②
そして、なんとか大沢を東屋のある小高い丘の上まで追い詰めたのは良かったが、ここが問題だった。
日清戦争の頃に激戦地となった二〇三高地がよい例なのだが、高所から低所へと銃撃、ないし砲撃を行うというのは、一番死角がなくて効率的なのである。向こうはそれを知ってか知らずか、ふもとから追ってくる我々に、執拗にBB弾を浴びせてくるのであった。
「どうやら奴さん、籠城の準備をしてあったらしいな」
いつまで経っても弾切れを起こさないところからすると、そんな具合なのだろう。
「――ちくしょう、あいつ、いざとなったらここへ逃げ込んでくるように準備をしてやがったんだな。そうでもなきゃあ、こんなに雨あられみたく銃撃して来やしませんよ――わっ!」
こうして話しているところへも、しぶとくBB弾が降り注いでくる。こちらはこちらで、山藤悠一と猫目大作は手元の弾が残りわずかとなり、むやみやたらに打てない状況に陥っていた。ほとんど、丸腰と変わらないようなものである。
「こうなってくると、応援部隊を待つしかありませんね」
「そんな悠長な!」
すっかりいらだっていた私は、山藤悠一にありったけの怒りをぶつけてしまった。だが、すぐに冷静になると、力なく、ごめんよ、とだけ呟いておいた。
「いいんですよ。――しかし、逃げようとするとこちらも撃たれますからね。エアガンって、案外馬鹿に出来ないものなんですよ。打ち所が悪いと、半身不随になったりしますから……」
「――となると、こりゃああちらの弾切れを待つしかないのか……」
二人が拳銃を構えているのをいいことに、私は仰向けになり、空を見上げた。都心部から離れていることも手伝って、翡翠ヶ丘の星空は案外まぶしかった。
「あーア、せめて、こんな状況でないときに星空が見たかったぜ……」
口に出すと、尚のことむなしくなってくるから不思議なものである。ふと、またたく星の一点に、何やら赤っぽい、鈍い輝きを放つものがあるのに気付いた。
――火星かな?
だが、火星にしては方角が違う。人工衛星にしては、かなり低いところを飛んでいるようにも見える。しばらく、銃撃もないことを幸いにその一点をじっと眺めていると、どこからともなく低い、うなるような単調な音が近づいてくるのに気が付いた。
――もしや!
ガバと跳ね上がると、私は大沢がこちらに目を向けていないのを確認してから、山藤悠一と猫目大作へそっと耳打ちをした。
「おい、応援が来たらしい。近づいてくるヘリの音、わかるかい……」
私の言葉に、二人もそっと耳をそばだてたが、すぐに山藤悠一が頭を振り、
「――先生、残念ですが、あれは消防の大型ヘリですよ。プロペラの音が二つするの、わかりませんか」
驚いて再び音の方向へ意識を集中させると、たしかにほんの少しだけ遅れて、後部のエンジンから鳴り響くプロペラの軽快な音がするではないか。
「――ごめんよ、期待させて」
「謝ることはありませんよ。こんな状況じゃあ、誰だってそう感じます」
山藤悠一の慰めをよそに、消防のヘリはどんどん近づき、視界にその巨体が確認できるほどになった。
自衛隊が使っているような、ツインタイプのプロペラが勢いよく回り、管制用の灯りがチカチカと瞬く。見ると、その巨体の真下には山火事の消火時などに使う、放水用の水槽がくっついているではないか。
「山火事でもあったのかな……?」
悠長にそんなことを考えていると、ヘリが我々のいる丘の上でホバリングをはじめ、まばゆばかりのサーチライトの光が私から視力をいったん奪い去った。
「――山藤探偵っ、離れてください!」
痛みをこらえて目をぎゅっとつむり、とにかく耳だけが頼りの状況で、いきなりヘリからそんなアナウンスが飛んできたのに驚いていると、突然、頭上で何かのはじけるような音がした。そして、ほんのわずかなタイムラグののち、すさまじい轟音が耳を突き、何やら冷たいものが私の体を包み込んだ。
「なんだ、こりゃあ!」
と、叫ぶだけの余裕もなく、私はその冷たいものの中に体を預け、流れに任せるようにして坂を落ちていったのだった。
「――あっ、目が覚めたぜ! センセイ、センセイ!」
聞き覚えのある声に起き上がると、曾野辺弘之少年と目が合った。
「よかった、ご無事だったんですね」
「病院に運ばれたって聞いたから、びっくりしたんですよ」
見れば、高津健壱少年もいるし、白石益美嬢もいる。
「うーむ、こっちもびっくりしてるんだがなあ……」
状況が読み込めず、ひとまず目をしばつかせる。若干目がごろごろする他には、相手の顔が歪んで見えたりするようなことはない。
