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「大沢顧問の親父が、バンドのリーダーだったァ!?」
猫目さんの声が、他に人のいない静かな病院の喫茶室にこだまする。だが、そんなことが些末に思えるほど、原さんのもたらした情報は大きかった。
「このツラで他人という風に考えるのがまず難しいから、間違いないだろうね」
佐々木さんの重たい返事を聞きながら、僕や弘之、千尋さんは、ケータイの画面に小さく表示されている、往年のビッグバンド「大沢博とフォア・サインズ」のバンマス・大沢博の液晶に穴が開きそうなほどに見つめていた。まるで、現代にいる本人がその場にタイムトリップしてきたかのような錯覚に陥るほど、写真の中の大沢バンマスは大沢顧問にそっくりだった。
「フォア・サインズっていうのは、平成に入って出来たバンドだったんですね」
ネット百科事典の記事を確認していた悠一さんに、瀬尾さんがそうなんだよ、と付け加える。
「――ポール・モーリア楽団が平成になって初めて日本に来たときに、ちょっとしたイージーリスニングブームがあってねえ。そのときに、それまで九州でキャバレー専門に演奏をやってた大沢が、メジャーデビューをしようと意気込んで東京に乗り込んできたんだが、まあ、これが大コケしてしまって、すさまじい客の不入りだったんだ」
「ってえと、よっぽど演奏がヘタクソだったんですか」
猫目さんの問いに、瀬尾さんはいやいや、と腕を振って否定すると、
「演奏技術はかなりよかったんだ。ただ、いまいち熱気に欠ける演奏というか……あまりリズミカルな感じではなかったんだなあ」
「あれはただ、楽譜通りに吹いてるだけさ。躍動感がまるでないやつらだった」
「まあ、そう言ってやるなよ。おそらく、クラシックの解釈としてはあれで十分及第点なんだから。――猫目さん、フォア・サインズは、ある市の抱えていた交響楽団が解散して誕生したバンドなんです。食べるため、弾きたい曲、吹きたい曲を我慢して、精一杯やっていたんでしょう」
佐々木さんの発言をなだめるように原さんが補足すると、なるほど、という空気が僕を含めた全員に波及した。となると、元々大沢バンマスは交響曲のタクトを振りたい一心から、音大の門を叩いた口であったのかもしれない。
「んで、いったいフォア・サインズとテイルズの間にいったい何があったんですか……?」
弘之がおそるおそる尋ねると、瀬尾さんは気まずそうに眼を左右へ動かしてから、深々と息を吐き、
「あまりの貧乏ぶりに見かねて、サインズのメンバーからとくに優秀なのを引き抜いたんだよ。もちろん、そうなればサインズとしては活動が出来なくなる。気が付いたら、東京から大沢は消えていた、ってわけだ」
「なるほど、大沢顧問の父親は、テイルズの行った引き抜きの被害者、だったわけか……」
「いや、被害者、というのは当たらないかもしれない」
「と、いいますと……?」
瀬尾さんの指摘に猫目さんが納得のゆかない表情で両頬を染める。
「むしろ、我々バンドマンからしたら大沢のほうが加害者さ。プライドの高さから、九州時代のようなキャバレー周りもせず、ろくに給金も払わないくせに求める演奏の質は一丁前。そんな状態で、やめようにもやめられずに引っ張られてゆくサインズのメンバーを同業者として放っておくのはいくらなんでもひどすぎる。そうなれば大沢にはかわいそうだが、引き抜いて助けるのが人の道というもんじゃないかね、猫目君」
適切な答えが見つからなかったのか、猫目さんは唇を真一文字に結び、両方の眉を富士山のようになだらか形にして困り切った双眸を宙に向けている。
「そうなってくるとやはり、今度の事件の真の黒幕は大沢の倅……ってエことになるんかねえ、山藤探偵」
瀬尾さんに意見を求められて、悠一さんは早まってはいけませんが……と前置きしてから、
「しかし、大沢顧問が部の内部への我々の介入を拒んだことを考えると……決して純粋なシロ、とは言えませんね。ひとつ、情報屋を通じて大沢顧問の周辺を洗ってみる必要がありそうですね。むろん、大沢バンマスの前歴も込み、でですが……」
話の流れで勢いづいた大沢顧問への疑惑は、いったん、さつき探偵社の捜査の俎上へのせられることとなり、その日はお開き、ということになった。
病室にいる三鷹支部の男の子と宮脇夫人へ挨拶をしてから外へ出ると、三日月の左肩に黒っぽい雲が漂っているのに気付いた。
「こりゃあ、ひと雨来そうだなあ……」
猫目さんが鼻を引くつかせて、車寄せの屋根の下をかすめる夜風から、こちらへと忍び寄る雨足を嗅ぎとる。確かに、むっとするような湿り気が袖や襟元から入り込んでくるような感じがして気持ちが悪い。
「いま、タクシーを呼んできました。翡翠ヶ丘の駅前からすぐに来るそうですから、ちょっとここで待ちましょうか」
タクシー会社への直通電話をかけてきた悠一さんが、帰り支度を済ませた千尋さんや原さんに声をかけると、千尋さんがたくし上げていたシャツの袖を下ろしながら、
「そうしましょう。ちょっと、病院の中の空気にあてられたみたいなので……」
「おいおいお嬢、大丈夫かい。美咲ちゃん、きみはどうだい、なにかさっぱりした飲み物でも買ってくるが……」
二人を気遣って、佐々木さんがポケットから小銭の入ったがま口を出そうとした時だった。アスファルトの上を横滑りするようなドリフトの音に驚いて、その場にいた全員が病院の門扉の方へ目線を集中させた。タクシーによくあるようなセダン型ではない、年季の入った小ぶりの4WD車がライトもつけずにこちらへと突進してくるではないか――。
「伏せてっ!」
何を思ったのか、悠一さんが当たりはばからずに大声を上げると、つられて僕たちはその場へとしゃがみこんだ。すると、かんしゃく玉のはじけるような乾いた音が二、三度続いて、背後にあった窓ガラスに蜘蛛の巣のような真っ白い筋が走ったではないか――。
「猫目っ、やっちまえっ」
「言われなくてもやりまさぁねっ」
腹ばいになった悠一さんが叫ぶと、猫目さんは仰向けに寝返ってから、ズボンとシャツの間に挟んでいたポケットコルトをさかさまになったまま4WDの右後輪へと向け、派手に一発打ち込んだ。威勢よく走り去ろうとしていた4WDはよたつきながらかろうじて門扉を通り抜けたが、やがて、坂の下の方で金属とコンクリートの擦れるような鈍い音と、ほとんど効き目のないようなブレーキ音が、病院の外壁を伝うようにこだました。
「――やりすぎましたかね?」
両腕で銃床を握ったまま、猫目さんが悠一さんに問うと、
「ちょっとお灸がきつすぎたようなきらいはあるな。――みなさん、お怪我はありませんか」
「私は大丈夫です。それより、さっきの車……」
「鈴置さん、あなたもしや、車の持ち主にお心当たりがおありなのですか」
千尋さんのほうへ視線が移ると、戸惑いながらも彼女は、大沢先生の車がたしかあんな形だったような……と徐につぶやいた。
「なるほど……これはどうやら、嫌疑十分、といったところのようですね。皆さん、ちょっとそこで待っててください。健壱さん、病院の人が来たら、事情を簡単でいいので説明してください!」
こちらの返事も聞かないうちに、拳銃を握りしめたまま敷地から駆け抜けていく悠一さんと猫目さんの後ろ姿を、僕たちはただ茫然と見守っているしかなかった。




