③
鈴置さんの記憶通り、件の4WD車は大沢顧問の持ち物であった。が、肝心の大沢顧問の姿はどこにもなく、事故現場では真新しいコンクリートの電柱が真っ二つに折れ、その片割れが屋根に食い込んだ緑色のパジェロが白い煙を噴き上げているきりであった。
「猫目くん、派手にやってくれたねえ……」
「まあ、正当防衛だから不問だろうさ。だが、BB弾相手に実弾じゃあ、ちいと釣り合わないような気もするが……」
「すんません、ちょっとハリキリすぎました……」
翡翠ヶ丘署を通して呼んでもらった墨山警部補と関刑事は、現場に着くなり猫目さんの荒療治をからかったが、重大事件の容疑者である大沢顧問が逃走中したことを知ると、
「探偵長、ひとまずプレス向けの箝口令を敷いた方がよさそうだな。ニュースになると却って刺激しかねないから……」
「それがいいでしょう。ひとまず、現場の後始末は翡翠ヶ丘署の方へ任せて、我々はいったん、本庁まで戻りましょう。鈴置さんや原さん、高津さんたちはいったん、お帰りいただくということで……」
そんな具合に墨山警部補と悠一さんが今後の協議策を練っていると、翡翠ヶ丘署の鑑識班員がなにやら深刻な顔つきで駆け寄り、ちょっと……と前置いてから悠一さんへ耳打ちをした。
「――ご苦労様でした。お手数ですが、あのパジェロの中にある車検証の中に、該当する指紋が混じっている可能性があります。そちらと該当するか、調べていただけませんか……」
「悠一さん、もしかして……」
めざとく話を聞いていた僕の反応に、悠一さんは自信たっぷりに、
「もしかしたら、と思っていたのですが、田谷さんの乗っていた自転車のブレーキ周りから、指紋が検出されたんです。大沢顧問の車の中にある指紋のどれかと一致すれば、田谷京香の殺人未遂でのクロは確定です」
「なるほど……」
「じゃ、これで大沢顧問がつかまりゃ、事件も解決かあ。長かったなア」
納得する僕の顔をのぞき込むように弘之が喜んで見せたが、ふと、司会に入った沼井さんの顔が浮かない色をしているのが目に留まった。
「沼井さん、どうかしました?」
不意を突かれて、沼井さんはこむら返りでも起こしたようにビクつく。
「その……事件が解決しそうなのはうれしいんですけど、今、このタイミングで……っていう思いがあって……」
「――そういえば、そろそろ大会の一次審査テープの通知が来るころじゃないの? たしか、そんな話を誰かがしてた覚えがあるんだけど……」
「そうなのよ。たぶん、明日辺りには合否通知が来ると思うんだけど……。もしも受かってたら、顧問不在のウチはどうなるのかなあ、って……」
「や、そりゃあ困った話だなあ……」
それまで英雄きどりで胸を張っていた猫目さんも、すっかりしょげて青い顔をしている。そういえば、いつだったか悠一さんが翡翠ヶ丘へ行ったときに大沢顧問から言われたという数々の中に、そんな話があったような気もする。
「――あ」
僕は思いがけず、新たな「被害者」が出てしまったことに気づいてしまった。
どういう腹積もりなのかはまだよくわからないにしろ、二人の生徒を毒牙へかけようとした大沢顧問はひいき目に見ても許される存在ではない。しかし、だからといって、彼が指導をしていた吹奏楽部の生徒たちが休日返上、プライべーど返上でやった練習の日々が無駄になってもよいとはとても思えない。
「今から他に、指導のできる先生を探すのは難しいだろうし……困ったわ」
パトカーの赤ランプが瞬く寒空の下を、犯人確定の浮かれた熱気が冷めて、厳しい現実という名前の凍えるようなすきま風が吹き抜けてゆく。すると、
「――お嬢、美咲ちゃん。君たち、誰か忘れちゃいないかね?」
それまで沈黙を保ち、現場の様子を見守っていたテイルズ&フラッツのメンバーたちが、優しい瞳をこちらに向けて立っている。
「――えっ、そ、そんな、よろしいんですか?」
言葉の真意に思い当たる節があったのか、沼井さんは後ずさりしながら驚く。
「畑がジャズだから、ちょっとやり方に戸惑うこともあるかもしれないが、我々でよければ面倒を見ようじゃないか。お嬢、どうだろう」
佐々木さんの提案に、千尋さんは返答に詰まって目を伏せる。複雑な事情が絡んだ相手なだけに、気の進まないのは無理のない話だろう。