「んで……。ここは、ドコヨ?」
「翡翠ヶ丘の赤十字病院ですよ、先生」
右隣からの声に振り返ると、入院着姿の山藤悠一がカーテンのすそを持ち上げて、こちらに微笑みを浮かべた顔を向けている。よく見ると、私も同じような服を着せられているではないか。
「いったい、なにがあったんだい。目が眩んで、なにがあったかよくわかってないんだ」
「いやあ、つまりこういうことでしてね。あのあと、やっとこさ公衆電話を見つけた犬井刑事たちは、翡翠ヶ丘署を通して、消防庁の方へ渡りをつけてもらったんです。大沢をいたぶらず、また、犠牲者を出さないでとらえる方法はないかと考えた犬井刑事たちは、消防ヘリからの放水を思いついたんですよ」
「そうか、あの冷たいのは……」
あの時の感覚が再び肌を駆け抜ける。なるほど、あれはヘリからの放水だったのか――と納得すると、私は大沢がどうなったか、山藤悠一へ尋ねた。
「ああ、大沢なら無事ですよ。ただ、あの放水で東屋の屋根が抜けましてね。それにびっくりして、発見された時はスレート版の下でブルブル震えてたそうです。いちおう検査はしましたが、脳出血の問題などもないようです」
「――すると、ここでようやっと、事件終息というわけかア」
「そういうことです。それがわかった途端に、猫目のやつ、グースカ寝ちゃいましてね……。先生の向かいの、カーテンがかかってる一角です」
言われてはじめて、真向いのベッドのカーテンが閉まっているのに気付くと、私はベッドの下の方に差し込まれた札の、氏名欄に「猫目大作」と書いてあるのに気が付いた。
「よっぽど、疲れてたんでしょうね。僕らが悠一さんと話してても、まるで起きやしないんですから」
「ハハハ、無理ないさ。まあ、ゆっくり寝かせてやりなさい。オレものんびり、朝まで寝るとするから……」
それを聞くと、これ以上の長居は無用と悟ってか、私に山藤悠一に挨拶をしてから、三人は病室を後にした。残された私は、ベッドサイドの小さな灯りをそっとしぼって、枕を二つ重ねて横になった。
「先生、もう眠っちゃいましたか?」
これから眠ろうという矢先に、山藤悠一が声をかけてきたので、ちょうど眠ろうとしたとこだよ、と少し意地悪く言うと、
「すいません、あの子たちがいると話しにくかったもので……」
「しょうがないさ。で、どうしたんだい?」
カーテンをめくり、スリッパに履き替えた山藤悠一がこちらへやってきて、小さな椅子へ腰を下ろした。
「田谷さん、目を覚ましましたよ。なんでも、ラジオから翡翠ヶ丘高校の演奏が流れ出した途端に意識が戻ったらしくて、医者が驚いてたそうです」
「ハハハ、そりゃあそうだろうさ。 で、奴さんなんて言ってる……?」
田谷京香の無事に
「全面的に罪を認めました。僕らのにらんだ通り、やっぱり大沢顧問にそそのかされたんだそうです、『次期部長の椅子を確定するから』って言われて……」
「やはり、そういう事情だったか。大沢の方は、まだ事情聴取はしてないのかい?」
「まだ本式のものはこれからですが、田谷さんをそそのかして、沼井さんや鈴置さんを追い詰めたりしたのは認めています。――やはり、本当の目的は、テイルズ&フラッツへの復讐だったようです」
嬉しい知らせから一転、私と山藤悠一は、重い空気の中へと入りこんでしまった。恨みがさらなる恨みを呼び、それが痛ましき事件を引き起こした。これはどうあがいても戻らない、悲しき世の摂理である。
「――でもまあ、よかったじゃないか。誰も死んでないんだぜ、この事件は。犯人もなんやかんや無事ではあったんだし、良しとしようじゃないか。なあ?」
心優しい、若き私立探偵をしきりに励ますと、山藤悠一はしばらく黙り込んでいたが、やがて自分の頬をピシャッと叩いて、
「そうですよね、事件は誰も死なずに終わったんですものね」
「その意気、その意気! なあに、まだまだ君は若いんだ。無理せず、焦らず、どんどん解決できる速さをあげていきゃあいいんだよ。山藤探偵――いや、悠さん。オレは君を応援してるぜ」
親しみを込めて悠さん、と呼ぶと、山藤悠一はにっこり笑って、
「ありがとうございます、先生。おかげで、今夜はゆっくり眠れそうです」
「ハハハ、そりゃあよかった。――んじゃあ、オレもボチボチ眠るとしようかナ」
「そうしましょう」
二人そろってカーテンを閉めると、ほとんど同時に明かりが落ちた。
平和な夜の静寂が、病床にいる私たち三人に等しく、柔らかな安らぎを与えるのだった。




