7−2. 夜の帝都を駆ける影 (1)
諜報部は皇帝直属の組織となっているが、実際の運営は内務大臣が行っていた。内務大臣は当然、宰相であるスペンサー候の部下だった。ところが、現時点で順当に行けば皇太子となるのは正妃の息子である。だから、諜報部の上層部はピンポイントで正妃の兄であるレノックス公の影響力を受けていた。
諜報部長であるイーノックの元に報告が上がって来た。
「二課の課長の行方は未だ判明しないのか?」
「帝都内の家には帰っておりません。実家方面にも現われていない様です」
「四課の報告も昨日から届かないが、そちらは大丈夫だろうな?」
「定期報告が届かない以上、問題の有無を確認出来ません」
「一課から人を出して連絡させろ」
「分かりました」
諜報部員は多くの場合、機密保持の為、帝都の本部から出る時は裏口を使っていた。イーノックもその日の帰りは裏口から出た。諜報部員は官舎でなく、平民街に住む者が多い。対抗勢力の攻撃を受けた場合に全滅しない為、地に潜む様に住んでいるんだ。
だが、その日、イーノックの跡をつける者がいた。途中で街のブロックをぐるりと周り、早足で逆に追跡者を追う形になった。今、彼が追跡している相手は黒衣の人物だった。その者は始めは早足で歩いていたが、人気が減った段階で走り出した。
(未熟者め!諜報部長を舐めるなよ!)
ところが、街のブロック毎に姿を消す敵は、イーノックが速度を上げて追っても追いつかない。遂に平民街の外れの公園を通り過ぎようとした敵は、そこで姿を消した。
(しまった!逆に追い込まれたか…)
複数の気配を感じて、イーノックは危機感を覚えた。
(二課長はこうして襲われたか…)
今になって、ようやくイーノックは諜報部が狙われていた事に気付いた。
とは言え、危機こそ好機である。イーノックは情報を得ようと口を開いた。
「諜報部員を襲ってどうするつもりだ?」
答えは気配の動きとして返って来た。人が動く風を感じて、イーノックは急いで手近な木の後ろに隠れた。
人が動いた気配はしたが、姿は見えなかった。
「諜報部を襲って、まさかこのままで済むとは思っていないだろうな?」
脅しの意を込めて口を開くが、またも人の動く気配が答えだった。その気配から逃げる様に次の木の後ろに移動するが、やはり姿は見えなかった。
(逃げているだけでは埒が明かん)
そう考えたイーノックは、次に向こうが動いた時には反撃に出る事にした。
「だんまりを続けているが、このまま終わるとは思っていないだろうな?」
イーノックの言葉の後に、やはり人影が動こうとした。だからイーノックは逆にそちらに向かった。
だが、相手はイーノックが焦って攻めて来るのを待っていた様だ。動くと思われた気配は霧散し、他方、近くの木の上から物音と気配が移動してくる。
(くそっ!こんなに簡単に殺られてたまるか!)
イーノックは咄嗟に地面を転がり、他の木の後ろに隠れた。
急激な動作変更と焦りがイーノックの息を乱した。ここは焦らず、息を調える場面だった。だが、相手はイーノックに楽をさせるつもりは無い様だった。低木の生垣の下から気配と物音がした。イーノックは急いで距離を取る為、別の木の後ろに走った。
イーノックのすぐ横で小さな声がした。
「残念。ここが本命」
はっとしたイーノックが動こうとするのを相手は待たなかった。イーノックの太腿に固い物がぶつかり、イーノックは足を動かす事が出来なくなり、そこで屈みこんだ。その首筋に打撃が加わり、イーノックは気を失った。
翌日、諜報部本部に皇帝の侍従が命令書を持って現われた。
「諜報部本部長は皇室に対する不敬な行動があり、謹慎処分になった。当面、一課長が本部長を兼任すること。同様に不敬な行動を示す者は処罰の対象となる。綱紀粛正に務めよ」
さすがに不当に思えた副部長が口を挟んだ。
「不敬な行動とはどの様な事でしょうか?」
「つまり、皇帝を最高司令官とみなさないお前の様な言動を不敬と呼ぶ。他の皇室関係者ならびに外戚の命令は二の次なのだ。副部長をここに解任する」
荒事ならお任せ…前の話と雰囲気が違い過ぎる。




