15・監禁
「う……」
気を取り戻した明が、最初に見たものは木目だった。
それが机のものであるとわかったのは、目が慣れてきてからだ。木目には、血がついた跡らしき薄汚れたシミがちらほら見えるが、何によって付着したのか、考えたくもなかった。
ともかく、机の前の椅子に、座っているらしい。机の反対にも椅子はあるが誰も座っていない。
机と椅子のほかに目に入ったのは、石壁だった。どうやら正面や左右、天井が石造りのようである。苔むしているというほどではないが、ややカビ臭い。
出入口らしきものが見えないが、おそらく自分の真後ろにあるのだろう。
「……ん?」
椅子から立ち上がろうとするも、シートベルトをしたたま立とうとした時のように体が動かない。ぎしぎしと耳障りな皮製品のこすれる音がする。
明の体は、ベルトで椅子に縛り付けられていた。一本のベルトではなく、複数のベルトが生き物のように体に巻き付いている。
中でも長いベルトが腕を経由してぐるぐる巻きにしており、足も椅子の脚に固定されていた。
手首から先は、グーの状態でカバーをかけられていて指一本動かせない。
フォトンを警戒しているのが、はっきりわかる。
そう考えると、明は不意に大きな恐怖に襲われた。
あの場ではああするしかなかったと思ったが、本当にこれで良かったのか?
テロリストに拘束され、殺害されたジャーナリストのニュースなどが、頭の中に浮かんでくる。
マイペースだマイペースだと揶揄される明だが、別に紛争地域で育ったとか、幼いころから武道の修業を積んでいるだとか、そんな特別な生い立ちは何もない。
ごく普通の高校生だ。
そんな自分が、こんなことになっている。
明は思わず涙を流した。
怖い怖い怖い怖い怖い――
……。
――違う。
落ち着け。いつも考えすぎて動けないくらいじゃないか。
幸い、考える時間はある。
目の前に導火線に火が着いたダイナマイトがあるわけでも、沈みゆく豪華客船の中にいるわけでもない。
発想を飛躍させながら、ふうと一呼吸、明は無理やり平静を取り戻す。
まず、出来ることを考えるべきだ。
首は窒息を恐れたのかベルトがなく、顔は出ている。
だからと言って何ができるとも思えないが、少なくとも物音は聞こえないのは確かだった。
ここがどこかはわからないものの、お腹が空いていないのでそう遠くまでは行っていないと思われる。
ただ、部屋の用途はわかる。ここは、尋問のための部屋だろう。
だとすれば、脱出も容易ではないはずだ。
「……いや」
フォトンが使えれば全く話は違ってくる。
「どうにかして、脱出しないと」
「そう焦るな」
「!?」
背後から、肩をつかまれた。
口から心臓が飛びだしたかと思うほど、心臓が跳ねている。
「おはよう。アキラくん」
例のしわがれ声とともに、フォトンシーフが明の背後から現れた。
そのまま冷蔵庫の水を取りに行くかのようにごく自然な動きで、明の前に回り込む。
優雅に椅子に腰かけた彼は、緊張の面持ちで見つめる明を、じっと凝視していた。値踏みしているようにも見える。
一方で明には一つ救いがあった。
今、言葉が通じた。
明は学生服のカラーの内側に、【翻訳】の文字を書きこんでいる。
つまり、それが見つかってないということだ。
もし見つかっていたら、フォトンを警戒して身ぐるみをはがれ、話が通じなかったに違いない。
カラーの裏には、冗談半分、お守りのような意味で、【無敵】や【幸運】なども書き込んである。
フォトンは世界の交渉であるから、自然現象とあまりにも乖離したそれが、発動するかは正直怪しい。少なくともゴシカは聞いたことがないと言っていた。
だが、気休めにはなる。もしかしたら、実際に無敵になっているかもしれないし……ただ、この状況を見るに、幸運ではなさそうだが。
「さて、もう用件はわかっているだろう? 君の知るフォトンを私に教えてくれ」
言葉こそ優しいが、そこには有無を言わせない空気をはらんでいる。
仮面の奥にどんな表情が隠されているかはわからないが、拉致監禁までした相手に優しさを期待する人間などいまい。
陰惨な拷問の図が頭に浮かび、思わず体を固くする明。
「一応言っておくが、無駄な抵抗はやめた方がいい。そのベルトは、例え「霊山水の行」をこなした者でも引きちぎる事はできない。まぁ、君があの王女たちのように、そんな奇特な修行をしているとも思えんがね」
霊山水の行というのが、いったい何であるかは明は知らないが、どうやらゴシカや王女が怪力なのは何か理由があるらしい。
「なぁに、悪い話ではない。フォトンを私に教えれば、君は助かる」