「……そりゃあ、いろいろあった古巣に肩を貸すってえのは、普通の神経なら気乗りしないだろうさ。だが、ね。――同じ楽器を扱う人間の苦境を、放っておくわけにはいかないじゃないか」
「原さん……!」
決心がついたのか、千尋さんは改めて沼井さんの方を向き直り、両の掌をそっとつかんで胸元まで引き上げた。
「――部長とかに話をつけるは難しいかもしれないけど……。テイルズに任せてちょうだい」
「美咲……!」
二人がそのまま固く抱き合うのを遠目に眺めながら、彼女たちの間に通う友情の篤さを、僕はつくづく思い知らされたのであった。
「――んで、今は絶賛、ケイコ中ってわけかあ。なにがあるのか、わからんもんだねえ……」
テイルズと吹奏楽部の間に起こった美談を聞き終え、感慨深い目を天井へ向けながら、U先生はストローでアイスコーヒーを底までなめるように吸い上げる。手元に引き寄せられた灰皿には、二箱目のピースの吸いさしが山のように積みあがっている。
あの晩から数日経って、事件のあらましを悠一さんから聞いたらしいU先生と金沢先生に呼び出された僕は、新宿駅前のプランタンを待ち合わせ場所に指定したのだが、入って早々、一番奥のボックス席からもうもうたる紫煙が上がっているのをみて、ちょっと引いてしまった。
「しかし、思いがけないところに伏兵がいたものだね。てっきり、オレは田谷の単独犯行だとばかり思っていたんだが……」
向かいに座ったU先生の吐き出す煙を扇子でよけながら、金沢先生が自分の読みのすっかり外れたのが悔しそうな横顔をこちらに向けている。
「――思えば、生徒一人のやることにしちゃ、あまりにも短絡的じゃなさすぎたんだよなあ。あの年頃じゃあ、情に任せて行き当たりばったりにやりそうなもんだぜ。ところが、聞く限りまるでそれがなかったわけだ。となりゃ、ウラで手引きしてる悪いオトナがいそうなもんじゃないのヨ」
「しかし、顧問だとは思わなかったな――」
U先生の口ぶりが気にくわないのか、金沢先生はやや向きになって反論する。だが、
「バカ。そこがお前の浅はかなところなんだ。――いいかい、練習漬けで学校と家の往復ぐらいしかないようなムスメっ子が一番色濃く影響受ける相手って言ったら、そりゃあ部活の顧問ぐらいしかないじゃないか」
「言われてみれば……確かにそうだな」
「簡単な消去法だよ、ワトソンくん」
「むむっ」
言い返すだけの材料がなくなったのか、通りかかったボーイに新しい灰皿と交換してもらうと、金沢先生はピースを一本もらって、深々と煙を吸い込むのだった。
「しかし大沢のやつ、いったいどこで何をしてるんだろう。――健壱くん、なにか聞いてないかい」
U先生が真新しいピースへライターの炎を当てながら尋ねる。
「さあ、今のところは何も……。ただ、悠一さんの話じゃ、関東一円からは出ていないのだけは確かだろう、ということです。あの夜のうちに全国の支社に手配書を回して、交通の要所や旅館なんかを張ってるそうですが、目撃情報らしいものは何も入ってきていなくて……」
「なるほど……。となると、まだホシは都内のドヤ街や安宿を渡り歩いていると見た方が正しいのかもしれないなあ。なら、どうしてそっちを追っかけないんだろう」
金沢先生の素朴な疑問に、U先生は腕を組んでしばらく考え込んでいた。が、やがて吸殻を乱暴に灰皿へと押し付けると、
「――ま、なにか策があるんでしょ。遊撃隊も解散したんだ、オレたちにゃ関わり合いのないこった。さて、今夜はどこでひっかけるかな……?」
テーブルの隅に置かれた伝票を手に取り、腕に夏物の背広をかけたまま、U先生はレジの方へとのらりくらりとした足取りで消えていった。
「――やれやれ、事件への興味がなくなるといつもこうなんだ。申し訳ないね、放課後に呼び出してしまって」
「いえ……。あ、そうそう。弘之が先生の『トモエ御前~』にすっかりはまっちゃって、サンデー帝都の定期購読を始めたんですよ。七月からのドラマ、楽しみにしてます、って言ってました……」
「ハハハ、ありがとう。今度の事件のおかげで、僕は生みの親としての責任の重さを感じたよ。――こりゃあ、一層精進しないとなあ」
青い羽織の袂をゆらしながら照れくさそうに笑うと、金沢先生は膝の上に置いてあった信玄袋を手に持ち、レジ脇に立ってこちらの来るのを待っている先生を追って、足早にかけていった。




