすると皇帝から伝わり、侍女・メイド達は整理整頓・掃除に忙殺された。
皇帝ともう一人が同席するとの連絡があったが、時間直前に現われたのが留学中の筈のアンジェリーナだったから、アンリエッタ妃は何時になく声をかけた。
「あなたが何故ここにいるのです?」
それに対してアンジェリーナは冷たく答えた。
「それについては後ほど陛下と同席した際にお答えします。その時に再度お伺いください」
この母娘の信頼関係はほぼゼロで他人同然だったから、その言葉に返す言葉はアンリエッタには無かった。
「待たせたな。では始めてくれ」
やって来た皇帝エグバートが使用人達に声をかけると、アンリエッタが口を開いた。
「陛下、ここにアンジェリーナが同席していますが、何があったのでしょうか?」
エグバートはアンジェリーナに視線をやった。アンジェリーナは軽く瞳を閉じて、また開いた。
「ああ、留学はしなかったのです」
眉を潜めたアンリエッタは尋ねた。
「その様な勝手が通ると思っているのですか?両国間で決めた事ですよ?」
「事情がありましてね。想像出来ませんか?」
「何を想像しろと言うのです?」
これに対してエグバートが口を開いた。
「そいつの所為ではない故、責めるな。背景がある故、公表出来ていない。よって、本件は他言無用だ。良いな?」
「しかし、よく国際問題になりませんでしたね?」
「前大使が勝手に替え玉を立てた。やつらの得意技だ。まあ一々文句を言っていたらキリがない」
「…それこそ発覚したら問題となるのでは?」
「まあな。やつらなりに切るタイミングは図っていたのだろうが、だから後手に回っている。策を弄すると逆にタイミングを逃すのは、他山の石とすべきだろうな」
「はぁ…」
エグバートとアンリエッタが会話を交わしている間、アンジェリーナは素知らぬ顔でスープを口に運んでいた。
夕食が終わってエグバートが私室に戻る頃には、もう黒装束の小柄な人物がやって来ていた。
「父親に説明を丸投げして食事に専念するとはいい度胸だな?」
「あの母が私の言う事など聞く筈がないではないですか」
「まあな。もっと知的な女と思っていたのだが、母と言うのは子を侮りがちな様だ」
「糞親父も似たようなものに見えますが」
「実力は買っている。だから指揮をとらせているのだ」
「…それはありがとうございます。それでは第一騎士団の方に向かいます」
「その前に、お前の意見はどうだ?」
「母の事でしたら、見ての通りでしょう。娘の事は重視していません。だから暗殺など考えてもいないでしょう」
「使えない人形と暴れん坊の区別もつかんか?」
「興味がないから、暴れん坊でも何でも良いのでしょう。ついでに言えば、言うほど暴れん坊ではありませんよ」
「…皇太子の母になりたいなら、皇太子を育てる必要がある事は理解出来ないものか?」
「先ほど申し上げた通り、可愛い息子に出世して貰いたいのが母親の気持ちで、その息子の出世が自分の生涯の価値になるのでしょう。だから出世の見込みのない女児には興味がない。必用な教育については、危険から遠ざける事を重視して、鍛える必要性を軽視しているのでしょう」
「片方は人生の内20年弱もかけて復讐を果す人生で、もう片方はその価値のない人物を皇帝にする事を夢見ているだけの人生か。背後の人物達があえてそう仕向けているのか…」
「傀儡に知能は不要ですからね」
「指示しない事が出来ないのでは、役者として使い物にならんだろう」
「教会の偶像と同じですよ。言葉は預言者である神官が代弁すれば良いのです」
「レノックスどもにもスペンサーどもにも、国を回す能力があるとは思えんぞ?」
「実際に仕事を回すのは役人です。役人も下手に上から指示が来るより、任せて貰えるほうがやり易いと思いますよ」
「そうだな。だから現場からこちらに情報が上がってこない」
「そこは『次の権力者』に忖度した結果でしょうが」
「そうだな。だからお前は次の権力者など気にせず暴れれば良い」
「だから、それほど暴れていないじゃないですか。誹謗中傷はお止めください」
「両国の混乱をかき混ぜているのに、暴れ足りないか?」
「治安を維持する方向に動いております。暴れている訳ではないです」
エグバートが女性的なメンタリティが希薄な点はありますが、それを差し引いても親父と娘というより、親父と息子の様な関係の二人。




