3−6. 沈静化
フレドリック王子の応接室でアンジェリーナ皇女は尋ねた。
「近頃は雨の日も増えている様に見えます。作物の予想収穫量は上向いたでしょうか?」
「王都近辺では影響が残りそうだが、東部は大分持ち直した様だ。南部が例年以上と予想される事から、深刻な穀物不足には陥りそうにないと考えられている」
皇女は小さく息を吐いた。
「多くの人に影響が出る様な事態にならずに良かったですね」
「ああ…まぁ、麦価高騰は税収増にはなるが、その結果多くの民が苦しむ様では意味が無い。麦価も安定しつつあると聞いている。天気頼みとは言え、良かったと言えるだろう」
こうなると、王都の治安も安定していると思える。だからフレドリックは皇女を王都視察に誘う事にした。
「それでは、一度平民街の様子を視察に行かないか?百聞は一見に如かずだ」
「…大使と相談します。侍女の手配もありますし」
「ああ、是非検討してくれ」
こうして、フレドリックとアンジェリーナの一行は日曜に平民街を歩いた。イアン・ダグラスが資料を読み上げた。
「野菜類は例年の1割から2割増しの価格となっており、また果物類も同程度の価格上昇があります。一方、麦の価格は例年の1割増し前後で推移しており、パンの価格も1割増し前後になっております」
「君はどう思う?」
フレドリックの問いかけに皇女は答えた。
「野菜の収穫は降水量の影響をすぐ受けますから、そうなるのでしょうね。麦については産地に詳しくないので、何とも言えません」
「そうだな。一度枯れかけた植物が、後から水をやったところで復活するにも限度がある。果物はそもそも寒冷地で備蓄できるものを小出しにして供給している状況だ。他の青果の価格の高騰の影響を受けているのだろう」
店先で売っているパンや、屋台で売っているサンドウィッチの価格を確認すると、確かに例年の1割増しより少し高い価格だった。
「ふむ、実際の価格も確かに1割強高い様だ」
フレドリックの言葉に皇女も安堵の息を吐いた。
ところが…市民の声が聞こえてくる。
「しかし、一時はどうなるものかと思ったぜ。パン屋が4割増しで売ろうとしていたからな」
「モントローズ公が動いてくれなかったら、5割増しを越えてただろうよ」
「しかし、他の偉いさん達は何をやってたんだろうな」
「麦価が上がれば税収が上がるから何もしなかったんだろうよ」
「王都民が飢え死にするかどうかより、税収の方が大事かよ」
「しっ!それ以上言うと誰か密告するヤツがいそうだぜ」
同行しているイアン・ダグラスは親から聞いていたが、フレドリックには初耳の情報だった。だから彼は青くなってしまった。
皇女はもちろん、モントローズ公が王弟である事を知っており、フレドリックが『従兄弟』と微妙な関係である事も見ていたことから、空気を読んで黙っていた。
日曜の朝、スチュアート・モントローズは孤児院を尋ねていた。侍従と侍女を引き連れた彼は、食堂で座り、占い師が茶を淹れるのを待っていた。
「お毒見に少し分けますか?」
「いや、君が私に毒を盛る動機が無い」
(背後関係が分からない怪しい女を、公爵子息が信用してはいけないだろう)
占い師は思ったが、口には出さなかった。
茶を一口入れたスチュアートは顔を歪めて言った。
「酸っぱいな」
「そのお茶は若干血行を良くします。リラックス効果もあります。何よりここの畑から取れるのでお金がかかりません」
「…配慮していただき感謝するよ」
効果は言い訳である。酸味の強い茶でスチュアートを驚かせたのは警告である。
(得体のしれない者に気を許すものではない)
歓迎していない、と取られても構わない行動だった。実際、歓迎している訳でもないし。
「さて、今回の政策はどこまで見越していたんだ?」
「もちろん、夏以降の収穫減の領地を救済する政策ですよ」
「そうだな。他の貴族も、最初に王弟が取った行動を踏襲すれば角が立たない。どこの貴族も困窮した近隣貴族の救済の為に、1割増しで麦を提供するだろうよ」
「そうすれば、貧困層への影響も最小限になります」
「…君が各地の貧困層をそうも気にする理由は何なのだ?」
「もちろん、人口増加に導き、労働力を確保し、引いては税収の増加により国家財政を安定させる目的です。経済的中間層は多少のインフレに対する耐性がありますが、貧困層は簡単に飢えますから」
「…君が国家財政まで気にする必要は無いと思うが?」
「財政が悪化すると税率が上がるものですよ。しかも広く浅く取るのが公平だとまで言う。貧困層には僅かな税率増加も死活問題なのを権力者も役人も気にしません。公平な税でも、その影響は公平ではありません」
理論武装はともかく、策はこの王国の収穫減に苦しむ予定の領地すべての貧民達を餓死から救う事になる。この少女が貧困層を救済しようとする護民官である事がスチュアートには確信出来た。だから彼は満足だった。
占い師は落ち着かなかった。スチュアートが目を細め、口元を少しだけ上げて自分をずっと見つめているから。
(この男、漏れ出る魔力は安定している。呼吸も血行も安定している…身元も知らない人物の前で何をリラックスしているのよ!)
流れ者だから、あまり他人と深い仲になろうとしていない訳です。