あくまで、勘ではあるが……明は、それが嘘だと感じた。
わざわざ生かす理由が思い浮かばないせいかもしれない。
「……」
「無駄な抵抗はやめろと言った意味が、理解できなかったかな?」
明の沈黙を、抵抗のように受け取ったのか、フォトンシーフの声が一段重くなる。
そして――
「がっ……!?」
鈍い音がして明の頬に衝撃と、一瞬遅れて痛みが走った。
それが殴られたと気付いたのは、更に少し後。
サッカー部時代にヘディングをした時のように脳が揺れ、瞬きを繰り返す。
痛い、痛い、痛い。
明は、人に殴られる経験などほとんどない現代の一般的な少年だ。
それだけで、思考がまるでまとまらない。
「私をなめるんじゃないよ坊や」
フォトンシーフがドスを聞かせて呟く。
「人間には指が何本あるか知っているか? 私はね、常々多すぎると思っていてね……」
ゴトン、と思い音がして、武骨なペンチが机の上に落とされる。先の方は、赤黒い何かがこびりついていた。
「今までの最高で四本だったよ。高名な魔導師だからもっと耐えてくれると思っていたんだがね」
「い、いや、抵抗したいわけじゃない。ただ……フォトンを教えろと言われても……漠然としすぎて」
「漠然? どういうことだ? 知っているフォトンを全て伝えればよかろう」
その声色に、わずかに戸惑いのそれが乗っている。
「全部は無理だ。多すぎて自分でも厳密にはわからない。読めるだけで書けないものもあるし……」
「多すぎて自分にもわからない……だと?」
相手の戸惑いが伝わってくるが、ここは下手にウソをつかないほうがいいだろう。
明自身、腹芸ができるほど器用な人間でないことはわかっている。
とりあえずチャンスを見つけるまでは、事実を言いながら時間を稼ぐべき。そう明は考えた。
あるいは、殴られることに免疫が無さ過ぎて、暴力への純粋な恐怖からそう自分に言い訳したのかもしれない。
「まさか大会で名乗っていたように千のフォトンを操れるとでも言うつもりか?」
あざけるように言う。
ハッタリを利かせた異名、あるいは子どもがギャグを一億個持っているなどと言っているのと同じように感じたのかもしれない。
だが――
「少なくとも書けるのが二千程度、読めるのは三千くらいだと思う」
「は?」
フォトンシーフの声が、凍り付いた。
「……自分が何を言っているのか、わかっているのか? ハッタリが通じる相手かどうか、わからんほど愚鈍には見えないが……」
「嘘を言える状況でもないだろう……」
ひりつく頬の痛みを感じつつ、明は言うが――
「これが嘘ではなくて何になる!!」
突如、激昂するフォトンシーフ。
両の拳をテーブルに叩きつける。
その声の響きは、先ほどまでの老成されたものと異なり、どこか青さを感じさせた。
「……」
肩を怒らせていた自分に気が付いたのか、彼は一拍おき、それから佇まいを正した。
「……まぁいい。それが事実かどうかは調べればわかることだ」
では、と続ける。
「基本となる五大元素のフォトンを、これに一画ずつ書いてもらおうか」
フォトンシーフが懐から出したのは、目の粗い紙束だった。昔、博物館で見たパピルスが明の脳裏に浮かぶ。
「五大元素?」
「土火水風光に決まっているだろう。くだらん時間稼ぎはやめろ」
土火水風光?
友人が好きなRPGではよく地水火風は聞いたことがあるが――
「これを使え」
次に差し出されたのは、インク壺とガラス製のペンだった。ペン先もただのガラスなので、インクの保持量は少なく、あまり文字も書けそうにない。
ああ、一度にたくさん書けると、フォトンを発動させられてしまうからか。
明は妙に感心してしまう。
それから、右腕のバンドが一つ外され、肘まで動くようになった。これなら書くのは問題ないだろう。
「じゃあ……【火】から」
この世界では【火】のフォトンは一般に浸透している。だから、これなら知られても危険性は少ないはずだ。
一画ずつ、一枚に書いて行く。そして、三枚でペンを置いた。
「……これが【火】だと?」
紙を握りしめるように凝視したフォトンシーフが震える。
デタラメなフォトンだと思って怒っているのか……?
そう明が考えた時、フォトンシーフは突如として笑い出した。
「ハハハハハハハハハ!! そういう事か! あの試合で見せた一文字で【大火】を生み出したフォトンは、これを二つ重ねたのだな! それで発動するのか!」
「……!」
まずい。
この男は、本当にまずい。
漢字を、理解できている……!
試合と今の、たった二回で【炎】を理解できてしまっている、その事実が明を戦慄させた。
この男に、これ以上フォトンを教えてはいけない。




